クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

スポーツの身内贔屓と名実況

最近、あまりスポーツ観戦で盛り上がったことがない。

原因として、相方と私の好きなジャンルが大きく違うというのはある。私はわりと全般的に好きなのだが、相方はフィギュアスケートみたいな争わないスポーツが好きだという。

競技なんだから争ってナンボの世界だと思うのだが、そういうのは見ていてしんどいだとか。

 

まあ、相方との好みの不一致というのもあるけど、ここのところ見ていて夙に感じるのが、実況の公平性というか、贔屓しないという姿勢だ。

これは関東に来てからよく感じるのだが、関西や広島に住んでいた時に比べると、関東は人の嗜好が多様なので、特定の人やチームを応援しない。NHKだけでなく民放でもどっちも立てるような実況、解説が多い。

「○○選手の動きがいいですね」

「そうですね。ただその動きを××選手もうまく対応しています」

とどちらも立てておく。結果に差がつけば優劣を付けるが、結果が出るまではどちらかを落とすことはない。

いくら関東だからと言っても阪神タイガースをこき下ろしたりしたら、発言者はどこで闇討ちを食うかわからないのだ。

宮田珠己さんのエッセイで、我を忘れて絶叫している実況に感動するというのがあった。

スポーツは理屈を超えたところで感動が生まれるというのは同感。理屈抜きに応援してしまうところに感動してしまう。

それと、本来客観性が求められる実況や解説が我を忘れた時、より感動は増幅される。そうなると身内贔屓が必要なわけで、オリンピックやナショナルチームだと応援しやすい。

贔屓してはいけないという抑制の必要のないシーンの方がやりやすいだろう。少し安全サイドに身を寄せている気もするが。

 

私にとって名実況は、2001年の大阪近鉄バファローズ優勝のシーンで、私がファンだからまったくもっての身内贔屓だ。

3点ビハインド、9回裏ノーアウト満塁で代打北川博敏。ツーストライクと追い込まれて4球目を振りぬくと、打球はセンターややレフトへ。

実況は「打ち上げた!大きい!あ~!あ~!」と叫ぶ。

ほとんど実況になっていないところに、テレビの前の観客はとんでもないことが起きたことを知り、感動を呼ぶのである。