クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

‘90アメリカ滞在記・7歳の見た異国ーアメリカに住む

私たちが住んだのはケンタッキー州レキシントンという街だ。

住まいは学校裏の閑静なアパートで、アパートであったものの、玄関へ続く石段は各家で別れており、中も二階建てで、極めて一軒家に近かった。

玄関をくぐると廊下があり、右手にダイニングキッチン、左手は二階へ続く階段。ダイニングキッチンには日本で見たこともない天井ファンが付いている。キッチンは渦巻式の電磁調理器と食洗器があった。当時は食洗器のある家が珍しかったので、これにも驚いた。

廊下の突き当りはリビングで、ソファや家具は備え付け。日本のように天井には照明がなく、すべて白熱球の笠のついたランプだけだったので、暗いときは少々往生することになる。

リビングの窓からは芝生と木々が見える。芝生は時々刈る必要があり、それは夫の仕事である。芝が伸びていると「あの家の夫は甲斐性がない」とされるらしい。ただ、芝刈り機をわざわざ買うのももったいないので、うちでは近所に住む日本人家族から機械を借りていたようだ。

アパートとはいえ、庭付きでなかなか自然豊かだった。庭には時折、リスやチップモンクが現れ、夏になると蛍が乱舞して、部屋の中にも入ってきた。

 

私と妹はアメリカに住むなり、すぐに学校へ入ることとなった。私は小学校1年生になる年だったが、英語が全く話せないということでkindergarden、つまり幼稚園に入れられた。妹は1歳5か月違いで、幼稚園の年少組。日本で卒園してきたばかりなのでやや納得いかないが、英語がまったくできないので仕方ない。

日本人に英語コンプレックスの人は多いが、それでも大抵の人は中学と高校だけで6年は学習している。大学に行けばプラス2年も付くし、最近は小学校でも英語教育があるそうだから、年数だけは伸びている。しかし、それでもコンプレックスを持つ人が多いのは、単に日本国内では使う必要がないからだ。

私は当時7歳。英語どころか日本語もひらがなとカタカナしか書けないし、何が英語で何が日本語かの区別もつかない状態で、英語社会に放り込まれた。良くも悪くもアメリカでは英語以外は通じない。日本で日本語しか通じないのと同じである。おまけに日本人が英語を少しは理解しようとするのに対して、アメリカ人は日本語なんか端から理解しようとしない。私は7歳ながら大変な事態になったことに気づいた。

 

初めて学校(幼稚園だけど、一応学校と表現する)へ行くと、先生がデカかった。先生は2人いて、1人は白髪で細身長身のおばあちゃん先生。もう1人は金髪でがっしりした体格のこちらも女性の先生。おばあちゃん先生は170cmはあっただろう。うちの両親がやけに小さく見えた。

周りの子どもも一様にデカい。私は日本では平均より大きかったが、こちらでは小柄な部類になる。おまけに金髪、青い目の子もいれば、チリチリヘアーで色の黒い子もいる。東洋人はほとんどいなかった気がする。

成田から乗った飛行機を降りる際に私たち兄妹は母親からこんな注意を受けていた。

「降りたら髪の金色の人とか目の青い人がいるけど、笑ったりしたらアカンよ!」

今よりずっと賢かった当時の私にそんな注意は無用だった。飛行機から降りた瞬間から自分たちの方がマイノリティーであることが明らかだったからだ。そして、学校に行ってからも自分は少数派中の少数派、おまけに英語も話せない珍しい奴であることを即座に理解した。

 

さて、最初は同じ教室に日本人がいたので、困ったとき(主に困るのは先生の方だが)は彼に少し通訳してもらった。ただ、7歳児の言葉を7歳児が通訳するのだからたかが知れている。おまけに彼はある程度英語の上達が認められたので、小学校のクラスへと移って行ってしった*1。私が自分の意思を伝えるには自分で英語を覚えるしかなかった。

辞書も引けない少年がどうやって英語を覚える唯一の方法は通じる言葉を探すことだった。日本語でもカタカナで書くものの中には英語が混じっていることを何となく察していた。とにかくカタカナ言葉を発してみて、相手の顔をうかがう。「何を言っとるねん」という顔をされたらそれは英語ではない。「あー!」という顔をされたらそれが英語なのだ。

これは大人にはわからない根気のいる作業である。大人なら辞書を引けるし、"What's ××?"と訊くこともできる。しかし、7歳の私にできることは手持ちのわずかな知識を駆使して英語を地道に探索することだけだった。

こう書くといかにも独習で英語を習得したようだが、体系だった英語ではないので日本に戻ってからはすっかり忘れてしまった。

ただ、面白いのは、日本語すら怪しい状態でいろいろ覚えたので、いまだに日本語より英語の方が先に出る言葉があることだ。例えば、私は「教会」より先に'church'という言葉を聞いたので、今でもchurchの方がしっくりくる。滞在時期も最後の方になると'cow'は日本語で何だったか思い出せないこともあった。

英語の早期教育の是非がしばしば取り上げられるが、個人的な意見としては、言語は通じることが重要なのだから、早めにやっても問題はないと思う。日本語が完全に固まると、日本語から英語を理解しようとするので、どうしてもコミュニケーションのスピードが遅くなる。それに日本では「口から先に生まれたような」は悪口だが、アメリカでは先に口を出さないと立ち遅れる。テキトーでも伝えることがアメリカ社会では重要だと知ったのは語学力以上の収穫だったかもしれない。

*1:その学校は小学校と幼稚園が同じ建物内にあった