久しぶりに休日出勤をした。
出勤したのはもちろん平日では業務が間に合わないからだ。なぜ間に合わないかというと私の処理能力と業務量のバランスということになるだろう。
それでは、なぜ処理能力を上回る業務量になるかというと、当事者たる私としても一考に値する。
自分で言うのもナンだが、私は別にすさまじくハイスペックというわけではない。ノーマルスペックながら、特徴としてあるとすれば比較的「万能」ということが挙げられるだろう。
古代オリンピアの時代から五種競技というものが存在する。
幅跳び、円盤投げ、スタディオン走、やり投げ、レスリングで、どうやら当時の戦争を想定したものだ。ただ足が速いとかではなく、飛んで跳ねて投げて戦わないといけないのだ。
現代は十種競技に変わっていて、100m走・400m走・1500m走と走る種類が増えている。投げるのも円盤・やり・砲丸。これに幅跳び・高跳び・棒高跳び・ハードルが加わる。古代と比べるとレスリングがなくなり、戦闘要素がやや薄れているが、万能を競うコンセプトは変わらない。
近代五種になると、馬術・水泳・フェンシング・射撃・ランニング。無茶するなあという感じだ。
しかし、せっかくの万能にもかかわらず100m走みたいな専門競技に比べて知名度は低い。現代はゼネラリストよりスペシャリストの時代なのだろうか。
これは分業がハッキリしている中で両方やるから凄みが出ているわけで、十種競技の選手が100m走とやり投げでトップを争うようなものなのだ。
古人に凄い人も多い。
レオナルド・ダ・ヴィンチのように絵を描いて、歌って、兵器を開発して、馬の解剖をしてとなると万能度に拍車がかかってくる。
アイザック・ニュートンは科学者であると同時に造幣局長官。錬金術師という顔も持っている。
ただ、私は経理処理と財務分析をやって、英語を多少読んで、山に登って、マラソンを走って、文章を書いているものの、どれも半端なだけ。これら偉人とは比べるべくもない。これでは万能選手ではなく、ただの器用貧乏である。
しかし、これから全部をスペシャリスト化するのもなかなか難しい。私は究極の器用貧乏として生きていくしかないと思っている。