クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

朝食バイキングの罠ー長野・諏訪湖にて

最近は朝は小鳥の囀りで目覚める、というわけではなく、決まった時間に目が覚めるようになった。年をとって早起きになったのだろうなどと言わないでほしい。あくまで健康だからだ。
健康だからかどうかはわからないが、朝ご飯はたくさん食べる。どれくらいたくさんかと言うと、ドンブリで食べる。普通の飯茶碗だと昼くらいには腹がぐーぐー鳴って恥ずかしいし、力も入らないし、場合によっては低血糖で倒れそうになる。私にとっては朝食が身体の資本なのだ。
普段は好きなだけ食べるのだが、旅行に行って、特に朝食付きの宿に泊まっての朝食にはちょっとしたドキドキがある。なんのことはない、自分で決められないのだ。このホテルや旅館の朝食を悪く言う人もいるが、十数年自炊を続けていると、時々の外食朝食も嬉しくもある。
ただ、それも往々にして罠となることがあるのだ。

朝食は御膳にご飯と味噌汁ではなく、朝食バイキングというスタイルが最近は多い。私のような朝食大食漢もいれば、朝はトーストくらいという人もいるからだろう。好きなだけ食べられるのはありがたい。二十歳くらいの食欲旺盛かつ金欠気味の時代には重宝される。おかわり自由となると2杯は食べないと損をした気分になったものだ。
しかし、味はとなるとまあまあ、もしくは食べられないことはないくらい。過度な期待は禁物となる。ここのところ不味い朝食にぶち当たったことはないが、大概熱々ということはなく、まあ自分で作っても大差はないというくらいが相場となる。

先週泊まった諏訪湖のホテルは食券も出さずに朝食会場に通された。ホテル宿泊の段階で朝食付きなのだろう。扉をくぐると給食チックなトレイがあり、皿が並んでいる。
「メニューを見ないで皿を取る」というのが第一の罠だ。トレイのスペースには限界があり、後からどんな皿やカップが出没するかわからない。とりあえず私は大きな皿2つと小皿2つを取った。

最初は洋食だった。ソーセージ、スクランブルエッグが出ている。ソーセージ2本とスクランブルエッグひとすくいを入れる。
次に人参と蓮根の煮物。昨晩は食物繊維に欠けるメニューだったので、少し多めに。ついでにほうれん草の煮付け。和洋混在している。
次のテーブルに移ると焼魚が出た。タンパク質は身体の資源なので取る。生卵もある。卵かけご飯は私の朝の定番だ。納豆もあるけど、そろそろトレイがいっぱいなのでパス。
その他、生野菜や豚肉の冷しゃぶを取ると大皿2つもいっぱいになり、茶碗にキョンシーの映画みたいなご飯を載せて席に着いた。

席に着くと、中国人らしき観光客がドヤドヤと朝食会場に入ってきた。1人の女性は入るなり、並べられているメニューを観察し、後ろいる夫や子どもに何やら告げている。よくわからないが、彼らは洋食が食べたいらしく、トレイを取りに戻るなり、洋食コーナーへ突進した(悪気はないけど、バタバタ動き回る様は「突進」と表現したくなる)。
このあたりは私以上に朝食バイキング慣れした感じを受ける。最初に偵察するという発想はなかった。これなら敵の罠にもはまらないというものだ。
もっとも、敵とは何で罠とは何かはっきりしないのだが。

席に着き、味は…まあまあだった。
朝食バイキングで絶品を求める方が無理なのだ。3日何も食べずにここにたどり着いたらこの世の楽園を感じるに違いない。食べられるだけ幸せ。文句を言ってはいけない
それにしても飯茶碗が小さく、卵かけご飯にするのには往生した。卵をかけると飯の表面をつるりと滑ってテーブルに卵白を盛大にこぼしてしまう。しかもおかず過多ですぐにご飯がなくなり、大盛りで2杯食べてしまった。
バイキングの最後にデザートの杏仁豆腐があったが、トレイに載せるスペースがないので、パイナップルとオレンジをサラダの脇に添える程度にし、食後はコーヒーを飲んだ。

文句ばかり書いているようで、腹一杯食べていて、ありがたい話で、自分でも何が言いたいのかわけがわからない。
前の記事でも書いた。観光メインの旅行は腹が減らない。これは登山やらマラソン大会旅行との対比であって、こちらの方が一般的であるはずなのだが、私にとっては観光の方がイレギュラー行事にあたる。こういう旅行に限って豪華絢爛、暖衣飽食になり、普段の質素倹約、一汁一菜の腹いせとばかり、がっつくわけだ。
しかし、それも罠である。腹一杯にしてからバスで諏訪大社に行った。土産物屋のお姉さんがガイドをやってくれて、「お帰りの際は名物のところてんをどうぞ!」と言われても胃袋に入るスペースはなく、桔梗屋信玄餅アイスを食したいと思えど、昼食前なので諦めざるを得ない。
どうせなら早起きして諏訪湖の周りを走るべきだっただろうか。

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写真は本題とは全く関係ない。朝食後に見物した諏訪大社である。

観光旅行の罠ー長野・山梨

長野、山梨へ観光旅行に行ってきた。

この両県は北アルプス南アルプス八ヶ岳を擁するので、個人では登山以外で行くことはなく、観光メインなんかは初めてだ。今回は個人ではなく、まあいわばビジネストリップなので仕方ないというか、二万八千円也を会社に負担してもらい、どうもありがとうございましたという旅行である。


東京鍛冶橋で集合。バスが出発するや勉強会が始まるところがビジネストリップで、一応会社への建前上は研修なので有用な情報を持ち帰らなくてはならない。

首都高速は右へ左へうねっていて、気持ち悪くなるが我慢である。その後は各社の報告。

勉強会が終わりるやカッパえびせんなどのお菓子が配られた。

なんだこのお菓子は⁈


松本には昼に着いた。味噌蔵を見学してからの信州味噌定食。

豚汁とおにぎり、押し寿司2つ。シンプルな内容ながらなかなかお腹に溜まった。バス移動で運動量が少ないのに加えて押し寿司が見た目以上に詰まっているのだ。豚汁も具沢山だった。

次に松本城見学。

普通にお城見物なのでここで書くことはない。どうせなら昼を食べた店から城まで歩きたかったが、またもバス移動。城は結構階段が急なので、運動にはなる。どうせならこのまま1000メートルくらい続けたいところだ。残念ながら松本城は6階までしかない。

続いて時計工場見学と、まさに修学旅行みたいなコースを辿って諏訪湖にあるホテルへ向かった。

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ホテルの晩御飯というのはどうしてなぜどこでも同じようになるのだろう。どこかにホテルリシピ屋さんがいて、全国のホテルメニューを給食みたいに統括しているに違いない。

一口大の前菜に必ず鮪の赤身を含む刺身、茶碗蒸し。次に固形燃料を使った鍋、今回は豚しゃぶだった。最後に炊き込み御飯に味噌汁、シャーベットなどのアイス。

小泉武夫『不味い!』を読むとやけに旅館やホテルのご飯をディスっているというか、とにかく食いしん坊には許せないと言っている。椎名誠なんかもホテルの晩ご飯(朝ご飯もだったかもしれない)は嫌いだと書いている。

私は食いしん坊の時もあればこだわらない時もあるのだが、まあホテルのご飯はどこでも可もなく不可もなしだ。日本人の最大公約数的メニューと言えば良いだろうか。

今回のメニューで行けば豚しゃぶなんかがそれで、これならわざわざ諏訪湖で食べなくても良さそうなもので、しかし不味くもないので結局腹の中でぶつぶつ言いつつ食べるのである。

まあ宴会なんて酒があればなんでもいいもので、なんでもいい人向けのメニューと言えるかもしれない。私もその例に漏れないわけだが、あまり腹が減ってないので余計にそんなことを感じた。


2日目は簡単に書く。

バイキング形式の朝食の後、諏訪大社信玄餅で有名な桔梗屋で工場見学、勝沼近辺のワイナリーで試飲をして東京へ向かい、解散。

桔梗屋で私は「信玄餅アイス」を食べたかった。噂には聞いていたものの、なかなか縁がなかったので、ここは作り立て工場の味といきたかった。

しかし…しかしである。桔梗屋に着いたのは11時で、その後は昼食とある。アイスに手を出すと昼食を美味く食べられないのは明白だ。ここは泣く泣く諦めた(と言うのは大袈裟で、山梨にはしょっちゅう行っている)。

その直後の昼食はほうとう定食で、ご飯に小麦粉の炭水化物オンパレード。女性の中にはちゃっかり信玄餅アイスを堪能した人もいたが、ほうとうはかなり残していた。


私はここのところ観光メインの旅行をしてなかった。ほとんどが登山をして、時間があれば観光もくっつけるくらいだ。登山は有酸素なので普段の1.5倍くらいは食べられる。自転車旅行なら倍くらいに膨れ上がる。空腹だと食べることも倍くらい楽しみになる。

しかし、今回はバス移動。しかも運動する時間もない。最初は本気でランニングシューズとウェアを持ち込んで、早朝諏訪湖ランをすることも考えたが、初日は飲み会で午前1時就寝となり、翌朝部屋で足上げ腹筋を繰り返すしかなかった(これも同室の人からは奇異に見えたかもしれない)。

ただの観光旅行はどうしても「食い倒れツアー」になりがちだ。ただ、食い倒れるには消費カロリーが少な過ぎる。これでは美味しく食べることはできない。

今回の観光旅行の教訓は「不味いものは腹が減っても不味い。美味いものものも腹が減らなければ美味くない」。観光旅行を楽しむにはまだまだ道は遠い。

登山・ラーメン考

会社の後輩がときどき「あー、ラーメン食べたいなぁ」と呟く。彼のおすすめは東京八重洲地下にある海老風味ラーメンの店で、ちょいちょい行っているようだ。私は美味しいインドカレーくらいなら付き合うのだが、ラーメンに700円以上かけるのには食指が動かないので行ったことがない。

 

そんなことを言っているが、多分私のラーメン頻度はかなり高い方だと思う。ラーメンだけでなく、うどん・焼きそば・冷やし中華なども含めて食に占める麺の割合は結構高い。特に登山中の食はほぼラーメンと言っても良い。

ただし、私の言うラーメンとは1杯1000円以上するミシュランガイドに載ったようなお店のものでも家系でも二郎系でもなくインスタントラーメンである。今のインスタントラーメンは素晴らしい。一昔前のインスタントラーメンはフニャフニャのちぢれ麺ばかりで、油断するとすぐに伸びてしまった。それが、今では下手な店で食べるくらいならインスタントラーメンの方が美味いのである。

前回は最近凝っているチャーハンを題材にしたが、ここのところ山食のメインを張るラーメンに注目したい。

 

日清食品・ラ王

言わずと知れたインスタントラーメンの雄である。

「ちょっと豪華なカップラーメン」として登場した時は感動した。麺を茹でるお湯とスープ用のお湯を分けるのは少々面倒だったが、初めて食べた時は「もうラーメン屋に行く必要ない」と感じた。実際、下手なラーメン屋で500円も払って残念な思いをするよりよほどいい。

しかし、残念なことに当時は生麺タイプだったので山などに持っていくことはできなかった。ちなみにラ王は凍らせてから茹でると麺が出来損ないのパスタみたいになってしまうと『面白南極料理人』に書いてある。

それが時を経て袋麺で再登場しているではないか。食べてみると麺はしっかりしているし、スープもさすがである。乾麺でこれはすごい。しかも凍るほど寒くても暑くても大丈夫。もやは死角なし。山に持って行ける。

難点は丸く編まれている麺は固いので、クッカーに入らないときに手で割ることが難しいことである。しかし、逆に言うとバックパックの中に押し込んでも粉々にならないので短所は長所であるとも言える。

そんなわけでラ王が山ラーメンの第一席を占めている状態だ。

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ラーメンばかりのテント泊


 

 

②マルタイ・棒ラーメン

20年か30年前の登山では必ず棒ラーメンが入っていたという。おそらく袋麺にくらべてかさばらず、パッキングが楽だったからと想像される。

確かにパッキングが便利なので私も時々持っていく。ただし、持っていくのは棒ラーメンでも「博多屋台味」である。マルタイ・棒ラーメンには「しょうゆ味」と「博多屋台味」があり、定番はしょうゆとされているが、私はあまり好きではない。マルタイはやはり九州の会社なので豚骨風味の屋台味は良くできている。やや豚骨が臭いので、好みは分かれるだろう。

 

登山者で深谷明という人を知っている人はかなりレアだろう。日本の山で長期縦走をしていた人で、2000年以降に20日とか30日とかの縦走を繰り広げていた。

昭和の縦走登山家と言えば加藤文太郎だが、彼はサラリーマン登山家でもありせいぜい2週間が限界だった。

それを深谷明は30日とか行くのである。2013年に北アルプスで行方不明になり、あまり世間的には知られない人物なのだが、彼の食料は棒ラーメンだったという。しかも具なしの棒ラーメン。来る日も来る日も棒ラーメン

これが自分なら発狂、の前に下山する。30日も棒ラーメンを食べられない。彼は通称「棒ラーメンの人」と呼ばれたらしい。

 

登山家の竹内洋岳さんは初期のヒマラヤ登山でさんざん食べたが、嫌いだと言う。東京生まれの竹内さんには合わなかったようだ。

関西生まれの私はまあまあ好きだが、連続で食べるのはちょっと辛い。

 

チキンラーメン

これは何と言っても、かの安藤百福さんの最大の発明であり、カヌーイスト・野田知佑さんがCMに出たことでも知られる作品だ。野田知佑さんが校長を務める「川の学校」では今でも「チキンラーメンは自分で作ります」という有名な台詞が出るくらいだと聞いた。チキンラーメンを他人に作らせるくらいズボラな人間にアウトドアをする資格はないとも思う。

 

チキンラーメンはアウトドアに向いている。まず具なしで食べられるのがいい。他のインスタントラーメンは必ず出来上がりイメージにチャーシューや葱などを乗せるが、チキンラーメンは今でも卵と刻み葱のみだ。

私も家では卵や肉、野菜と一緒に食す。ただ、山では具なしでそのまますする。味は変わらない。

チキンラーメンの魅力はお湯を注ぐだけということに尽きるだろう。具を入れても入れなくてもラーメンの味に変化はない。しかも生でも食べられる。味はおやつカンパニーベビースターラーメンそのものである。

なぜか山でチキンラーメンを食べる人をあまり見ない(私もテントで朝飯に食べるのであまり見られない)のだが、最強の山飯だと思っている。

 

日清食品ソース焼きそば

ラーメン特集なのでちょっと番外。

雪山を始めた頃はこれが一番だった。カロリーがそこそこ高い。麺を茹でたお湯でポタージュスープを作り、焼きそばをすする。ここのところ毎年行く黒戸尾根・甲斐駒ヶ岳山行を支えるのはこの2つだと言っても良い。

他のインスタント焼きそばも試したが、日清の焼きそばは粉末ソースで、他は大抵液体ソースだ。液体ソースはフライパンなどで炒めることが前提となっており、少ない水と少ない燃料を前提とする山には向かない。粉末ならほぐした麺に絡めるだけでOKだ。

あと私にはラーメンの汁を全部飲むのが辛い。山では資源がすなわち生命なので、残り汁だろうと無駄にできないのは承知だが、塩辛いだけのラーメン汁を飲み干すのは少々骨が折れる。

この焼きそば+ポタージュセットなら大満足で夕食を終えられるのだ。

 

辛ラーメン

登山ラーメン特集と言いながら、ただのインスタントラーメン論評になっている。

私の周りには「山に行くまでインスタントラーメンなんて食べたことなかった〜!」なんて言うセレブアルピニストが何人かいて、なんだか面白そうかなと思って書き始めたものの、ただのものぐさインスタントラーメン大好き野郎のようになって少々遺憾である。

最後は日本以外の産である辛ラーメンで締めくくりたい。

 

辛ラーメンは韓国の生まれで、なんでも韓国では圧倒的なシェアだと言う。一方日本のインスタントラーメン界は百花繚乱で、ラ王のライバルとしてはまるちゃん正麺なんかもあって、これもなかなかの存在だ。

韓国No.1であれば山でも有効かもと思い、時々使っている。最大のメリットはカロリーで、日本のインスタントラーメンが概ね一食300kcal強なのに対し、辛ラーメンは500kcalを超える。単純に袋のサイズも大きいわけで、バックパックの中で割れたりパッキングには手間取るわけではあるが山向きには違いない。

あとは味である。好みは分かれるものの、私は辛い物好きなので大丈夫と踏んで辛ラーメンに挑戦してみた。

一口食べると辛い。二口食べると辛い。三口食べると辛い。と際限がない。

 

広島にいた時、「ばくだん屋」という辛いつけ麺屋のチェーン店があって何回か行ったことがある。辛さを「何倍」という指定ができ、何倍以上はレジェンドとか書かれていた。今考えると辛いものを食べられるのはただ鈍感なだけなのだが、鈍感な私は少々高めの辛さを指定して得意になっていた。

ええっと、何の話をしてたんだっけ?ああ辛ラーメンだ。辛ラーメンは日本的な旨味のある中の辛さでなく、わりと直線的な唐辛子辛さである。好みが分かれのはもっともだ。

私は結局卵スープの素なんかを辛ラーメンに混ぜて食べている。ちょっと旨味が増すからだ。この方法は自分で考えたわけでなく、韓国人の友人が話していたので実践してみたわけで、本家(と言うのかな)の意見はやはり違う。

辛ラーメンも世界進出を考えるなら、鰹や昆布出汁とか鶏ガラスープとか味の素なんかを考えた方がいいと勝手に考えている。

ただ、あのカロリーと煮込みやすい麺はなかなかだ。山食としてさらなる進化を祈る。

 

いつもながらわけわからん評論というか雑文になってしまった。

山食はラーメンがHOTである。一度槍ヶ岳冷やし中華を作ったら夏なのに凍えそうになった。フリーズドライの米とかもあるが、まだまだ普通に炊いたご飯の方が美味しい。

とはいえラーメンもまだまだ発展途上だ。ラーメンにチャーシュー・メンマ付きとかコンパクトで軽いのにカロリー2倍とかが出ると日本の登山界も明るい、と勝手に考える私なのである。

チャーハン道

ここのところチャーハンに凝っている。 チャーハンに凝りだしたのはもともと中華鍋を買ったからだ。

2017年の『岳人』で「ベースキャンプを楽しむ」という特集があり、「重さを気にしなければ中華鍋があればよい」という記述があった。その横には焚き火でチャーハンを作っている写真が掲載されており、「キャンプでチャーハン。キャンプでチャーハン」という魔術にかかった私は思わず中華鍋を探しに出かけていた。

 

ところが中華鍋はなかなか売っていなかった。イトーヨーカドーではフライパンはあるものの、底の丸い中華鍋はない。東急ハンズはどうかというとここも底の平らなIH専用調理具ばかり。

仕方がないのでネットで調べてみると、横浜中華街でシェア8割ともいう中華鍋があるのだそうだ。それは横浜市磯子の山田工業所という会社で製造されているもので、鉄板を職人さんがガンガン叩いて丸い形状に仕上げるという「ザ・日本のモノづくり」を体現したような商品だという。

実物を見たいが、なかなか売っていない。東京・合羽橋まで行くのも面倒だ、というより当時は横浜にいたので工場に行くのが早い。

とまで考えたものの、結局はものぐさが先だって、Amazonでぽちっとやってしまった。

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そんなこんなでチャーハンである。

美味しいチャーハンを作るには、まずは米が必要だ。炊き立てはあまりよろしくない。水分が多くてパラっとしたチャーハンにしにくい。一方で冷蔵庫に保存していた冷や飯なんかも良くない。一番良いのはちょっと冷めて適度に水分の飛んだご飯をレンジで熱々にしたものである。

具材は卵と葱。エビとかベーコンとかも好みで入れてもよいが、まず無難に成功させるには具は少ない方がよい。

あと、調味料は素早く投下できるように中華鍋の脇に控えておく。中華は早さが肝心なのだ。塩、胡椒と隠し味に粉末鳥ガラくらいがよい。味の素を入れるという人もいる。

 

スタンバイが終わったらいよいよタタカイの始まりである。

私は油を少し多めに入れる。多めとはどのくらいかと申すとお玉で半分くらいである。山田工業所製の中華鍋は鉄一点張りで、テフロンやフッ素加工のような焦げ付き防止はない。その代わり鉄は表面の凹凸に油が膜を張ることでくっつかなくなるので少し多めくらいが良い。

油からわずかに湯気が見えるようになったら溶き卵を入れる。溶き卵は1人前に1個程度。入れるや否や、ジュっと音がして鉄に触れた部分は薄焼き状態になり、真ん中はまだ液体の状態で残る。ここで素早くレンチンの熱々ご飯を投入する。

躊躇してはならない。躊躇しているとチャーハン作りはあっという間に卵焼き作りに変わってしまう。まだ液体の溶き卵の上にご飯をかぶせると、卵とご飯をガーっとかき混ぜる。ご飯は同じ箇所を長く鉄に触れさせるとたちまち焦げてしまうので、まんべんなく熱を入れるようにかき混ぜる。

そして次に用意した調味料をまんべんなく撒く。そしてまたかき混ぜる。

そして今度は葱を振りかけてまた混ぜる。炒め時間はおよそ5分に満たないくらいだろう。

ちなみに私が混ぜるのに使っているのは木のしゃもじだ。中華と言えばお玉という人もいるが、鉄とかステンレスのお玉は熱くなったりプラスチックが溶けたりするので安定の木のしゃもじを使っている。これなら中華鍋を傷つけることもない。

あとはできるだけ余分な水分を飛ばして完成となる。

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偉そうに講釈を書いてみたものの、上手にできたのは数回。特に具を多くしたりするとべっちゃり、水気の多いチャーハンになって不味い。

あと理想は焚き火で調理することで、これはまだ実現してない。キャンプ場で中華鍋を使って天麩羅などの揚げ物をやったことはある。野菜や魚を何でも天麩羅にしてこれはなかなか至福の時間だった。

河原キャンプでのチャーハンが目下の目標であり、椎名誠『怪しい探検隊』シリーズに登場するリンさんこと林政明さんみたく焚き火で華麗に中華鍋を振ってみたい。


やはり、中華鍋と中華料理は最強だ。10億人の人口を養ってきた道具と料理は格が違うのである。

LA SPORTIVA BUSHIDO2

6月に入ってすっかり梅雨となった。ここ数年は4月、5月は忙しく、その狂騒が収まると梅雨で外出も出来ずという悔しい思いをしている。梅雨の「梅」の字をりっしんべんにしたいくらいだ。

今年もいつの間にか梅雨入りして、ザーザー週末の度に降る雨を見ていると、外出できないストレスからか唐突なる物欲が湧いて、トレイルラン用のシューズを買ってしまった。

私にとっては通算3足目のシューズとなる。

 

買ったのはLA SPORTIVAのBUSHIDO2。

これを買ったのは新宿L-BREATHE 。まあ久しぶりに山を軽快に歩ける靴があればなあと向かった曇り空の土曜日。

最初は「定番は?」と訊いてコロンビア・サロモンのはバハシリーズを出された。試してみたものの、幅広・甲薄の私には先っちょがガバガバする感じがしていまひとつ。代わってLA SPORTIVA のLYCANを試すも同じ感じ。

これら2つはわりと同じタイプで、トレイルでもロードでも遜色なく走れるタイプなそうな。確かにランニングシューズと感触は似ている。ただ、私の足にはどうもフィットしない。

迷っていると、店員さんからLA SPORTIVABUSHIDOを勧められた。少々高いので躊躇したが、履くだけならタダなので履いてみる。

うーむ。これが一番いい。

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そんなわけで衝動買いしてしまった。

しかし、シューズは眺めるためにあるのではなく、履いて、かつ走るためにあるので、翌週の日曜日さっそく使ってみることにした。

行ったのは奥多摩駅から鋸尾根を経て鋸山、大岳山、御岳山、日の出山と低山を渡り、武蔵五日市駅へ下山するルート。日本山岳耐久競争で毎年使われている部分もあり、日本でも最も多くのトレイルランナーが出没するエリアである。

 

鋸尾根に取り付いたのは午前6時過ぎ。前日の雨で岩は濡れているが、意外とぬかるんでいない。歩行者が多いので道が均されているのだろう。

さて、BUSHIDOだが、濡れた岩ではそこそこ滑る。ソールの感触はわりと固く、今流行りのVibram社のメガグリップのような柔らかいラバーとは異なる。しかし、乾いた岩では固いソールはかえって具合が良く、足の裏から突き上げるような感じはない。

鋸尾根はわりと急で、岩場も少々あるので走る感じではなかった。もっとも私にはまだトレイルランナーという意識はないので早足で歩くことくらいしか考えていなかったのだが。

大岳山を過ぎると平坦な道が出てきた。これなら走りやすいのだが、やはり走る気はあまりなく、スタスタ歩く。これくらい整備されたトレイルならむしろランニングシューズに近い方が走りやすそうだ。

試し履きをしたときに比較したのはColombiam montrailのバハダというモデルで、これはロード用と同じような履き心地だった。店員さん曰く、最近はロードを走るときのタイムを縮めるため、ロードもトレイルも両方使えるシューズが人気だそうだ。

そこをあえて逆らって買ったBUSHIDOは整備されすぎたトレイルでは固いソールが少しオーバースペックになっているような気がする。

 

御岳山はケーブルカーで登ることができるので多くのハイカーが訪れる。

イカーの多くはミッドカットかハイカットの軽登山靴を履いていて、それでこそオーバースペックのような気もするが、ちょっと遭難騒ぎでもすればマスコミはたちまち「装備不十分で遭難騒ぎ」とかき立てるからこれくらいでもよいのかもしれない。

この日の私の装備はトレランシューズに、6Lのトレラン用バックパック、水は500mlペットボトルを2本と1Lくらい予備の水、ソフトクッキーや柿の種などの行動食、ヘッドライト。ウェアは長そでのランニング用シャツにトレラン用の短パン、万が一のためのレインウェア(ジャケットのみ)。

テント泊に比べたら格段に軽い。御岳山から日の出山に向かうとランナーが増えて、この格好で走らないのはそれでこそ格好がつかないので走り始めた。

ここもかなり整備されているので、BUSHIDOはそこまで威力を発揮しないのだが、ぬかるみが増えると意外にも力を見せ始めた。

何のことかと思うかもしれない。BUSHIDOはラバーが固くて、濡れた岩ではわりと滑りやすいが、泥道では地面を良くつかむので滑りにくいのだ。

なるほどなるほどソールのパターンにはいろいろ特徴があるものだ。

 

日の出山から金毘羅尾根へ向かう。この道がやけにぬかるんでいた。ただ、ぬかるみで滑ることはあまりなく、わりと快調だったと思う。

ただ、金毘羅尾根の最後はコンクリート道になっていて、こういう道は走ると余計に疲れるので、結局歩いて武蔵五日市駅に向かった。

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写真で見てもわかる通り、泥道に強い分、泥がソールにまとわりついて、舗装道路に泥の足跡を付けてしまった。

まとめると、LA SPORTIVA BUSHIDO2は、岩場△、整備されたトレイル〇、泥などの悪路◎、ロード×といった感じだろうか。

 

まだまだ私にトレランを語る資格はないのだが。

‘90アメリカ滞在記・7歳の見た異国ー帰国

意外と長々書いてしまったアメリカ滞在記だが、今回で最後にしたい。

 

フロリダで休日を満喫した私たちはケンタッキーに戻るとクリスマスを堪能した。なんだか遊んでばかりである。

アメリカでは、イースターには卵にペイントし、ハロウィンにはジャコランタンを作り、といろいろな行事に参加したが、クリスマスは別格という感じがする。日本のように企業の消費喚起という側面だけでなく、個人の気合の入れ方がまさに桁違いなのだ。

映画”Home Alone “を想像してもらうとわかりやすい。今では日本でも珍しくなくなったが、電飾を付けた個人宅がチラホラではなくいたるところにあって、夜空を煌々と照らしている。日本のような青色などのそっとした色ではなく、赤や白のギンギン・ギラギラ証明で、道が明るくなるくらいなのだ。LED照明が登場する前だから、すごい電力消費になっていたに違いない。

街に出ればおもちゃ屋さんなんかもすごいことになっている。日本進出前だったTOYSURSに入ると、とんでもない量のパッケージがうず高く積まれていて、日本なら地震が起きたら危険だとクレームが付きそうな具合なのだ。

まあ我が家はあくまで日本家庭なので、2mくらいのツリーを部屋に飾った他は他人の家のデコレーションを眺めては感心するという慎ましやかな楽しみしかしなかった。それに、年を明けてからは慌ただしく帰国することになっていた。

 

アメリカ行きの時は父親が先に行って、家やら車やら準備してから母親と私、妹が行くという段取りだったので、それほどバタバタしなかった(両親はしていたかもしれないが、私はあまり感じてない)。

帰りは全員一斉だったので、車や不要な家具を売り、職場・学校の手続きをし、と狂騒を極めることになる。そうこうしているうちに私が風邪を引き、と大変な帰国となった。

実は帰国に際して、私はほとんど記憶がない。出国時とはエラい違いだ。

風邪を引いてヘロヘロとなり、最終的に伊丹空港では車椅子を出してもらった。病気のおかげで税関はさっさと通れたものの、私は帰国してからしばらく入院する羽目になった。

 

わずか10ヵ月の滞在だったが、いろいろな価値観を学んだ、というか7歳児からすると価値観そのものを大きく変えられた気がする。

日本に帰ったからは普通に過ごし、ごくごく普通の小学生として暮らすことになる。ただ、ちょっと価値観を揺さぶられる体験を幼い日にしたのは非常に幸いだったように思える。

今、好きな言葉を挙げろと言われると結構迷うが、嫌いな言葉はいろいろ挙げられる。中でも嫌いなのは「常識」や「間違い」といった言葉である。最近では「KY(空気読まない)」なんていう言葉も嫌いだ。日本を一歩出ればすべてのカードが裏返ることだってあるのだ。また、アメリカだって日本同様に閉鎖的価値観の国に違いない。

これらの言葉に嵌って疲れたら価値観の軸を揺さぶりに外国に出かけるといいかもしれない。

'90アメリカ滞在記・7歳の見た異国ー南の楽園

アメリカ滞在中の真打ちは何と言ってもフロリダである。西・北・東と書いてきて、南を残していたのはここを書くためだ。

フロリダに行ったのは1990年も末、クリスマスの頃。とにかく向こうでは遊びまくっていたわけだが、滞在期間も最後にぱーっと遊ぼうということで、日本人3家族で出かけることになった。

 

飛行機を降りるとフロリダは常夏だった。常夏という言葉も当時は知らなかったのにトコナツを体験してしまった。

12月はと言えば当時住んでいたケンタッキー州は日本と同じくらいのイメージで冬となる。関西や関東とそんなに変わらないではないだろうか。寒ければ息が白くなり、芝生から霜柱が立つこともあるし、雪も降る。

それが飛行機を降りると、ヤシの木、があったか定かではないが、夏の青空が広がっていて、人々は半袖・短パンだ。

早速海に行き、ささやかな海水浴。なんとなく贅沢。冬に海水浴というのはなんだか温水プールに行っているみたいで、貧乏性の日本人としては気が引けてしまう。その時はわりと早い時間だったためかわれわれ以外に海に入る人はいなかった。

 

2日目からが本当の目的地である。フロリダと言えばウォールト・ディズニーワールド。東京はディズニーランドとなっているのに対して、ワールドはまさに「世界」で、ディズニーランドが数個入るくらいの規模がある。

その最初の洗礼は駐車場だった。われわれ日本人3家族は前日は早々に引き揚げ、朝早くディズニーワールドの駐車場に車を入れた。広い、広すぎる。駐車場で野球ができる。しかも広々どこでも駐車できる。日本みたいに駐車スペースを探してウロウロもない。

ただ、広すぎるので入場までが大変である。わが父親はまだ元気だったが、駐車場を渡り、階段を上がるとすでに疲れてしまった父さん方がいて、宿泊先のモーテルに帰るときはどこに車を止めたかわからなくなり(車がいっぱいになると来た時と景色がまったく違っていて)、またも走り回って疲れてしまうお父様方が多かった。

 

ここから夢の「世界」でいかに遊んだかを書き連ねても良いのだが、もう30年近く前のアトラクションをだらだらと書いても情報として役に立たないし、ただの自慢話になるので止しておく。以下印象的な風景をスケッチしてみた。

まずは人である。アメリカ人といえばすごい肥満の白人を思い浮かべる人も多いだろう。まさにその通りで、日本では到底お見かけできない縦にも横にも大きい人がゴロゴロいる。その巨体をゆっくりと揺らしながらのんびり歩く。手にはケンタッキーフライドチキンのバケツくらいあるポップコーンがあり、それをポリポリかじりながら彼らは歩くのだ。ポップコーンにはたっぷりとバターがかかっていて、陽の光を浴びてテラテラと光っている。

後年、東京ディズニーランドに行ったら、園内に入るやダッシュする人がいて、まるで運動会が始まったようだった。

 

園内はディズニーのキャラクターの溢れるマジックキングダムの他、カンボジアアンコールワットや日本の五重塔を模したもの、ジャングルや深海探検のアトラクションなど、世界旅行を楽しむようなものもある。当時から「インディー・ジョーンズ」のファンだった私にはこれが一番楽しかった。

ディズニーワールドについて強く思うは「大人が本気になって遊ぶ」ということだ。日本の多くの遊園地は「子ども目線」で作られているような気がする。

規模ばかりが注目されるディズニーだが、決して「子どもだまし」ではないのは「スペースシップ・アース」を見ても明らかだった。見た目、巨大なゴルフボールみたいな建造物で、名称はバックミンスター・フラーに因むものらしい。

内部は近未来をイメージした内容になっていて、宇宙旅行や未来都市のイメージが再現されている。詳しい展示内容は忘れてしまったが、日本の博物館みたいな余計な蘊蓄もなく、ひたすら楽しませることに終始していたことは覚えている。

 

当時、"A Little World"ができたばかりで、ほとんど行列というものを見ない園内で、唯一と言っていい行列ができていた。今では東京ディズニーランドで最も退屈なアトラクションとされてしまっているが、私がアメリカで見た時はそれなりに感動した。

「何が?」と訊かれると難しい。ただ、世界の子どもたちが同じ場所に仲良く集うという想像上の世界が実現したらどうなるかということを素直に体現してしまったことに驚いた。当時7歳の私がそんな高尚なことを考えていたというわけではないが、誰かの頭の中をそのまま表現してしまうということには妙に感心させられた。

もっとも父親は「日本の遊園地とかで同じものやったら何個かは『故障中』っていうのが出てくるんやけど、全部ちゃんと動いてるんやもんなぁ」と妙なところに感心していたのだが。

 

最終日はパレードを見たり(背が低いのでわれわれ日本人グループはなかなか見えなかった)して、最後には「見れるかな」と話していた花火を見ることができて大満足のうちに南の楽園を後にした。

「ケンタッキーの我が家」に帰って来ると、路上や車にはうっすらと雪が積もっていた。