クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

走ることについて-5

スポーツには不思議な距離がある。

野球の投手と捕手の距離、塁間など不思議だ。投手の球は打者の眼が捉えるギリギリで投じられ、走者が盗塁を奪うか捕手が刺すかもギリギリに設定されている。グラウンドを「ダイヤモンド」と例えるのはなかなか秀逸な表現と言える。

テニスのコートもプロ・アマを問わずなかなか絶妙な大きさだ。プロは球足も速いが、それに追いつく脚力もある。アマチュア同士の試合では球足は遅いが、脚力もその分ないので試合は成立する。

それでは、42.195kmはどうだろうか。メートル法に慣れたわれわれには何とも中途半端な距離だ。しかし、フルマラソンの成否は2.195kmの扱いに掛っている言える。

 

2017年12月奈良マラソンに出場した。

エントリーはインターネットで先着順だが、受付開始とともに回線がパンクする。運よくエントリー画面に入れた者だけが出場権を手にすることができるという仕組みだ。地方都市とはいえ人気の大会である。運よくエントリーできた私は寒さに震えながらスタート位置についた。

奈良マラソンはスタートすると、まず奈良市街から西の大阪方面へ進み、途中でいったん南に下る。そして折り返すと再び奈良市街に戻り、奈良公園を通って南の天理市を目指す。都市マラソンの特徴は必ず折り返しが発生することだ。フルマラソンの距離を確保し、道路封鎖や警備の距離を縮めるには折り返しを設けるしかない。「いわて銀河チャレンジマラソン」のように折り返しがほぼない(1カ所、数百メートルのみ)大会はレア中のレアだ。陸連公認のこの大会は、私にとって記録を意識する大会と言えた。

 

半年前に100kmを走ったせいか完全に距離感が狂っていた。42.195kmなんて100kmの半分以下だ。目標タイムは3時間30分だが、逆に言えばその程度の時間を我慢すればいいのである。スタート前はなめていたとしか言いようがない。

スタートするやどんどん周り抜き放った。「いわて銀河」は1200名程度で、奈良マラソンは1万人を超える。抜くときも10人、20人以上を団体で抜くことになる。速いランナーが先にスタートできるように、選手のゼッケンにはAから順の区分が記載されていた。私はCだったが、気が付くと周りはAとかBのゼッケンの人しかない。私が過少申告したのか、周りが過大申告したのか。

 

都市マラソンはさながら祭りのような様相を呈する。店先で歌手は歌い、せんと君はオープンカーを乗り回し、大声で騒いでいるおばさんがいると思ったら有森裕子だった。この狂騒に乗せられてペースが上がったがそれは後に後悔することになる。

 

街中を抜けると田園風景と遠くに生駒や葛城の山並みが見える。冬の澄んだ青空を雑煮の餅のような雲が流れる。街中の狂騒は後ろに消えた。

道は幹線道路を逸れ、丘の方に入っていく。丘を登る決意を固めていると、坂道の入口に異様な音を聞いた。

一人の年齢不詳の男が音響機器を背に声を上げている。近づくと大音量の音楽をかけ、男はひたすらランナーを鼓舞していた。曲はRCサクセッションの「雨あがりの夜空に」だ。男が何を叫んでいたかは不明だが、この曲は耳に残った。

 

学生時代に運動部に所属した人は意外とスポーツを続けない。アスリートにしても引退しても鍛錬を続ける人はまれだ。それに反して30代前後に始めた人はその後長く続ける。おそらく日本の部活の「修行」といった要素が長続きさせない要因だろう。部活を始めたきっかけは本人であっても卒業するまで続けるのは途中で「修業」をやめてはないという暗黙の掟によるところが大きい。引退すれば掟から解放されるのだから、あえて苦行に戻らないというのもわかる。

私は中学2年でテニス部を離脱した根性なしである。練習そのものより「声を出せ」「集合の時は走れ」などとやたらに怒鳴られるのが嫌だった。

自分の意思で行う苦行は苦行にあたらない。それが大人になってわかった私にとってのささやかな真実である。

 

コースは丘を登り、下り、天理市役所で折り返す。復路は再び丘を登り返す。折り返しのあたりで足にブレーキがかかった。止まらないのが精いっぱいで、速度を調節するような余裕はもうない。毎度の前半飛ばし過ぎに対するツケが回ってきた。

 このあたりからあまり記憶がない。気を失っているわけではなく走るのに必死だ。

「どうしたんだい Hey Hey BABY!」

さっき聞いた歌が頭の中で鳴り響く。全身は元気なのに足が動かない。

「いつものようにキメて ブッ飛ばそうぜ!」

 笛吹けど踊らず。必死に鼓舞するがどんどん抜かれる。

「あとたった4kmだよー」

あと4kmということは38km地点に来たということか。目標の3時間30分は余裕だと思って少しすると37kmという表示が見える。あのおじさんはフルマラソンの2.195kmを失念しているに違いない。

ようやく40kmを通過した時には「あと少し」というより「まだ2kmある」という感じだ。この2kmが曲者である。走っている間はずっとペースを気にしているが、この2kmが計算の邪魔をし、予測タイムと残り体力の予定を狂わせる。あらかじめ分かっているのにこの距離の不思議を感じた。

最後は競技場を半周走り、ゴール。高校生にメダルをかけてもらう。メダルには「いにしへの奈良の都の八重桜・・・」と刻まれていた。