クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

名人のセカンドライフは?

今年の将棋・A級順位戦羽生善治九段がピンチのようだ。

A級順位戦は将棋界の上位10名で争うリーグで、1年をかけて総当たり戦をする。上位1名は名人挑戦者となり、下位2名がB級1組に降格となる。

羽生九段は現在2勝4敗。ここから3連勝すれば何も問題はないし、4勝5敗での残留はいくらでもある。しかし、同星の場合、前期の成績に基づく順位が下の者から降格となるので、順位8位の羽生九段が苦しい立場となっている。

A級順位戦は名人挑戦者決定戦というのが大名目の棋戦であるものの、降格レースの方が注目を浴びるという不思議な要素がある。それもそのはずで、かつての大名人も降格の危機に立たされる時が来るという時の残酷さを象徴しているからだろう。

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実力制名人が登場したのはここ100年の話となる。十三世名人の関根金次郎が引退し、木村義雄が名人位に就き、ついに終身名人制を廃止した。これには、名人位が実力本位になるとともに、かつての名人もタダの一棋士に戻るということを示している。

その憂き目に最初に遭うのがこの制度の創始者たる木村義雄で、塚田正夫に名人位を奪われた際は、自分の作った法で処刑された秦の商鞅になぞらえて自らを皮肉ったとされる。

木村義雄はその後、塚田正夫にリベンジを果たして復位。大山康晴に敗れて引退を表明する。終身名人制でなくなったといはいえ、以降、名人は陥落すると同時に「引退」を考えなくてはならなくなった。

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大山康晴はA級を落ちれば必ず引退しただろう人物である。

「だろう」というのは実際には陥落せず、そのまま鬼籍に入ったからで、絶体絶命のピンチを辛くもしのいで、「終身A級」を勝ち取った。木村義雄升田幸三がすっぱりと引退したのに対して、大山康晴は死ぬまで現役、死ぬまでA級を貫いたことになる。

大いなる模範であるが、後代の重荷となったことも間違いない。これ以降も永世名人はA級陥落が即引退かと言われるようになる。

永世名人ではないが、米長邦雄はA級陥落とともに順位戦に参加しないフリークラスに転向した。

同世代で十六世名人の中原誠はA級陥落とともにすわ引退かと騒がれたが、B級1組で指し、その後引退。この時は塚田正夫がB級1組で指したことを例に引いて「それもあり」となっている。

伝統の競技では何事でも前例が持ち出される。

 

永世名人が陥落しても指し続ける前例を作ったのはある意味で十七世名人の資格を持つ谷川浩司だろう。

現在、B級2組で続けているが、今のところ永世名人資格者でB級2組以下で指した棋士としては唯一ということになる。十八世名人の森内俊之はフリークラスに転向しており、羽生九段はA級にいる。

思うにかつての名人は今よりもっと大きなものと考えられていた。それは良くも悪くも名人としての矜持となり、格式につながった。現在は名人の格が下がったとは言わないが、人生を賭けて戦うという凄みは少し減ったのかもしれない。

とは言え今回はタイトル99期の羽生九段が危機というのだから将棋というのは恐ろしい。この危機をどう乗り切るか、怖くも楽しみにしている今日この頃である。