クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

山に向かうバスの中での会話は

梅雨入りする前に「山が足りない」ということで奥多摩・三頭山に行ってきた。この模様はまた次回に。

コロナ禍で何が残念と言って、人との交流がなくなることほど残念なことはない。特に行き帰りのバスでは偶然隣に座った人と意気投合して、なんていうことがなくなってしまった。その上、「会話は控えめに」などとアナウンスがあるので、他人の会話にひっそり耳を傾けるのみだ。

今回、たまたま聞いた会話が少々面白かったのでご紹介。

まだ早朝のバスに乗り込むと、若い人も結構多い。ここのところ年配の団体ばかりを目にしていた気がするので新鮮な気がする。

私たちの前には若い女性2人。左は少し茶色に染めたロングヘアを一つに束ね、キャップを被っている。右は黒髪のショートカット。格好はベージュか黒で派手さはなく、山慣れた感じがする。

ショートカットが話しかける。

「昨日、何時まで飲んだんスか?」

「12時」

茶色のロングの方は少しダルそうに答えた。昨日12時まで飲んでこの時間にいるということは3時間も寝ていないかもしれない。

「下りたところで風呂とか入るところありますか?」

日帰り温泉か、宿の風呂とか、いくつかあるよ」

「ふーん」

ショートカットの方より、やはり山慣れた感じがする。奥多摩にはよく来ているようだ。

ショートカットがまたポツリと言う。

「下りて、また飲むと」

それには答えず、ロングヘアの方は奥多摩湖のバス停で下りた。ショートカットの方はまだ乗っている。ペアで来ていると思ったら別々のようだ。

 

二日酔いで寝不足。それでも独り山に入る。

おそらく途中、暑さで疲れて眠くなるだろう。それでも山に入る。

疲れていても、眠くても、辛くても、なぜか行かなくてはならない。

その気持ちを私もよくわかる。

雨の降る日はレインウェアを着て

日本語には雨にまつわる語彙が多いという。霧雨、氷雨、長雨、梅雨なんて日本ならではだ。

しかしながら、日本人は雨が好きかというとそうでもないらしい。歌川広重の浮世絵を見ても雨が降ればみんな傘を差すか、軒に逃げる。着物の替えもないだろうし、濡れるのは今の人以上に嫌かもしれない。

雨といえば紫陽花

昔、アメリカ・ポートランドに行ったことがある。ポートランドは全米一雨の多い街で、数日いた中で雨の降らない日はほとんどなかった。

街の人はどうしているのかというとみんなレインウェアを着ていて、雨が降ればフードを被り、止めばフードを外して歩いていた。傘を差す人などおらず、中には雨の中でもフードも被らず、濡れたままという人もいる。どうやら濡れることを厭わないらしい。

スーツなんてほとんどおらず、レインウェアの中はTシャツとかジーンズだ。カナダに行った時もスーツの人などほとんどいなかった。パーティーではあるまいし気取った格好をする必要はないのだ。

八ヶ岳で雨の中の撤退

明け方雨音で目が覚めた。ずいぶんと雨が降っているらしい。

こんな日にわざわざ濡れやすいスーツを着るのもバカバカしい。しかし、Tシャツを許してくれる会社でもない。

結局、上からレインウェアを着ることにした。レインウェアはパンツが肝心。ジャケットだけ着ている人が多いが、実際は足元の方が濡れるのである。

そんなわけで、今日はシャカシャカ音を立てながら電車に乗り込んだ。

登山と故障の遍歴③~左膝の疼痛

アスリートの平均引退年齢はどのくらいだろう。プロ野球だと20代後半、フィギュアスケートなんかは十代らしい。

昔、ヤクルトファンが時の野村克也監督に「ジジイばっか使ってんじゃねえよ!」などとヤジっていたが、ジジイと言っても30歳くらい。

世間ではまだ若いし、むしろ今は自分がジジイなのである。

しかし、ずっと身体を動かしていると老朽化とか故障は起きるもの。松井秀喜はキャリアの終盤、膝の痛みに苦しんだし、鉄人と呼ばれた金本知憲は肩を痛めて返球すらできず、非常に痛々しかった。

そんな日がいつかは来るのだ。

私が岩手で100kmマラソンを走ったのは33歳

3年ほど前、突然左膝が痛くなった。10kmほど走ると痛みが走る。歩けないほどではないが、なかなか消えない。

7月頃発症したものの、激痛というまでいかないので放っておいた。

8月は1泊2日で奥穂高岳。9月も1泊2日で塩見岳から北岳の縦走。10月はカナダでサイクリングとトレッキング。

そんなこんなで酷使を続けていると痛みはどんどん増し、12月のマラソンを控えての練習ができなくなってしまった。

膝を痛めての南アルプス大縦走

結局、藁にも縋る思いで整体に行ったら、「左右のバランスが崩れている」とのこと。脚の長さが左右で違うのだという。

しばらくマッサージを受けて写真を撮られ、「ほら良くなった」と見せられたものの、正直よくわからない。

過去、病院にも通ったことがあるが、膝痛の原因は医師にもわかりにくいらしい。半月板が割れていたりすればともかく(骨はレントゲンに映る)、膝は3本の靭帯と軟骨、半月板などが組み合わさって機能しているので、どこが痛いかは開けてみなければわからない。

本当は休めて様子を見るところだが、マラソン大会を控えていた私は12月、足を引きずりつつ強行出場してしまった。

 

大会ではスタートするや膝が痛い。1kmでリタイアかと思う。

それでも周囲の勢いに合わせてガンガン走っていたらいつの間にか痛みは気にならなくなっていた。

過去の登山やマラソンでも似たようなことがあった。始まるや危険サインのように身体の一部が痛くなるものの、しばらくすれば身体が諦めるのか、痛みは去る。

この時は今まで3ヶ月以上にわたっての痛みが嘘のように去り、ハーフ地点までは過去最高速で駆け抜けた。

最終的には練習不足が祟って35kmから歩くことになるのだが、膝の疼痛はマラソン終了後もなくなっていた。

あれは未だに謎となっている。

 

登山と故障の遍歴②~右手薬指の靭帯

奥田英朗『延長戦に入りました』というエッセイ集の最初に、日本人は故障フェチではないかという文がある。確かにアスリートが故障を乗り越えて手にした栄冠は、単なる史上最年少とか最速記録より心打つものがある。

オリンピックで言えば山下泰裕古賀稔彦も大怪我をしての金メダルだから伝説となった。逆に金メダル確実と言われて銀メダルに終わって叩かれた小川直也なんかは気の毒としか言いようがない。

しかし、怪我をしたくてする者はいないわけで、怪我を何ヶ月も引きずるとホトホト嫌になってしまう。

その頃はやけにクライミングに憧れていた(写真は阿弥陀岳南稜)

過去、一番長く引きずった怪我は右手薬指。

痛めたきっかけは、休日出勤したある日。「クライミングしたいなあ」と棚の上部に指を掛けた瞬間、痛みが走った。

しばらくは曲げ伸ばしも痛い。しかし、数日すると特に何も感じないので、クライミングジムへ。するとホールドに指を掛けた瞬間に激痛が走り、その日は何もできなくなってしまった。

どうやら第二関節の靭帯を痛めたらしい。その後は薬指をグルグルにテーピングし、親指と中指、人差し指の3本でクライミングをしていたものの、何かの拍子に薬指を引っ掛けて痛め、ということを繰り返していたら完治するのに半年かかった。

右足首の時と違って完治したからいいものの、常に故障を抱えるという不便を存分に味わうことになってしまった。

登山と故障の遍歴①~右足首の捻挫癖

最近、トレーニングをサボっていたら左脚の痛みがいつの間にかなくなっていた。

縦走登山、トレラン、クライミングと、のべつ繰り返していると、どこかしらが痛くなる。2月にマラソン大会の予定だったので、長距離ランを繰り返していたら、左脚の外側に鈍い痛みがずっと伴っていた。

去年は何度かトレランもどきを繰り返した

ここのところ故障がつきまとっている。

20歳ごろはそんなになかった。と思っていたら、右足首を捻挫して靭帯を伸ばしたことを思い出した。

スポーツでの故障ならカッコが付くのだが、駅の階段で挫くというつまらない来歴から痛めてしまった。その足でテニスをし(フォアハンドなら問題なかった。バックハンドは痛い)、しばらくして再び痛め、登山を始めてからは捻挫癖が付いていた。

医者である友人に診てもらったら「靭帯が伸びている」とのこと。手術する以外ないらしい。

以来、びくびくしながら山を歩いているものの、先日の川苔山でも再び挫いてしまった。

もう怪我をする前の身体に戻らないと知った時、アスリートはどう思うのだろうか?

銀座の料亭の鯛の行方

週末は八百屋で鯛と鯖を買って、鯛は刺身と天ぷらに、鯖はしめ鯖にした。

魚を捌けると料理の幅が広がる、と自慢したいところだが、実際には身が骨に残ったり、皮に付いたりで上手くいかない。ただ、皮も骨も揚げてしまい、美味しくいただくようにしている。

昔、相方は銀座の料亭でバイトしていたことがある。

田舎から出てきた、煌びやかな世界を見たいという興味本位のバイトだったそうだが、いろいろな世界が垣間見れたらしい。

その中で、印象的だったのは鯛めしだったという。

なんのことだろう?

鯛めしは文字通り鯛の身の入った炊き込みご飯である。

しかし、捌いてみるとよくわかるのが、鯛は意外と小骨が多いことだ。理想は鯛まるまる一匹を飯の上に乗せて蒸し、蒸しあがった鯛を崩して食べることだが、そんなことをしたら小骨だらけの飯となってしまう。

その店では、遊郭のごとく「顔見せでございます」と鯛の頭と尾を付けた状態で客に見せ、一度引き上げてから鯛の身を飯に混ぜ込んで出していた。ところが、頭と尾は小骨だらけのところだし、目玉を混ぜ込むと気持ち悪いと言い始める可能性もある。

結局、身の小骨を抜いた部分だけを少量、混ぜ込んで客に出していたそうだ。

 

さて、頭と尾はどうなるのだろう。

それが料亭内の秘密となるのだが、取っておいて他の客への「顔見せ」に使いまわしていたらしい。

その話を聞いた時、私は「うーむ」と唸ってしまった。客の立場からすると、使いまわしの鯛を自分の食べる身を一緒にされたくないという気持ちがあるだろう。ただ、私としては頭と胴を別々に組み合わせて出された鯛たちが草葉の陰で泣いているのではないかと思うわけである。

確かに身だけにした鯛はもともと何の魚だったかわからない。それを「鯛です」と主張するには頭と尾がいるのはわかるけど、頭や骨も美味しいし、いいダシが出るのである。

魚を食うなら小骨もろとも食う覚悟がなくてはならんのだ、と主張して本日は終わりにしたい。

下戸と酒飲みの幸福

会社で昼食を食べていると後輩がしんどそうな顔をして横で食べていた。なんでも昨日、役員に誘われて飲みに行き、日本酒をしこたま飲んだらしい。4人の面子の中で飲めるのはそれほどいないのに、4合瓶を3本も用意したらしい。こうなると読み干すまで帰れないということで、「頑張って」飲む羽目になったという。

私は酒飲みではあるものの、頑張って飲むのは嫌なので心より同情した。

肴に鰹のたたきが合うと言って飲まされたらしい

先日亡くなった野田知佑さんは酒飲みだった。

遊び仲間の椎名誠があんなに強い人は見たことがないと言っていたから本当にすごかったのだろう。相方は川の学校で朝からビールを飲んでいたと証言している。

そんな酒好きの野田さんなのだが、街では全く飲まなかったのだという。焚火の前で飲む酒に比べたら都会の居酒屋やバーで飲むのがバカバカしくなるようだ。

なるほど真の酒飲みは飲む環境が大切なのである。

囲炉裏端の一杯なんかいいかもしれない

酒を飲めない人を下戸という。

語源は律令制の中で最低課税の世帯を指すらしい。ずいぶんと歴史ある用語である。

世間では飲めた方がいいという考えが一般的だ。飲み過ぎると経済的にはよろしくないものの、飲んで気持ち悪くなるのも考えモノ。飲めるけど飲まないのが最もいい。

私の家系は上戸というほどではないが、そこそこ酒飲みが揃っている。兄弟の中では私が一番の酒飲みで、あとは飲めるけど飲まない口だ。むしろ甘い物好きだ。

弟は姉の親族顔合わせという席で1人パフェを注文し、長いスプーンでアイスをつつきながら自分の好きな話をする自由人である。酒飲みは飲めば傍若無人。普段は普通の人というのが多いが、甘い物好きはそういう区別はない。飲める環境の限られる酒と違う幸福がある。

 

現代は酒も甘い物も避けられる傾向にある。酒豪自慢もあまり聞かないし、糖質オフの商品ばかりが並ぶ。

飲んで醜態をさらさないように、太って醜い身体にならないように。そればかりを気にする世の中になっている。

「タガが外れる」という言葉があるが、「タガ」を付けたまま生きるのが現代社会となっているようだ。