クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

吾輩はせっかちである

昨日、三浦しをんのエッセイを読んでいて「なるほど!」と膝を打った。

それは、電車を降りる時には降車の1駅前から切符を握りしめているという話で、私にも心当たりがある。今はSuicaを使う時は慌てないが、新幹線などの乗車券を持っている時は確かに手に握って改札口に向かっている。

几帳面ということもなく、普段ガサツなくせに「待つ」ということが妙に苦手なのだ。したがって、改札のようなところはスムーズに出るべしという心理が働いて、降車前に切符を握りしめるという行為につながっていると思われる。

この「せっかち」は親譲りだろう。

父親は特に店で注文したものが遅いとすぐにソワソワする。家族の手前、店員に露骨なクレームを付けたりはしないが、イライラ、ソワソワするのがわかる。

そんな時は「せっかく、のんびりしに来たのだから、イライラしないの」と嗜めるのだが、こちらもせっかちだから心境は似たようなもの。

自分で料理をするときもせっかちが原因で火の通っていないものができたりする。

「親譲りのせっかちで小供の頃から損ばかりしている」と言いたい。

 

そんな「せっかち」にとって最近の福音は動画や録画を倍速で見られることだ。

父はドラマまで倍速で見ており、本当に愉しんでいるのだろうかと疑問に思える。ただ、私も動画のしゃべり方が遅くてイライラしたりして、すぐに1.5倍とか2倍速にしてしまう。そのくせ、余程集中しないと記憶に残るのも半分くらいだったりする。

この親にしてこの子あり。

この性格は親子とも死ぬまで治らないだろう。