クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

失敗の本質を感じる

仕事で失敗した。

まあ、呆れるほどくだらない凡ミスなので、周囲も呆れるくらいで済んだのだが、失敗した本人としては少々嫌である。これが豪快な失敗なら武勇伝の一つにもなろうけど、恐々歩いていてコケるような格好の悪さを感じるのだ。

こんなことを書くくらいなので、それほど落ち込んでいるわけではないし、ミスで落ち込まないのが私の長所と言える。

 

かつていた部署では凡ミスに対してクドクドと説教をしたがる上司がいた。失敗しても落ち込まないタチなのが気に障るのか、クドクドが余計長くなる。

しかし、私が思うに失敗する作業というのはどんなに気を付けていても失敗する。注意喚起をすればいいというのは管理者の責任逃れみたいなもので、「私は注意したけどこいつが間違ったんです」という言い訳づくりに過ぎない。クドクドの説教を聞きつつこの上司の内面が透けて見えて心底嫌になったのを覚えている。

失敗の本質は失敗する可能性のあることを行うことである。つまり失敗の可能性があるやり方を続けていることに問題があるのだ。

従事する人間が注意したとて確率が減るに過ぎない。いつかまた起きる。

失敗の本質を考えていかなければ進歩はないし、失敗するから進歩があると私は思っている。