クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

マラソンの効能について

高知でフルマラソンを走って以来、1週間ぶりに夜ランニングをした。

42.195kmからわずか10日ばかりしか経っていないのにわずかに筋肉痛。少し休んだだけで衰えたのがわかる。先日、母親が1週間ほど入院して、ベッドで本ばかり読んでいたら、「脚が衰えた」と嘆いていた。脚が衰えると急に老けるというから気を付けなければならない。

写真は神戸の洋館(本文と無関係)

走るのを始めたのは大学に入る直前。浪人生活を抜けて、急にやることがなくなった時だ。この時は1日16kmほどを1時間半かけて走っていた。

その後、本格的に走り出したのはその10年近く後で、誘われてマラソン大会に出た際に登山の練習を兼ねて始めた。

走るのは体力づくりのためだが、効果がわかりやすいのがいい。1日1日、身体が慣れてくる。ダイエットを目的に毎日体重を測ったりすると、途中で下げ止まりがあるだろうけど、ランニングを続ければ成果が出る。

結果の出ない芸人の人なんかは筋トレに夢中になることが多いそうだ。笑いは努力が結果に結び付きにくいが、筋トレはすぐ結果に表れる。

その意味ではランニングも筋トレも同じで精神安定剤としていいらしい。

 

フルマラソンは42.195km。絶妙な距離と言える。

おそらく100m走をしたら、20歳の私の方が今の私より速い。1000mだと20歳の方に歩がある。10kmなら今の方が2分くらいは速い自信がある。フルマラソンなら20分くらい差がつくかもしれない。

距離が長いほど経験値がものを言う。感覚的には開始から2時間までは身体の経験値が、それ以降は戦略的な、頭脳としての経験値が差を付ける。登山もマラソンも年配の人に人気なのは、身体能力に加えて経験値が結果に出るからだ。

20歳以降、ゆっくりと下り坂となる肉体に抗う術を持つのは悪いことではない。

 

ひと頃「アンチエイジング」という言葉が流行った。それに対して加齢を否定するのは良くないと「アンチ・アンチエイジング」なんていう人も現れた。

その意味ではマラソンは加齢を肯定しつつ否定しないスポーツと言える。「アンチ・アンチ・アンチ・エイジング」とでも言おうか。

今の自分をとにかく肯定できる趣味と言えるだろう。