クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

走ることについて-3

私はわりと過去の記憶がいい。なんでもない景色、エピソードをよく覚えていて、家族や知人に驚かれる。ただ、それは比較的無口で、独りでいるときに過去の出来事を昔漬け込んだ梅干しを床下から取り出すように味わっていたからかもしれない。

走る記憶として幼稚園の運動会が残っている。リレーでバトンを受け取り、コーナーで転倒した。ただ痛みに鈍感な私は泣きもせずに起き上がるとそのまま走って次につないだ。

当時の私には転倒もビリでつないだことも負の記憶にならなかったようだ。負の記憶は見事に私の歴史から抹殺されている。

 

ここ数年は記憶が残ってない。特に会社での出来事については頭にデリートボタンがあるかのようだ。

一方で最近の時系列は休日の日程によって記録されている。例えば2015年は1月甲斐駒ヶ岳、5月大杉谷、9月熊野古道、12月西穂高岳という具合だ。登山以外の記憶がない。

 

三浦ハーフマラソンの後も走っていた。大会には出ていない。路上では得られない刺激がほしくなり、雪山や少しレベルを上げた登山を目指していた。当然体力は必要なのでもっぱら体力強化のために走っていた。

女性は33歳が厄年だという。確かに周りにも厄年に色々な異変のあった女性が多い気がする。本人の自覚がなくても、人生の中での転機が身体や意識の変化とともに現れるものらしい。ある意味この時期は私の人生と走ることについての厄年だった気がする。

2016年3月に再びマラソン大会に出場した。ずっとトレーニングは続けていたので完走の自信はあった。まがいなりに平日5kmほど走り、週末は10km走った。しかし、全てを走ることに捧げていたわけではない。多少走っては、夕方には酒を飲み寝ていただけだった。

 

2016年の大会は悲劇に終わった。

大会の号砲が鳴って1時間後、気がついたら仰向けに寝ていた。空は不機嫌そうな灰色だった。何が起きたかわからず起き上がろうとすると止められた。しばらくして救急車に搬送され、頭を検査し、顔の傷を縫われた。

帰路は、途中棄権のショックより最近の怠惰な生活を思い返していた。

八ヶ岳のバリエーションルートや丹沢の沢登りなど、何かを振り払うように危険に身を投じていた。玄人からすればどうとでもない活動だが、精神が荒んでいたのは確かである。

しかし、『月と6ペンス』のストリックランドのように何かに完全に身を捧げることはできてなかった。

 

サマセット・モーム『月と6ペンス』はゴーギャンをモチーフにした画家を描いた作品である。ゴーギャンが奇行とともに多少の社会性を持っていたのに対し、本書の中心人物であるストリックランドは社会性や人間性をも捨てた所謂「壊れた人」だ。絵のために家族を捨て、人妻を奪い、そして捨てた。全ては絵のためであり、家族を捨てた後の半生を絵に捧げてしまう。

この本を読んだ直後、飯嶋和一『始祖鳥記』を読んだ。主人公の幸吉は常識的な市井の人としてくらしながら飛ぶことに異常な執着を持つ。そして社会的地位や名声を捨て去ることを覚悟で空を飛ぶ。

両者の共通点は行為に理由はないのに人生をあっけなく差し出してしまうことだ。一般的には狂気と言えるだろう。しかし、狂気という言葉より'crasy'と言った方が適当かもしれない。ただ「狂っている」というより「熱中する」の意味が複合するからだ。

当時の私に足りなかったのは'crasy'になることだった。

 

初めてマラソン大会に出た頃と共通していたのは、この時期も最悪に仕事へのモチベーションが下がっていたことだ。それを振り払うためにフルマラソンに出場したが、何かが私を叩き落とした。

走ることの神がいるとしたら走ることに純粋になれていない私を払い落としただけだった。