クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

昭和も遠くなりにけり

小学校で相方が子どもから「先生何年生まれ?」と訊かれたらしい。

相方は「西暦で答えれば引き算をして年をバラすつもりだ。女性が年齢を気にすることを知ってて訊こうというのだな」と察し、「昭和○○年」と答えた。すると西暦で返ってくると想定していた子どもはうろたえて「昭和?今令和だよ。本当に昭和なの?」と急にアワアワしたらしい。

 

人生で最も多くの時間を過ごしたのはというと「平成」となる。計算上、1960年以降の生まれならそうなる。したがって、私も昭和の記憶なんてほとんどない。

唯一、祖父が昭和の最後、1989年の1月、昭和天皇崩御の直前に亡くなったので、葬式の記憶があるばかりだ。

しかし、未だ役所に出す書類は元号なので、「昭和」に丸をするたびに「ああ、昭和生まれ」と感じる。そして西武遊園地のポスターなんかを見て「昭和レトロねえ」と複雑な気持ちになる。

昭和レトロの火付けと言えば映画「ALWAYS 三丁目の夕日」だ。

この昭和レトロについて経済学者の野口悠紀雄が面白い分析を書いていて、昭和レトロに郷愁を感じるのは昭和30年代に今と同じインフラが揃ったからというのだ。

どういうことかと言うと、電車もテレビもマイカーもガスコンロも、今ほど普及していないとはいえ、この時代に出そろった。ネットもパソコンもないけれど、色の付いた画面を眺めているのには違いない。満員電車は今も変わらない。

現代の風景に少しセピア色を加えれば昭和レトロはイメージできる。

 

元号が令和になった時、「令和ブーム」が起きた。

これをホリエモンが「びっくりした」とYouTubeで語っていたが、私も同様に驚いた。特に若者が「令和!令和!」と言って盛り上がったのだから、元号なんて古いと思っていたわれわれ世代の方が冷め過ぎている。

思うにあれは新しい時代の到来を待ちわびているのである。

昭和も遠くなっているということは、確実に新しい時代が来ている。その中で新しい何かになりたいというある種の変身、進化願望を抱えながら生き続けているのは特に若い世代にあって当然のことなのかもしれない。