最近、自分に残された可能性について考えることがある。
不惑となった今から弁護士や医師になれる可能性は低い。オリンピックで金メダルを獲るのは、よほど私のための競技でも新設されないと無理。
しかし、ガイド付でエベレストに登るのならできるかもしれない。
3歳くらいまでならぱっかりと開かれていた将来への可能性が時間と共に徐々に閉ざされていっていく一方で、「諦めたらそこで試合終了だ」という名文句が出てくる。
人生とは努力と諦めの折り合いの集積と言えるかもしれない。
謙遜ではなく私の知能指数はそれほど高くない。だから、文理選択の時に数学は苦手ということで文系を選び、大学入試も二次試験に数学のないところを受けた。
ところが人生わからぬもので、社会人になって最初にやったのは化学式で、初歩ながら数学的なものもやる羽目になった。今では数字を見ない日はないという具合で、自分は本当に数学嫌いだったのかと思う日々が続いている。
こうなると今までの諦めは性急で、もうちょっと努力すべきだったような気もする。しかし、今から大学で理系の研究者となるのは無理だ。他人との比較や勝手な理想像に対する適度な諦めが「嫌い」という意識を消したとも分析できる。
まとまりのない文章になってしまった。
今は「できなかったこと」が少し「できること」になるのが楽しい。そう言っていられることを増やしていきたい。