さらに前回からの続き。
結局、次の日もマタギのおじさんに付いて下山したことで、昨夜からの独演会を避難小屋で聞き続けることとなった。
マタギのおじさんは猟師であるだけでなく森林ガイドであり、県の森林パトロールでもある。この日はプライベートというわけではなく県職員として山に登っていた。
私が気になったのはマタギであり山からの恵みを受ける身として世界自然遺産となった白神山地をどのように思っているかだ。来る前に見た書籍などでは青秋林道の中止と白神山地への立入禁止のやや込み入った経緯が垣間見えた。
マタギ、森林ガイド、県職員。これらを兼業しながら白神山地についての想いを聞いたみたかった。
「ブナというのは"木"辺に”無い”と書く。これはブナが昔は価値がなかったからだ。ブナ林を皆伐して何もないようにしてしまった」
「全部切っちゃったんですか」
「そう。そんで『ここに何があったんですか?』と訊かれたら『ブナがあった』と答えたんで、木が無いという字があてられた。それまでは『山毛欅』という字もあった」
幾多の人に語ってきたのだろう。
ただ、その語り方はガイドとしての説明に聞こえる。何か解説的で山に生きる「マタギ」の言葉ではない。山に生きる人が生活圏を奪われるというのはどうなのだろう。
「道の整備の時は基本、植物の採集は禁止。でも茸見つけたら手が出るもんな。『見んことにしとけ』って言って採る」
県の仕事をしながらも堅苦しくルールを守っていないらしい。この日も終始、煙草を吸っていたが、携帯灰皿なんて持っていなかった。
考えてみれば白神山地は世界自然遺産となってもう30年経つ。マタギのおじさんは今年69歳だというから人生の半分近くは「世界遺産としての白神山地」なのだ。過去のいろいろな来歴はあるかもしれないが、その中での折り合いはすでに付いているのかもしれない。
「他の山には行ってますか?」という質問に対し、「白神以外に浮気はせん」と答えていた。世界遺産になってもマタギにとっては「今そこにある山」なのだろう。