クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

結婚と冒険と登山と

図書館がずっと休館になっている。

緊急事態宣言となるたびに休館になるので、さすがにどうかという話になったのか、予約すれば貸出だけしてくれるようになった。開館していてもそれほど混むところではないので、不思議な対応であるが、ありがたい話ではある。

 

角幡唯介『そこにある山』を借りた。

 今回は軽いエッセイではなく、真剣に結婚やテクノロジー、冒険について考えたという作品。Amazonのレビューに「くどい」と一蹴されるくらい理屈っぽくてややわかりにくい文章が綴られている。

 冒頭から「結婚とは人生の選択ではなく事態である」と来ている。

何のことかと思えば、結婚は自己責任の行為ではなく、「そうなっちゃった」ことなんだという。世の女性や結婚したいけどできないと悩んでいる人を全員敵に回しそうな発言だ。

なるほど毎日、決まった時間に起き、同じ電車に乗って仕事場に出かけ、恙なく仕事をこなして帰れば、極めてリスクは少なく生きられる。先日、わき見運転の車に轢かれかけたが、リスクとはそれくらいだろう。

しかし、そんな平坦な人生を人は時に自ら揺るがすことがある。それが危険と分かって行う登山だったり、ギャンブルだったり、結婚だったりするというわけだ。

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見通しの効かない登山もある

10歳以前、自分の可能性は無限だった。逆に言うと混沌としていて何になるのかわからなかった。それが10代になると自分の能力のおおよその限界を知り、アインシュタインカール・ルイスにはなれないことがわかり、20代で医師や大工のような職能系の仕事に就くのか、オールラウンドなサラリーマンになるのかを決める。

そこまで行くと、路線変更は可能にせよ、突然ゴーギャンのような画家になったり、町田康のようにパンクロッカーで芥川賞作家になるなんていうことは大半の人には起きない。

しかし、それでもなおただ平坦な人生を歩み続けるのもどうかという疑問が生まれ、「結婚でもしょうか」ということになる。

乱暴にまとめれば私の人生の流れはそんな感じだ。

もちろん、紆余曲折あって今日に至るのだが、日々に多少の波風を起こしたくて、登山に繰り出したり、女性に声を掛けたりしたのは事実である。

その意味で結婚と登山は確かに似ている。

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角幡さんの話では人生は平ヶ岳みたいらしい(写真は同じくのっぺりした会津駒ヶ岳

 

善悪はともかく、波風を起こさないように、リスクを避けるようにしながら大半の人は生きている。波乱万丈ではなく、平凡平和な人生でいいやと思いながら生きているからこそ、外出自粛と言われれば外出や外食を避け、マスクをして会話を控えている。

しかし、腹の中の虫はどこかで平凡な人生に一石を投じようと隙を狙っていて、それが本人も思いもよらない冒険に駆り出しているのだ。

平凡な人生なんていうものはない。