クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ニッポンのオジサン基準

いつも帰宅途中の電車で本を読んでいる。昨日読んでいた対談本はニッポンのオジサン批判が立て続けに書かれていて、少々げんなりした。

この手の本に登場する「ニッポンのオジサン」には、一流企業の高給取りで、交流に多様性がなく、保守的で否定的で横柄なくせにリスクと取りたがらないという特徴があって、と列記するとキリがないのであるが、まあだらしがないと酷評されている。

では自分はどうかと言うと、思い当たる節があるところもあるけど、高給取りとか含めて適合しないところが多い。「オジサン」とは何だろう?

山ではどこででも「お兄さん」と呼ばれる

年を食ってくると感じるのが自分の実力だ。

私の場合だとフルマラソンは3時間20分くらいがせいぜいだろうし、突然ネイティブ並みに英語をペラペラ喋れるわけではない。全てをできるようにはならない。

しかし、最近思うのが、実力や収入を全て「自分のおかげ」と勘違いしだすと、オジサン化が進むような気がする。

若いうちは「尖っている」、「ハングリーだ」とポジティブにとらえられるようなことが嫌らしくなる。これまで若さで隠していた人としての卑しさが目立つようになるようだ。

 

私の父親は実力主義の最先鋭みたいな意見の持ち主だったが、60を過ぎたくらいから「自分は運が良かった」と言い始めて意外な感じがした。齢を重ねて謙虚になったのだろう。

自分はどうだろうか。そうなれるだろうかと今は自問している。