クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

中国人と日本人の気質の違いのもとは?

日曜日は2時間半ほどランニングをして、疲れたので本を読みつつダラりんとしてしまった。

今読んでいるのは岡本隆司『教養としての中国史』。「教養としての~」シリーズには他にフランス史とローマ史があって、フランス史もなかなか面白い。

アメリカと中国は21世紀に入って世界をリードする二国となっているが、成り立ちが全く異なる。18世紀になって何もないところに国を作るとどうなるか、というモデルケースがアメリカなら、4000年間同じ場所に国を作るとどうなるかというモデルが中国になる。

本書は、同じ東アジアにありながら、日本人が中国人を理解できない理由がよくわかるように紹介している。

例えば、儒教はかなり現実的だということ。

儒教では自分に近い存在を優先するので、まずは親孝行を推奨する。だから親が「戦争に行くな」と言えば、徴兵拒否も容認される。公より私が優先されるわけだ。

それに「衣食足りて礼節を知る」というのも現実的だ。腹が減っては。無理はしないのである。

一方で聖書では神という存在を置いた上で自己犠牲を推奨する。自己保存が生物の本能なのだから、無茶を強いるのがキリスト教なのだ。日本人は良くも悪くも柔軟だ。「忠」という言葉で自己犠牲を肯定している。

この本によると忠義というように、「忠」を「義」と同列で扱うのは日本独特らしい。西洋の考えを違和感なく受け入れられるのは日本人の柔軟かつ軽薄さを表している。

 

その他、中国人は外来語を置き換える漢字にもこだわるのだという。

"gun(銃)"は「槍」と訳すという。確かに用途は似ているが、文脈の中で混乱をきたすことになる。漢字にこだわりがあるがゆえに、いい加減に表現できないらしい。

日本人は簡単に新語を生み出すし、さらに面倒ともなればカタカナで表現してしまう。昔聞いた話だが、中国の近代化が遅れた原因は漢字のせいだと言う人もいたようだ。

私には中国人の友達がいないので、ぜひ聞いたみたいところだ。

 

中国人は、これまた良くも悪くも融通が利かないという。

各時代の王朝も時代に対応しないまま崩壊する。初代の考えは絶対なので変えられないのだ。ここまで頑固だとむしろ潔いかもしれない。

著者の岡本先生は東洋史の専門で、中国、朝鮮、日本の関係史についての著書が多い。多くの著書で共通しているのは「わかりあえない三者」というテーマだ。

反日について深刻な顔をして報じるニュースが多い。ただ、歴史的な視点で見ると「わかりあえない」ということが「よくわかる」という意味で、歴史は学ぶ価値がある。