クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

輝ける経歴とは

ここのところ他人の経歴をポチポチ打つことが多い。困るのがその肩書が「スゲー」のか「大したことない」のかさっぱりわからないことだ。

会社に入った頃、専務と常務はどっちが偉いのかよくわからなかった。ついでに次長と課長もどっちがどっちかわからなかった。今でも他社ともなるとリーダーとか主任とか何が偉いんだかさっぱりわからない。

あるいは官公庁。日本の官僚のトップは各省の「事務次官」となっている。しかし、これも言葉を知らないと次の官だからトップとわからない。庁のトップは長官だからこっちの方が偉いように見える。これは次長の兄弟分かと思ったらスゲー偉いのだから驚いてしまう。

もう70歳くらいになる人ともなると主な経歴だけで1ダースくらいになってスゲーと思ったりする。ただ、過去の肩書だけで生きるというのにはどうも抵抗感がある。

かつてアメリカのヘビー級ボクサーなどは「地上最強の男」の称号を得ると、極力無理な防衛戦を受けずにリング外で金稼ぎをやっていた。そちらの方が安全かつ高額だからだ。重要なのは実力ではなく「最強」の称号だという裏返しでもある。

しかし、一生その称号を維持できるわけでもなく、どこかで陥落してしまうところに哀愁を感じざるを得ない。

登山家の野口健は大使だった父親に「自分の名前が肩書になるように生きろ」と教えられたらしい。なかなかいい話だなあと思う。

 

正月に帰国していた弟は同業者から「王子様の経歴」と言われて喜んでいた。

日本の大学を卒業後、アメリカで修士号を取り、日本の大学院で博士号を取った。その後はカナダに行き、今はフランスにいる。研究補助で生活をしているので、年金生活者と変わらないのだが、世界中でやっていけるのは研究者として「王子様」なのだそうだ。

肩書いっぱいの経歴よりどこでも生きてゆける方に私は憧れてしまう。