クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

「根拠のない自信」の付け方

来月、相方がフルマラソンに出場するというので、大会運営者から案内が届いた。

それにしてもなぜ大会に出ようと思ったのかと疑問に感じていたら、「何か自信を付けたかったから」らしい。

何のことやらと思ったら、相方からすると私なんぞは「根拠のない自信」がありそうなんだと。それに対して自分はなぜか自信がない。何かの自信を付けたいのでフルマラソンに出ようと思ったと言う。

自信と言っても私も特に何かの自信があるわけではない。

確かに過去に100kmマラソンを完走したのも話のネタとしてはいいのだけど、あくまで過去の話だ。フルマラソンも同様で、完走率90%を超える大会で完走しているだけなので特段自慢できるわけではない。

思うに「根拠のある自信」というのは大概過去のことなので、未来を保証するものではないのだ。学歴にしがみつくのもみっともないし、医師や弁護士といった国家資格も人生の中では僅かな期間の努力の成果に過ぎない。

一生ものとなる「根拠のある自信」を付けるのはなかなか難しい。

 

先日わが家に来た相方の友人も「根拠のない自信」のありそうな人だったりした。

収入は決して多くはなく、シェアハウス住まい。TOEIC満点、英検1級レベルではあるが、別にそれが自信につながっているようには見えない。

私とやや共通しているのは、究極の合理主義者だということだ。「自信がある」と言うより「悩むのは無駄」と考えるタイプである。

どうも日々感じるのは「反省を促す」ことを「指導」と勘違いしている人が多いということだ。

失敗したら対策を考えればいいし、ただのミスなら「まあ、気を付けよう」くらいの話。日常で嫌っていうほどミスをしているのに、いちいち反省する時間がもったいない。いつからか、そう考えるようになった。

それが相方からは「根拠のない自信」に見えたのかもしれない。

 

「根拠のない自信の付け方」という問いに対しては、「『自信を付けたい』と悩んで時間を無駄にしない」というのが私なりの結論。

そんな時間があったら私は少しでも寝たいと思う今日この頃なのである。