クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

登山とタバコに関する考察

北八ヶ岳で頂上を目指さない登山をした。
頂上を目指さないと言えども見晴らしの良いところはあるので、そこではお菓子やら何やらを食べる。
そうしてのんびりしていると、ぷかりぷかりと煙が漂ってきた。
タバコである。

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会社員になった十数年前、最も驚いたのは社会の厳しさでも、大人の狡猾さでもなく、喫煙率の高さだった。
大学時代は学内に喫煙所が一箇所しかなく、友達にも喫煙者はいない。それが会社に入るや、社内に喫煙所があり、勤務中にプカプカやるのには心底驚いた。吸わない人は仕事するしかないのだ。

そんな時代は終わりを告げ、いたるところで喫煙所は撤去され、駅も公道も禁煙。飲み会も幹事が喫煙じゃない限りは禁煙席を予約され、禁煙可の店でも「吸ってもいいかな?」とお伺いを立てないといけず、ついには勤務中は禁煙の時代が到来している。
あたかも喫煙者に同情的に書いてみたが、私は生まれてこのかたタバコを吸ったことがない。

山ヤが喫煙して良いことは何もないと言っていいだろう。
心肺能力が下がる。持ち物が増える。火の始末が加わる。それでも愛煙家は山でのぷかりを求めて頂上を目指す。
昔の山ヤはビールにチェーンスモーキングと、不健康なことが大好きだったらしい。なぜ健康を必要とする登山に不健康を好む人間が登るのかは難しい問いだ。ただ、私の父が昔山友達を自宅に招いて飲み会をした時は煙が立ち上っていた記憶がある。

登山は一見健康的な行為ながら、危険を伴う分、不健康な行為と言える。矛盾するようだが、健康であればあるほど危険な岩場や沢に突っ込めるので、長生きから遠ざかるという意味で不健全になる。
その意味ではタバコ好きな山ヤと変わらない。むしろ昔の山ヤほど、登山の持つ本質的な矛盾を自分の体現してるのだ。

北八ヶ岳のある展望台で、ぷかりぷかりと煙をふかしたおじさんは登山用ストーブとカップカレーうどんを出して火をつけた。
無理な我慢、ストレスが一番の不健康だということだろう。