クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

山登りの反社会性と責任

週末は連休だったのにどこも行かなかった。こんなことは久しぶりかもしれない。

相方は体調が悪いと言うし、外は暑いしでグダグダしている中、ネットでクライマーが訴えを起こしたというニュースを見た。埼玉県の二子山でクライミング中に落下。確保に使ったボルトが破損して5m落ち、両脚を骨折したらしい。

訴えた先は小鹿野ライミング協会と小鹿野町だという。

二子山(私が行ったのは一般登山道)

相方に感想を聞くと「クライミングは自己責任」と一蹴してしまった。まあ、その通り。

ただ、それ以上に私が違和感を感じたのは「クライミング」と「訴訟」の2つがそぐわない関係にあることだった。

登山という行為自体は危険なことである。「先週、穂高に登って来たよ」というのも「エベレストに登ったことがある」というのも、危険だからこそ「すごーい」という反応を受ける。危険だからすごいのであって安全ならわざわざ登らない。つまり死ぬかもしれない活動をわざわざするという反社会性が山登りという活動を支えている言える。

一方、訴訟と言う手段は行為の社会性を問うことだ。反社会性がアイデンティティとなっているクライミングという行為を裁判と言う社会性を問う場で議論することに私はどうも違和感を感じるのだ。

 

そんなことを考えつつ暑いのでグダグダと過ごしてしまった。

来週は少し涼しくなっているだろうか。そろそろ来年のマラソンに備えてトレーニングに励みたい。