クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

コロナ対策は補助金だけでいいのか?という話

先日一緒に山に行った友人宅は外食が多いらしい。

「コロナで大変な時期だから、俺が飲食店を支える!」

という漢気溢れる決意のもと、休日は洋食だ、中華だ、和食だと楽しんでいるらしい。

そんな話を聞いていたら、我が家にも市役所から市内で使える商品券が送られてきた。さて、有効期間のあるものだしどうしようかと思案している。

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昨年の給付金旅行?in 小樽



 

さて、考えてしまうのが一体誰が補助金を払うのかということ。

「国が払う」ということになろうけど、国の借金が増える。では借金は誰が返すのかというと誰だかわからないという状態がずっと続いている。別に政策を決めた政治家が払うでもない。

「金持ちから取ればいい!」という意見もあろうけど、日本では「今年儲かった人」は把握できても「資産をいっぱい持っている人」は個人で青色申告でもしてくれないとわからない。どんなに資産家でも、収入が年金収入のみになったら年金に見合うだけの負担しかしなくてよい。

輪転機を回してどんどん刷ればいい」という考えの人もいる。第一次世界大戦後のドイツは賠償金支払いのために金を刷りまくって、とんでもないインフレになった。「日本は大丈夫!」と主張する人は学者も含めているそうだけど、歴史上錬金術が成功した例などない。

結局、借金はキャリーオーバー。つまりは先の世代に持ち越されることになっている。

 

昨年の給付金によって、家計の預貯金は増えたそうだ。

つまり、給付金によってみんなドカドカ消費したわけでなく、生活の足しにしたということになる。補助金や給付金の趣旨は生活保護だけでなく、これで経済を活性化して、再び税金になって返ってきてくれということなのに、今後が不安だから貯め込んでしまうのだ。そうなると国の借金はただ膨らむばかりである。

本ブログはお気楽に日々思ったことを綴るのが趣旨なので、政治的なことは極力控えているのだが、立て続けに補助補助と言って受け取っていると、「日本は大丈夫かいな?」と感じたりする。

①コロナで収入が減る。

補助金を出す。

③将来が不安だから貯める。

という図式から脱するには将来の不安を消すことが最重要だと思うのだが。

 

 とりあえず今は私も市内の飲食店でも活性化しようかと考えている。