クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

宝くじに当たったら不幸になる問題について

年末ジャンボ宝くじの時期である。

書いてはみたが、私は宝くじに全く興味がない。数学で言うところの「期待値」を見てから、なんだかアホらしくなってしまった。宝くじ1000円を買って返ってくる金額の期待値は300円程度。

なんで1000円出して300円のものを買わなきゃいかんのかと。

 

それはともかく、熱心な購入者がいるから成立しているのも事実である。近くの後輩が「あー、宝くじ当たったら絶対会社辞めてやる!」と呟いていたようにみんながみんな私のように冷めた考えでいるわけではないらしい。

その一方で「宝くじに当たると不幸になる」という本やらネット記事があり、定期的に話題になる。

「お金がないと不幸」というのは古今東西を問わずの共通認識である。しかし、「お金があっても不幸」となると「こはいかに?」(これは一体どうしたこと)となる。

 

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妙義山で見つけた富の象徴・大黒天様

 

よくある話は、高額当選がわかった瞬間から、知人、親戚がたかりに来て、あっという間になくなったとか。あるいは仕事を辞めたら、奥さんに離婚話を切り出され、財産分与で金もなくなり、仕事まで手放してしまったとか。

いずれにせよ、共通しているのは「以前よりもお金がなくなった」という点。

宝くじの不幸は決して「お金がある不幸」ではなく「お金がなくなった不幸」である。高額当選となると「ある瞬間」と「ない瞬間」の落差が大きいので、より不幸に見えるのだ。

 

思うに日本の宝くじは中途半端過ぎる。

年末ジャンボ宝くじの一等は7億となっているものの、前後賞は1億5000万。年収500万なら30年分。裏を返せば使い切れる額である。

普通に使い切れる額に対して大勢で食いつけば、骨も残さずなくなるのは当然だ。

アメリカみたいに15億くらいにすれば、事業とか投資みたいな真似をしない限り使い切れないだろう。それにアメリカなんかではお金がない人ほど宝くじを買うらしい。仮に大金を手に入れて手放してもチャラ。以前よりなくなるなんていう不幸はないので、あまり不幸な感じはしない。

宝くじに当たった「杜子春」みたいなもので、元の貧乏に戻っただけなのである。

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大黒天様とよくセットになる恵比寿様

聞くところによると、お金を最も使わない仕事は山小屋のアルバイトらしい。

住み込みで賄い付きなので生活費は実質ゼロ。金を使おうにも山中だから使いようがない。服装もスーツを着るわけでもなく安く上がりそうだ。賃金のわりに金は貯まるが、使い方そのものを忘れそう。

サラリーマンも年中ポロシャツにジーンズくらいにしてくれるともっと安く上がりそうなものだ。沢木耕太郎さんは雨の降る日に傘を差さなくてはいけないというのが引き金になってサラリーマンを1日で辞めたらしい。ちょっと極端な気もするが、衣食住にこだわらなければいけないと金がかかる。

金が入れば余計に金をかけることができるし、かけざるを得ないというスパイラルに入るので、いきなり大金が入ると感覚が狂っていく。金のある不幸の正体はそのあたりだろう。

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金の匂いのしない毘沙門天

野田知佑さんは、昔軽蔑の意味を込めて、現金書留で手に入れた壱萬円札を画鋲で壁に刺し、必要になれば引き抜いて使っていたという。田舎では本くらいあれば食料その他は自給できるので、金を必要としない。お札も画鋲で刺して置いておくくらいの価値しかないのである。

お金がなくても幸せになるためにはお金を使えないところに行くしかない。