クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

山を撮るということ

また社内報の表紙に写真が採用された。とはいえあくまで無給である。

今回はカナダ・カナディアンロッキーの山並みで、今年10月に撮ったものだ。私がカナダに行ったまま台風で帰ることができなくなったのは周知の事実なので、犯人は自明。新年号として出すのに、昨年の話を蒸し返されるのは必至となった。


私が登山や旅行の時に携わるのは一眼レフCANON EOS Kiss X4。子どもができたばかりのパパ・ママカメラとし知られる。今はX9まで出ているロングシリーズとなり、私の買ったのはもう10年以上前になる。

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最初は骨董品を扱うような扱いだったのが、今やケースにも入れずに古いフリースを自分で切って作った巾着袋に入れている。山では剥き身のままストラップをたすき掛けにしているので、岩やらにガンガンぶつけて傷だらけ。いつ壊れても不思議はないが、故障知らずなのはさすがジャパニーズブランドである。


今はカメラが売れなくなっているらしい。スマートフォンのカメラが進化し続けてもはやカメラ単品を使う必要はないのだ。iPhoneのカメラにはSONYのαシリーズと同じ部品が使われているらしく、確かに明るい中での写りに遜色はない。画像の編集機能はむしろカメラ単品より上なので、撮ってすぐにSNSに投稿したい人はスマホの方が便利だ。

コンデジからWiFiスマホに飛ばすくらいなら最初からスマホで撮れば良い。私も最近は沢に防水カメラ(OLYMPUS TOUGH )を持ち出す以外はコンデジを使わない。

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スマホ最大の欠点は壊れやすいことか。そのうちスカイツリーから落としても、象が踏んでも、深海に行っても大丈夫なモデルが出たらコンデジは不要になるに違いない。


しかしながら、気合いを入れて何かを撮りたくなることが時々ある。さほど力量があるわけではないので、こんなことを書くのも恥ずかしいが、その時は一眼レフを使うことにしている。

一眼レフとスマホの違いはファインダーを覗くことだ。スマホコンデジは画面を見ながら撮るので、ある意味で失敗も成功もすぐにわかる。常に画面の中に正解がある。

一方の一眼レフは撮る瞬間に内部のレンズが回転する構造になっている。レンズが回転するわずかな間は目に入る光が遮られるので、撮ったシーンを撮影者は厳密には見ていない。デジタル一眼はすぐに画面で画像を確認できるわけだが、それでも呼び出さないと成否はでないわけだ。

撮る時と撮れているかどうかのワクワクは一眼レフの方が勝るし、私はそちらの方が好きだ。


山で写真を撮るには朝と夕方が良い。光の溢れる街中を出ると世界の明暗がくっきりと浮かび上がる。

昼間になると、美しいことは美しいのだが、どうしても絵葉書のようになって、なんだかガッカリした写真しか撮れなくなる。朝夕はそれほど腕がなくとも行った者の特典としてそれなりに見せる写真になるような気がする。

しかし、朝夕の薄明かりだけで撮るにはどうしても失敗がつきまとう。肉眼ではいいなと思っても撮ってみるとボケボケにしか写らないのはザラだ。積雪期は撮った後に画像の確認するのも面倒になるので、とりあえず同じアングルで何枚か撮っておくものの、下山して確認すると何十枚もピンぼけを作っているばかりになる。

まあ撮れるかわからないのがまた面白いとも言えるのだが。


山で写真を撮るのは記録ということともに後から自慢するためでもある。いくら絶景を目にしても共有できないと何にもならない。いい写真を探して私は山を徘徊している。

その中で気づくのは山に入って初めて気づく影の世界である。光を撮ろうとすると影を探さないといけない。白黒写真の時代は余計にそうだろう。影のない写真は抑揚のない音声のように味気なく感じられる。

いい光の写真はいい影を気づかせてくれる。ただ、そのために私は盛大にピンぼけを毎度生み出しているのだ。

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