今年は久しぶりにフルマラソンだと意気込んでいたら中止になってしまった。
中止は非常に残念だ。大会のいいところは目標を作りやすいこと。そして今、これに燃えているとわかりやすいことだ。
この週末は、北田雄夫『世界のはしからはしまで走って考えたこと』を読んでいた。世界中のアドベンチャーマラソンを走っている人で、かつてはサラリーマンだったらしい。それが、「燃えるもの」を求めて退職し、トライアスロンからウルトラマラソン、アドベンチャーマラソンに至ったのだという。
正直、アドベンチャーレースというのはある種、虚構の冒険だと言える。大会には主催者がおり、競技者の安全には配慮している。そしてコースは予め設定されており、前人未到のエリアはない。
それでも競技者は尽きない。それはコースの未知性というより、自分はどれくらい燃えられるかという自らの未知性に興味があるからだろう。
今から5年前の6月早朝、私は北上のスタートラインに着いていた。100kmマラソンのスタートラインである。
ノリでエントリーしたものの、練習がなかなかできずに苦しんだ。会社から帰って2時間半走り、週末は40kmラン。仕事が忙しくなると帰るのが10時とかになるので、朝夕のスクワットのみとなってしまう。
練習不足の焦りと練習後の疲労。金にも出世にもならないことに熱中していることへの葛藤。しかし、走っている時だけは心が鎮まった。
それはただ生きているという感覚のみがくっきり浮かび上がるからかもしれない。
週末、仕事疲れでただぐったりしていると今でもその時の燃える気持ちを思い出す。