クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

山屋の魂 ピッケル

実家に古ぼけたピッケルが置いてある。木製シャフトのシャルレ。父のもので、今から40年ほど前の代物だ。木には細かい傷がびっしりとつき、鉄製のピックには錆が浮かんでいる。長さは60cm超で手の長い私が持つと地面を引きずるくらい。登攀用というより杖と言った方がよさそうだ。

昔のピッケルは、それはそれは高級品だったと聞く。なんでも3万円以上はしたという。当時の3万円だから今なら10万円以上に匹敵するだろう。それを得意になって持ち歩いていた。今でも夏山にピッケルを持ってくるオジサマを稀に見かけるが、雪面滑落など絶対にないルートで持っているのだから、あれは実用よりピッケルを持っているという自慢だろう。おそらく昔から山には得意然とピッケルを持ち込んでいたに違いない。

 

父は昔、会社の山岳会に属していて、雪山から岩登り、沢登りまで一通りやっている。当時の雪山訓練は滑落停止と耐風姿勢で、これにはピッケルが必須だ。滑落停止は背中から雪の斜面に落ちたところから俯せになり、ピックを斜面に突き立てて止めるとされる。

まあ難しい。というか無理である。傾斜が緩やかであれば止まるが、緩やかなら止まるまで滑ってもいいようなもんだ。しかし、現実に止めたいのは急斜面での滑落であり、その際に身体を滑りながらゴロリんと反転する余裕なんてない。もう仰向けだろうが俯せだろうが構わずに雪面にピッケルを突き刺すしかない。何もピッケルにかかわらないので、アイゼンで踏ん張ってもよい。とにかく初動段階で止めることなのだ。

えらそうに書いてみたけど、私が滑落したのはただの1回。西穂高の頂上近くで、その時は俯せになるよりアイゼンを雪面に突き刺して止めた。しかし、もう少し勢いが付いたらアイゼンなんかでは止まらないだろうし、そうなったらピッケルで停止できるかは甚だ心もとない。

しかしながら、わが父は5月の残雪期に朝日連峰へ行った際にメンバーの1人がピッケルを忘れたと知るや、全員で町中(確か仙台だっただろうか)の登山用品店を探索し、1本だけ残っていたピッケルを買ったそうだ。この話を聞いた時は、雪山にピッケルは必須なんだなあくらいにしか思わなかったが、今にしてみれば緩斜面ならストックだけで十分な気がする。むしろ残雪期の柔らかすぎる雪面にピッケルは刺さらないので、手に提げているだけで使わないことすらある。

それでもなおピッケルを必死に探すのには、実利的より精神的な理由があるだろう。山屋が雪山でピッケルを持たないのは、武士が刀を忘れるように。

 

 私が初めてピッケルを手にしたのは雪山を始めた8年ほど前。登山用品店で見ると1万円から3万円台までいろいろある。ペツルのサミットとかサミテックなんかはカッコよいものの、お値段2万円也となっている。

私は結局、直前に買ったアイゼンのメーカーと同じグリベルにした。モンテローサというモデルでお値段1万円弱。全体が黒い武骨なもので、シンプルと言えばシンプル。ペツルやブラックダイヤモンドのようなシャープさはない。カッコいいかは最初は微妙だったが、雪面に突き立てて写真にするとよく見えたりする。

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元来、ピッケルは滑落停止とともに足場を切るという役割を担っていた。シュタイク・アイゼン、通称アイゼンという鉄製のスパイクが登場する前の登山家は靴底に鋲を打っただけの靴を履いていたため、足場を平らにしないと滑落する恐れがあった。そのため、ピッケルには先の尖ったピックの反対に雪面を削るショベルが付いていた。昔のピッケルが今より長いのは足元までこのショベルが届かないと削るのに不便ということがある。したがって、父のシャルレも真っすぐで長い木製シャフトで、今の子どもが見れば工事用ツルハシと変わらない印象となっている。

今の流行りはベントシャフト、シャフトがピックの先の方向に曲がっている。これは雪壁を登るアイスクライミングの影響で、ピッケルを杖ではなく斜面に引っ掛けて登る志向が強くなった現れである。本当にそんな登り方をするかはともかく、緩斜面ではストックの方が便利なので、ピッケルは急斜面に特化した形になっていったと言えるかもしれない。

常に流行には背を向けて生きている私ではあるが、そのうちこのベントシャフトに浮気心が出てしまった。ピッケルは武士の魂たるものなので、昔なら1本と決まっている。なにより輸入品で新卒給与並みの金額が付いていたのならなおさらである。しかし、今は安ければ1万円で、縦走・バリエーション・アイスクライミングで使い分ける人も多いと聞く。先のグリベル・モンテローサで5月の奥穂高岳に行ったときは、シャフトが長くてピックを刺しにくかった。西穂高岳に行った時もベントシャフトを持つ友人たち

うだうだと考えていたらカモシカスポーツ横浜店のアウトレットコーナーで半額になっているピッケルを見つけてしまった。クライミングテクノロジー・ハウンドG。

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 やや前傾しており、オプションのハンドレストを付ければアイスクライミングも可。そんな使い方はしないけど、そんな情報だけで心躍るのが男の単純なところだ。甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根の上部の雪面なんかはピックを刺すことが多いのでストレートシャフトのモンテローサより楽。シャフトが短いので、バックパックにも付けやすい。歩き中心の登山ならストック1本とハウンドというところに落ち着いた。

 

これで大したこともしていないのにピッケル2本持ちになってしまった。武士も大刀を2本持ったりはしないので、少々複雑だ。ピッケルが山屋の魂なら魂は2つあってはならない。今はピッケルが廉価になった分、ただの道具になったしまった感がある。

十数年前にクライマー・山野井泰史さんは雑誌のインタビュー記事で「道具に愛着はない。山で使って、畑で使って捨てる」と語っていた。実際、登山ウェアや道具は最後に畑を守る案山子になり、どうしようもなくボロボロになれば捨てているようだ。道具の本分は使われることだから、使わずに添い遂げるより壊れるまで使いつくすのが愛情だろうか。

こうなったら私は2本ともボロボロになるまで使うしかなく、雪山も止めるに止められない。

 「死んだらやるわ」と父は話している。

山屋の魂。父は山に登らなくなっても死ぬまでは手元に置くらしい。