クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

都会では孤独でいられない不幸について

谷川岳からの帰り道、大宮で乗り換えると西日の眩しい席にあたってしまった。慌ててサングラスをかける。

私の隣にいた女性はそんな西日に気を留めることなく一心不乱にiPhoneを操作していた。

 

西日を避けるため、私がふと俯くと、彼女の操作する画面が目に入ってしまった。

Google 東京 夜遊び

最近、9時に寝てしまう私には無縁の言葉だ。ホストクラブでも探しているのだろうか。

 

西日が眩しいので、どうも自分の本を読む気がしない。

そのうちその女性は目まぐるしく指先を操作し、別の言葉を打ち始めた。

Google 東京 人生相談をできる場所

なんだか深刻である。人生に迷って、夜遊びで気を紛らわせようというのだろうか。

 

マスクをしているし表情はわからないが、その女性は20代ということはなさそう。髪を少し茶色に染めているだけで指に派手なマニュキュアもしていないし、普段は普通の会社員という感じだ。

また、別のキーワードを入れ始めた。

Google 飲み友 探し方

やはり寂しさを埋める何かを欲しがっているのだろう。

 

「都会の孤独」と言ってしまえば簡単だ。

私も関東圏に来て10年以上。休日に山にも行かなければ一言もしゃべらない日もあった。

しかし、都会と田舎で何が違うのか。

それはその孤独を満たす何かが周りに溢れていることだろう。人生相談も飲み友達もGoogle検索ポンで見つかり、渋谷とか新宿あたりに行けば簡単に満たすことを知ってしまうことにある。都会にいる不幸は、ただ満たされない孤独を抱えていることではなく、その孤独を満たす術を先に見つけてしまうことかもしれない。

その手段が見つかっても肝心の原因と向き合うことがないので、見つけた術を失った瞬間に元に戻る。

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山から下りると都会が良くも悪くも見えてくる。

空調は常に一定で、どこでも電波は届き、改札をくぐるのも電車に乗るのもほとんど間を置かない。不要なことを考える必要はないし、関わりたくないことは関わらなくても世界は回っていく。

ただ、自分の内面まで他人に業務委託してしまうのはどうなのだろう?

野田知佑さんがこんなことを書いていた。

「孤独の何がいけない。寂しければ泣けばいい」

アウトドアは孤独だ。今回、私は久しぶりに谷川岳を縦走したが、寒いし話す相手もいないし、ずぶ濡れになるしで、途中で帰りたくなった。

しかし、どんな目にあってもまた来てしまうのは、自分が問題に真っ向から対峙しているからだろう。山の中で問題を他人に預けられない。

 

都会は服部文祥さん*1の言葉を借りれば「お客さんごっこ」によってできている。

他人に委託しあうことで生存を確保し、快適に生活している。その恩恵を受けている以上、私に批判する権利などない。

しかし、時に自分に何ができるのかを知るために私は山に出かけている。

 

その女性はピアニストのように指先を動かし、何かを探し続けていた。

私は目的の駅が近づくと、サングラスをかけたままそっと立ち上がった。

*1:野田知佑さん服部文祥さんとも著名なアウトドアライター