同級生のライダーとは北海道に入って4日目に別れた。最初から日中の行動はバラバラだし、バイクと自転車ではあまりにスピードが違い過ぎる。旭川を過ぎて私は一直線に知床を向かったが、彼は最北の宗谷岬の方も行ってみたいという。
旭川からは山道を登って北見峠を越えて、途中一泊し、サロマ湖を目指した。旭川を過ぎると交通量も落ち着き、静かに、孤独に自転車を進める。
北見峠から下りに入って丸瀬布という町に入った時、突如事件は起きた。
自転車を走らせていると、パチンという音。自転車が何かを踏んだかと思っていたら、車輪が回るたびに小さなカンカンという音がする。何事かと思って自転車から降りると、後輪のスポークが1本折れていた。自転車のタイヤを支えるスポークは細い針金のようなものだが、1本でも折れるとホイールのバランスが崩れ、走行不能になる可能性がある。
ちょうど街中だったのが不幸中の幸い。道を歩いている人に自転車屋がないか訊いてみる。しかし、その日は日曜日で町に一軒しかない自転車屋は休みだという。隣町は遠軽という町である。丸瀬布よりは大きいから自転車屋もやっているだろうと聞き、決断した。大きな荷物は前のキャリアに移し替え、折れたスポークは邪魔にならないように隣のスポークに巻き付けた。ホイールがぐにゃぐにゃに曲がったらおしまいだ。車輪が壊れないよう祈りを込めて静かに自転車に跨った。
遠軽では昭和30年代くらいからやっていそうな寂びれた自転車屋で「職人」といった風情のおじいさんがテキパキと修理にかかってくれた。丸瀬布から遠軽までの20kmの間にスポークはもう1本折れて、ホイールはブレーキにあたるほど歪んでいたが、「職人」の鮮やかな技で復活した。
「こんな修理できる自転車屋はなかなかいないぞ!」
「職人」は「兄ちゃん、運が良かったな」というニュアンスと自分の技量への誇りを言外に秘めて言った。私はその意をくんで「さすがです!」「助かりました!」と最大限の賛辞を送って外の出た。
出るとそれまで曇っていた空がいつの間にか晴れていた。
遠軽で自転車を修理してもらうと不意に空腹を覚えた。
この自転車旅行中、ずっと菓子パンを齧り水を飲んで進んでいたが、自転車のトラブルで少しほっとしたのか、北海道らしいものを食べたくなった。町を出て少し行くと土産物屋兼食堂といった赤い屋根の建物が建っていた。のぼりに「カニ」という文字を見てそちらへ自転車を滑らせて行った。
昼食の時間はとっくに過ぎて客は他にいない。テレビで高校野球をやっている。カニ飯を注文するが、店のおばさん、兄ちゃんとも仕事は上の空だ。手が空くとテレビに注目している。
その日は甲子園の決勝だった。駒大苫小牧と早稲田実業。田中将大と斉藤祐樹の両エースの投げ合いになる試合にその店だけでなく北海道中が注目していた。時折、駒大の選手が凡退したのか「あ~!」という声が上がる。店に配達で来たおじさんも「今どうなってる?」と言ってテレビを覗き込む。
私は出てきたカニ飯をきれいに平らげると、お代を払い、足音を殺して外に出た。
坂を下るとすぐに海だった。
もう夕方になっている。今日どこに泊まるか。『ツーリングマップル』を見るとキムアネップ岬というところに無料キャンプ場があるらしい。ライダーハウスといい、北海道のツーリング事情は素晴らしい。しばらく地図を眺めていると後ろから自転車の人が近づいてきた。
ドロップハンドの自転車に跨った細身で日に焼けたお兄さんだった。「こんにちは」とだけ挨拶を交わしたが、特にそれ以上の話もなく、お兄さんは風のように行ってしまった。
しばらく海沿いを走ると前方に黄色いシャツを着た自転車の人が見えた。少しずつ距離が縮まっていく。やがてそれが女性であることに気付いた。サンバイザーの後ろから一つに束ねた長い髪が下がっている。「カッコイイ」思わず呟いた。
徐々に距離を詰めながら進んでいると、先ほどのお兄さんが道端で写真を撮っている。会釈しながら追い越す。
前を行く女性にもう少しで追いつきそうになった時、ふと後ろを見るとすぐ後ろにお兄さんがピタッとついていた。私もここで追い抜くような無粋なことをせず、3台の自転車はまるでチームのように等間隔で走り、途中の分岐でゆっくりと停車した。