クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

17年前の自分は何をしていたか

3月に入って、早朝駅前で屯している若者が増えた。

近くの大学に通う学生で、年中いると言えばいるのだが、飲んで騒ぐという雰囲気ではなくどこか名残惜しいという感じで集っている。おそらくもう卒業を迎え、それぞれの道を進んでいくということで最後に話し込んでいるのだろう。

 

17年前、私も京都で学生時代最後を迎えていた。

同じ学科は20人そこそこなので、全員の名前は知っていたし、真面目なのが多く、年中授業やゼミで顔を合わせていた。それが4月から会わなくなるというのは、当たり前のようであり、不思議な感じがした。

単に同じ大学に通っただけで、特別仲が良かったわけでもなく、学科内で付き合うのもいなかった。しかし、4年間もの間、毎日のように顔を合わせ、何気ない会話をし、時々飲み会をした。中にはやや怪しげな新興宗教にハマったのもいるし、ネットゲームに夢中になって「あの時はやばかった」と後から告白したのもいた。

その緩い関係性が来月になると雲散霧消してしまう。

学科のほぼ全員のメールアドレスは知っていたので、連絡は取れる。しかし、もう今のように会うことはないだろう。

その時、人生で初めて「卒業」を実感した気がした。

結局、卒業したその日、いつものようにみんなと話し、いつものように別れた。

そして、ごくわずかな例外を除いてその時のメンバーで再び集まることは未だにない。