クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

人工知能は山に登らない

私は現在テレビもなく、新聞も購読していない。

先日、寄席で漫才を聞いたら時事ネタがよくわからなかった。さっぱりと言わずとも薄ぼんやりと霧がかかったような状態で、今一つ笑えない。例えば、加計学園とか森友学園とか名前は知っているが、詳しい経緯とかは知らない。汚職はもちろんよろしくないが、これらの事件がどのくらい人々に影響しているのかと考えると、年金問題とかもうちょっと他に扱うべき話題があるのではないかと思ったりする。まあこれは世情に疎い私が勝手に思うだけで、これらが非常に重大事だと言うかもしれない。

ただ、こんなことばかり書いていると世間知らずの謗りを受けそうなので、たまには社会的な話題でも書こうと思う。

 

人口頭脳、AI本が本屋に多く並んでいる。2010年代は第3次のAIブームと言われている。アルファ碁によるGoogle戦略は30年以上前のチェスソフト「ディープブルー」を使ったIBMによる広告戦略と同様に一定の成果を挙げたらしい。IBMがAI研究における第1次の、Googleが第3次ブームのランドマークとなったわけだが、最近は「AI」という言葉先行になっているきらいがある。「AIが選んだレシピ」と銘打った商品まで売られているが、サイコロでも振って決めたのだろうか。

 

ひと頃将棋に凝っていたのでそのつながりで人工知能にも興味がある。私が将棋に凝っていた20年ほど前、将棋ソフトはアマチュアの初級クラスだった。詳しい仕組みはわからないが、序盤はあらかじめ登録された定跡をベースにしており、ちょっと定跡から外れた不規則な攻撃にさらされると脆かった。詰みを見つけるのは早いが、定跡にない力戦形になると混乱して自滅してしまう。当時は「ソフトがプロレベルになるには50年。名人は永遠に負けない」と話すプロ棋士もいた。しかし、その言葉も隔世の感がある。2017年の叡王戦佐藤天彦名人がソフトに敗れるなど現在は名人クラスもコンピューターに対して分が悪いくらいになった。

 ただ、この一事を捉えて人工知能は人間を既に超えたというのは早計というものだろう。チェス・碁・将棋というゲームで勝ったのは厳密に規定されたルールの中で戦うからであり、電卓が暗算より正確だということと同じだ。人間の本当の凄さはチェス、碁、将棋というスリリングで奥深いゲームを生み出したことである。そのことを忘れて人間vs人工知能という理屈はナンセンスな話だ。

 

人工知能本では「AIによって人間の仕事が奪われる」という議論を始めるものも多い。センセーショナルなタイトルに思わず手に取ったりすると、いろいろ危機感を煽る内容が盛りだくさん。将来なくなる職業なんかがずらずら列記されている。

例えば自動運転になればタクシーやバスの運転手が必要なくなる。まあそうだろうな。人力車の車夫だって今はほとんどいないのだ。明治に登場して昭和の初めに消えて行ったこの職業と何が違うのだろうか。自動改札機の登場で切符切りの仕事がなくなったがそれと同じだ。ただこれは全般的なテクノロジーの進化によるものなのでAIと直接結びつけるものではないかもしれない。

金融やお金に絡むものへの影響は大きい。融資担当やクレジットカードの承認などは一定のルールで実施する限りはコンピューターでも判断できるだろう。それに奴らは計算ミスをしないし疲れない。長時間労働で問題にもならない。真空管を使った計算機が発明された当時からこのような仕事はなくなる運命にあったのだろう。

面白いところではカジノのディーラーなんかがある。カジノからディーラーがいなくなったら果たして客は誰と戦うのだろうか。私はギャンブルをしないが、すべてがコンピューターパチンコ方式になったらギャンブルも魅力が半減するような気もするが。

公認会計士や税理士。基本的にこれらの職業はルール通り実施することが職務だ。高度な資格だが元来は正確な財務諸表を作成すること、正確な税務申告をすることであるが、その中で会計基準や税法を複雑化させたことで生まれた職業と言える。極端な話が人頭税の世界なら税理士はいらない。複雑・曖昧な部分を残すからこういった職が存在するのだ。

第3次ブームの立役者であるディープラーニングは、数多くの事例の特徴を捉えることで確度の高い回答を導くという仕事をする。従来は、「A+B=Cです。C+D=Eです。よってA+B+D=Eです」といちいち教え込まなくてはならなかったのだが、ディープラーニングは大量のデータから答らしきものを拾い出す。今や「答らしきもの」はインターネットの世界に溢れている。

会計や税務の難問も最後は過去の事例に頼ることになることが多い。そうなれば記憶力に限界のある人間より事例分析のできるコンピューターに頼る方が正解に近づける。これは司法の世界でも同じらしく、弁護士の仕事も今後減るだろうと言われている。一時は会計監査法人の出す会報誌に随分AI特集が組まれていた。ずいぶん危機感があるようだ。折角難関試験に合格して仕事がなくなるということになると目も当てられない。

そんなお前はどうなんだと言われそうだが、経理である。これは97%の仕事がなくなり、部長職のように対人折衝が必要な部分だけが残ると言われている。つまり私の職は早晩なくなるのだが、早いところこんな仕事をしたくないと思っている私には好都合だ。 

 

最後に私の勝手な人工知能に対する見解を書きたい。人工知能ができてしまうような仕事はしないほうがよい。その仕事は創造性やオリジナル性を持っていない仕事なのだから。

そもそもの話になるが人工知能は完成されていない。ここから私たちはスタートしなければならない。人工知能開発にはいろいろな難関がある。確かにディープラーニングの進化によって確度の高い答えを見つけることができるようになったが、それは数ある「答えらしきもの」を分析することで、現状の問題に対する解答を導き出しているに過ぎない。つまり、今のディープラーニングが導き出す答えはあくまで誰かの答えの少し先にあるものであり、全く未知の課題にはいまだ歯が立たないシステムなのだ。

人工知能ができないこと。それは過去に価値を見出していないことに価値を見出すことにある。今、きわめて完成された人工知能が開発されたとしても、それが「山へ登る」という結論を出すことはないだろう。

山に登ることは人工知能にとって意味のないことなのだから。

引退

「早よ引退して仕事やめたいわ」

ファミレスで、ある友人がコーヒーを手にしながら呟いた。彼女の目下の趣味はマラソン。大会に備えて平日は会社から自宅まで走ると言うから恐れ入る。学生時代はソフトボールのピッチャーをやっていたというガッチリ体形で、今鍛えているのは退職しても遊び続ける体力が必要だからという。アクティブで大変よろしい。

きっと仕事を辞めたら地の果てまで走り尽くすに違いない。

 

 元・大阪近鉄バファローズの最後の4番バッター中村紀洋が「生涯現役」を標榜していた。しかし、2014年を最後にプロとして契約はしていない。「現役」の解釈の仕方にもよるが、プロアスリートで生涯現役は夭逝しない限り難しい。

将棋界では大山十五世名人みたいに死ぬまで現役の人もいたが、大棋士ほどキリの良いところで辞めている。将棋は相撲などと同じでプロは日本にしかなく、さらに協会も一つしかないから、そこでプロ資格をなくしたら自動的に引退となる。これも一種のスポーツみたいなものだから生涯現役は難しい。


では一般、市井の人はどうだろう。

現代日本のように65歳まで働き、下手をすると70歳まで働かされる社会では徐々に引退が許されなくなってきている。「引退して悠々自適=社会に貢献しない不届き者」という図式になってきた。「働き方改革」も「日本の人口がどんどん減るから、みんな健康で長期間働こうね。高齢者も女性も働けるようにするから」ということだろう。これまでのように「20代から50代までは仕事に励め。楽しみは引退してからだ」ではなくなり、死ぬまで現役を強制する流れになってきている。有給をもっと取ろうも柔軟な勤務時間もすべては国民皆兵状態、全員生産人にして人口減少に対応しようという魂胆らしい。

私は働くのは嫌いじゃないが、働けと言われるのは嫌いである。働くのはいいが、自分の意志で働きたい。しかし、「国民全員を動かすにはそんな甘いことは言ってられん!」とばかりに年金の支給年齢を上げて強制的に労働させられる未来が待っている。まあ年金制度そのものが破綻状態だし、今後年金は働けなくなった時の生活保護くらいに考えなくてはならないかもしれない。

 

 「引退したら毎日裏の山に登って、食事は一汁一菜。仙人のような生活をする」と宣言していたのは我が父だが、結局は六十代半ばでも引退せず、腹周りも俗人たるままだ。「今の会社では自分が一番英語ができる」と威張っていて、それなりに意欲的に仕事をやっているのは結構なことである。

しかしながら、みんながそんなに働きたいのだろうか。最初に書いた友人のように適当に引退して金のかからない趣味に没頭したい人もいるだろうに。

 

 「人生楽ありゃ苦もあるさ」

 どう考えてもドラマの水戸黄門様は楽そうだ。ご隠居で好きに旅行して、危ない目に遭えば助さん角さんが助け、いざとなったら必殺の印籠がある。スリルを味わうための漫遊記といったところか。多くの人は引退しても、水戸黄門になりきれず、職務を全うする助さん角さんにならざるを得ない。

私はどちらになるだろうか。

生きる痛み

ある陽光の差す5月の日曜日、私は都心に向かう電車に乗り込んだ。春の日差しがガラスを通して車内の空気を暖め、私は思わず座席でうとうとし始めた。気が付くと列車は終点の新宿に近づいており、閑散としていた車内は人で溢れていた。みんな急に暖かくなった日和に合わせて半袖になっている。

ふと左斜向かいを見るとノンスリーブの若い女性がいた。私はそれを見て「もう春から初夏だな」と思っていたが、次の瞬間その女性の腕に無数の白い筋があることに気が付いた。

 

私がその「筋」を見たのは初めてではない。大学時代に個別指導のアルバイト講師を勤めた際、担当した生徒の腕にそれを見た。

私が当時講師をしていた個別指導塾は県下ではそこそこの規模があり、全部で6つか7つの教室があった。いつもは実家の最寄駅近くにある教室から電話が来るのだが、アルバイトを始めてから半年くらいして、別の教室から電話がかかってきた。そこは通学の途中の駅であったものの、家からは40分ほど離れており、少々面倒ではあった。しかし、特に断る理由も見当たらず引き受けることにした。

確か夏に差し掛かった暑い土曜日だったと思う。初回なのに私は教室のある場所がわからず少し遅刻してしまったが、50歳くらいの教室長は待ってましたとばかりに迎えてくれてこう言った。

「まあ初めてですからね。タイムカードは定時で入れておきましたから。この子は前に不登校になっていて、前に担当した先生とも合わなかったんです」

通常、1人の講師が2人を相手にするが、この子のために私1人を専属にしたという。席に向かうと少しふっくらした、おとなしそうな高校1年生の女の子がその生徒だった。

後で聞けばもう何人もが担当したが、その子が合わないと言うので交代していたらしい。私が見る限りは自己主張などあまりしないような「おとなしい」としか言いようのない普通の高校生だった。一時、不登校になっていたというように学力はさほど高いわけではなかったが、私が言ったことには素直に答えるし、つまらない冗談にも笑ってくれた。

私の何が良かったかはわからないが、拒絶されることもなくしばらく担当することになった。

少し経ったある日、彼女は珍しく半袖を着てきた。それまではいつもチェックの襟付き長袖シャツを着ていたが、なぜだろう。ふと白く出た腕を見ると、たくさんの白い筋があった。最初何かわからなかったが、左手首の内側に集中していたことから察した。リストカットだ。

教室長は「最近は学校行ってる?」など時々その子に聞いていたが、私には彼女のプライベートに踏み込む勇気はなかった。彼女が苦しむ何かを告白されても受け止められるだけの懐の深さはない。

ただ、若い私はさらに若い彼女がただならない苦しみを背負ってきたことを知るばかりだった。

 

栗色の髪の上にお洒落な小さな麦わらの帽子をかぶり、黄色いノンスリーブシャツを着たその女性は非常に端正な顔立ちをしていた。そのルックスからコンプレックスを抱く要素は微塵も見えず、その人がどのような苦しみを背負っているのかはわからなかった。しかし、その人にはその人にしかわからない心の痛みがあって、その痛みを身体に刻まずにいられなかったのは事実のようだ。筋は手首から二の腕の上の方までまんべんなく広がっていた。

リストカットをするほとんどの人に死ぬ意思がないと聞いたことがある。死なずに生きるために傷つける。あの白い筋のように残った傷跡は生きる痛みを示すものだろう。

 

列車は何事もなく新宿駅に着いた。その女性も他の大勢の人々も扉が開くや一斉に動き出した。

羽化登仙

今年は台風の当たり年となっている。まるで技巧派ピッチャーの投球のように日本列島の周りを西へ東へかすめる。

小学校の時に「日本列島は夏の間、太平洋高気圧によって好天が多いが、高気圧の勢力が弱まる9・10月ごろになると台風が列島を通過するようになる」と習ったが、最近は7月くらいから台風がバンバン接近し、常時台風シーズンとなっている。台風が来るとまずは交通機関が乱れる。利用者は文句を言うだけだが、担い手は大変だろうなと大変同情する。電車は架線トラブルやらがあって大変そうだが、飛行機なんかは飛んでしまうと静止できないのだからまた違った大変さがある。飛んだはいいが下りられないのはなんとも落ち着かないだろう。そんな阿呆なことを言ってみたが、現実に飛んでも下りられない飛行機など滅多にあたるものではないし、そんな状況を作るほど航空業界の方々は阿呆ではない。飛行機は世界一安全な乗り物となっている。内装はおおむねきれいだし、キャビンアテンダントは飛び切りの作り笑顔で迎えてくれる。貧乏性の私などはそれだけでとんでもない贅沢をしている気がして毎回どぎまぎしてしまう。

 

素敵な笑顔はいいのだが座席の広さは鈍行列車並に狭い。そしてまあまあ退屈である。ウン万円もかけての空の旅なので、暇をつぶすアイテムが多少は用意されている。まずは前の座席ポケットに入っている航空会社の雑誌。ちょっとお洒落な旅行雑誌なわけだが、サクッと読める記事が多い。サクッとはいいのだが、熟読にはならないのですぐにまた閉じる。去年大雨による振替輸送で初めて北陸新幹線に乗ったが、その時にあった雑誌は読ませるものだった。沢木耕太郎さんなど筆力のあるライターが多くてなかなか良かった。航空会社ももうちょっと頑張ってほしい。

あとは機内販売の広告があるが、あれを買う人がどのくらいいるのか甚だ疑問だ。アクセサリーくらいはともかく、防災用品なんか飛行機で買わんでもよいではないかと思う。ひとしきりツッコミを入れてまたポケットに戻す。

 

大概、ここまでで飛行機は離陸していない。飛行機は扉が閉まったら出発という体になるが、滑走路をウロウロしたり離陸待ちをしたりする時間がやけに長く感じる。とりあえず持参した本を取り出すが、離陸まではいろいろアナウンスが入って集中できない。

緊急時の対応についての案内が必ずあるが、真剣に聞いている人がどのくらいいるのかこれも気になるところだ。私が初めて飛行機に乗った6歳の時はそれはそれは真剣に前のビデオを見ていた。何しろ乗ったのは伊丹ーシカゴ間だったので、不時着は海の上ということになる。「滑り台を使って飛行機から下りたら飛行機からすばやく離れましょう」と言うが、海では走れないではないかと思ったら手元のしおりにゴムボートのイラストがあった。あんなボートで全員が無事助かるのだろうかと思って不安が余計に掻き立てられていたのだが、周囲は驚くほど平穏なままだった。

飛行機のあのアナウンスはなかなかみんな真剣に聞かない。真剣に聞かせるためには臨場感のあるドラマなんかを上映すれば効果的らしい。

副機長「機長!右エンジンから発火が!」

機長「何!ここは海の上だ。こうなったら海上胴体着陸させるしかない」

キャビンアテンダント「お客様、落ち着いてください!」

とかいうビデオを流せば乗客は「安全のしおり」をくまなく見るはずだ。そうなれば「不必要に不安を煽る」と非難が殺到することは間違いないが。

 

 いよいよ離陸となるといよいよ退屈なので、イアフォンで航空会社オリジナル・ラジオを聴き始める。

全日空にはないのだが、日本航空では落語・講談などを録音した「JAL名人会」 なるものがあって、なかなか楽しませてくれる。噺は頭出ししてくれないので途中から始まるし、機内アナウンスが入るたびに途切れるが、噺家もそんな状況を考慮したわかりやすいものをチョイスしている。中には、途中で機内アナウンスがあることを逆手に取って『機長の◯◯です。現在の高度は××フィート』と機長の物まねをを芸に組み入れたりしていて、テレビと違ったネタを披露していて面白い。落語は好きで、ラジオやCDで聞くことがあるが、噺家の身振りや表情の見えないとなかなか長い筋のものは難しい。この「名人会」は筋より、酔っぱらっていく様や早口言葉のような「声の芸」がメインとなっているが、狭い機内を忘れさせる内容で、夢中になって聞いているうちに身体は飛行機ごと宙に舞いあがっている。

 

 測ったことはないが、このラジオ番組はだいたい1チャンネルで40分から50分くらいだろうか。聞いているうちに飛行機は安定飛行に入って飲み物が配られる。

 数年前、頻繁に東京と福岡を往復していた頃、夕食を取る時間もなかった。まあ空港で「空弁」でも買えばいいのだが、大して美味くもないのにやたらに高いし、食欲もわかないのでそのまま飛行機に乗り込んでいた。

空腹プラス疲労。頭の中では先程まで聞いていた意味不明のIT用語が踊っている。ふわふわした精神状態の中で、飛行機は福岡空港の滑走路を走り博多の光の渦を飛び出して夜空の闇に溶け込んだ。しばらくして「お飲み物はいかがですか?」と鈴の鳴るような声が聞こえる。りんごジュースをもらってちびりちびりと飲む。朝ならコーヒーだが、夜はりんごジュース。ようやく頭の中でちらちらしていたアルファベットが去りりんごの甘みに安堵する。

日本航空が経営危機と呼ばれた頃、搭乗したらちょっとどぎまぎしたことがある。朝の便でいつものように「お飲み物は?」と聞かれて「コーヒーを」と答えると、カップにコーヒーが注がれ、「300円です」と言われた。一瞬理解できなかったキャビンアテンダントの帽子をも廃止した状況から事情を把握した。今更「じゃあいらない」とも言えず、素直に財布から小銭を出した。今はフリードリンクに戻っているが、企業の危機を垣間見た瞬間である。

 

空港業務にかかわる企業に偶然就職したが(あまり空港業務があることも、また興味もなかった)、やはり飛行機には電車や自動車にはない夢があるらしい。それは人は本来飛べないということから派生するのだろうか。空を自由に飛ぶ夢。

飛行機は世界を狭くし、人をあわただしく掻き立てると同時に人と心を宙に浮かび上がらせている。

結婚式考

「今月結婚式二つも入ってますよー」

後輩が嘆いていた。嘆くのは無論ご祝儀等の経費が嵩むからである。

「いやー、全然回収しないで払うばかりです」

結婚式なんて人生でそう何回もしないから、回収しても一回きりが一般的だ。当然トータルでは払いの方が多いだろうが、神聖な式を回収と言うところがおかしい。おかしいが本当におかしいのは一回で年収が吹っ飛ぶくらいかかる結婚式のほうだろう。

金銭面からすると式をすれば回収できるが、最も安くつくのは友達を作らないことになる。まあそれはそれで寂しかろう。かく言う私が二十歳以降に出席したのは3回だ。一般的にはかなり少ないと思う。私の場合、たまたま式をする友達が少ないだけで、嫌われ者だったわけではないと信じたい。

 

高野秀行さんが結婚式の画一性が嫌だと書いていた。たった3回だが、確かに画一的だった。では、どう画一的だったかちょっと思い出してみた。

結婚式の最初は何らかの宗教儀式だ。私の経験した3回はなぜかプロテスタントだった(プロテスタントなら司祭を牧師、カトリックなら神父という)。式ではホテルのちっちゃいチャペルに押し込まれ、ほとんどが異教徒なのに聖歌を歌う。所在なさげに祭壇で佇む新郎のもとへ、ぎこちない新婦の父親が長いドレスでもっとぎこちない歩き方の新婦をいざなって登場する。そこへなぜかガタイの良いカタコトの牧師が出てきて、「アナタハコノ女性ヲ一生アイスルコトヲ誓イマスカ」と脅迫めいた質問を投げかける。新郎はノーとか言うとレスラーのような牧師に祭壇前でボディースラムを食らう可能性があるので、小さく「はい」と言う。牧師はそれ以上は追及せず今度は新婦に向き直り、同じ質問をする。新婦は可憐な花嫁を演じる女優のごとく、囁くように「はい」と言い、牧師は我得たりとばかりに「では誓いのキスを」と促す。

あのキスの瞬間に感動を盛り上げるためなのか、突然聖歌隊が歌いだしたりするのは何とも妙な感じがする。これも結婚式のパッケージングに含まれているのだろうが、キリスト教の本場はどうなのかと疑問に思う。

儀式が滞りなく終わり、造花やらで新郎新婦を送り出すとチャペルの前で一同記念撮影となる。別にこちらは撮られたくないが、あとで村八分にされても困るので黙って記念撮影。ようやく式の方が終わってやれやれである。

 

結婚式といえば披露宴の方が実はメインのような気がする。これぞ本末転倒なのだが、今の日本はなんだかそうなっているような気がする。

主催者側に言わせると披露宴のテーブル決めは結構大変らしい。1人見知らぬ人の中に入れられるとポツネンとする羽目に陥るので、それを回避するために苦慮するようだ。確かに厳粛な席で初対面の人を話すのはなかなか難しい。そうなったらひたすら料理と酒に挑むしかなさそうだ。

ところが、呼ばれて行って大変失礼な話だが、披露宴の料理は概してうまくない。洋式の結婚式なら自動的にフランス料理とかになるが、上品ではあるが正直うまいと思ったことはないのだ。

理由はいろいろ考えられるが、まず熱々というわけにいかない。出席者がそれなりの人数いるので、熱々にしないと食べられない料理は出ない。牛肉なら鉄板にでも乗っけてと思うのはこちらの勝手だが、そんな下品な料理は出せないので、上品に白皿に盛られた冷めた肉片が運ばれてくる。どうせなら刺身でも食べたいと思うが、あまり生ものは出てこない。一番おいしいのは焼き立てのパンかもしれないと腹の中で不遜にも思ったりする。

仕方がないので酒を飲むことになる。最初に食前酒を飲み、次にビールを頂戴し、シャンパンをもらい、次に焼酎かウィスキーなんか飲みだすともう何をしに来たのかわからなくなる。居酒屋のようにこってりした料理が出ないので余計に酔いが回る。

そんなこんなしているうちにも披露宴のスケジュールはどんどん進んでいく。最初に着替えた新郎新婦が登場し、司会のナレーションで馴れ初めの紹介なんかがある。そしてスライドで2人の軌跡を写真で流す。あれはどこでもやるが構成はどれも同じだ。同じ形過ぎて何も記憶に残っていない。私などたった3回なのに何が映っていたのかさっぱり覚えていない。

そのうち、新郎新婦のもとへテーブルごとで近づいて少し声をかけてみんなで写真を撮ったりする。悪ノリする連中はビール瓶を片手に新郎を酔いつぶそうとする。

 

直近呼ばれたのは社内婚だったのだが、あれは何とも言えない。 挨拶する人は新郎新婦とも社内のお偉方で、学生時代の友人連中は所在なく気の毒である。しかも社内という気安さから、先輩などからの「飲めよ!おら!」の雰囲気で満ち溢れ、新郎はたいてい酔いつぶれて記憶は宇宙の彼方。牧師のボディースラムを回避してもアルコール・ボディーブローでノックアウトとなる。

 新婦はまあ、ハロウィーンよろしくお色直しなんていうものがあり、それなりに楽しいのかもしれない。結婚式は新婦のためにあるのだ。一度引っ込んで再び派手なドレスとかで登場するわけだが、それはそれで困る。何が困るかと言うと、私は一眼レフなんか持って行ったりする。安物ではあるが、一応一眼を持っていくとそれなりに目立って、お色直しをした新婦を撮れと言われる。こっちは他人のドレス姿なんか興味もないし、もっと良い写真をプロが撮っているだろうからご遠慮申し上げたいのだが、周囲は容赦しない。今度呼ばれたらコンデジにしようと心に誓う。

そんなこんなでキャンドルサービスやら余興やらが続くのだが、披露宴のエンタメ性もこのくらいが限界である。昔、私の両親が披露宴をした際は、いろいろなオプションをことごとくカットしたらしい。ついにはキャンドルサービスをカットしようとしたところ、式場の担当の人から「これまで削ると写真撮るところなくなりますよ」と言われてこれだけは残した。逆説的に言うと結婚式は写真を撮る会と言えるし、会社員としてはお偉方を招いての戦略的交遊会とも言える。

 

こんな言い方をしているといい加減怒られそうだ。ましてやこんな私を招いてくれた方々に申し訳ない。申し訳ないと思いつつも茶化したくなるのが日本の結婚式事情なのだ。

昔、椎名誠さんらが遊び仲間の林政明さん(通称リンさん)が結婚した際は、仲間内で結婚披露キャンプを修善寺でやったらしい。どんな模様かはわからないがい、豪華絢爛、酒池肉林のホテル披露宴ではなく、キャンプというのがニクい。それと、会社組織のような利害関係のある仲間ではなく、純粋にお祝いをしたい遊び仲間が集合したというのに憧れる。山にドレスを持ち込んで結婚記念登山をする山屋もいるようだが、どうせやるならホテル以外のところでやりたいなあと思いながら、実際にやる目途もたっていない今日なのである。

山道具考

「やれザックはミレーだ、ピッケルはシャルレだと道具だけにこだわるだけでなく、まずは身体と登山の技術を鍛錬することが肝要である」

おおよそこのようなことが実家の本棚に並ぶ40年ほど前の山岳雑誌に書かれていた。当時のヨーロッパ製の山道具は高嶺の花。当時の大卒初任給は11万円程度で、ミレーのザックは小型でも2万円以上したらしい。新入社員ならちょっといい山道具を揃えるにはボーナスまで待たなくてはならなかった。

高いものだから憧れる。高値は高嶺の異名である。

 

「ヘルメットと言えばガリビエールですよね」

冬の七丈小屋で会った五十代の男性は持参したウィスキーでほろ酔いになりながら、隣にいる同年輩の男性に同意を求めた。隣のおじさんは黙って頷いている。

「あれ被るとみんなが工事現場用ヘルメットって言うんですよ」

私は写真でしか見たことはないが、確かにお釜型の工事現場用タイプだ。かつてはこれも高級品だったらしい。今ヘルメットは1万円前後。当時は食費を削って貧乏山屋は買おうとした。

ガリビエールですよ。ガリビエール」

隣にいた同行の女性が可笑しいような困ったような笑みを私に向けた。

「サングラスはレイバンに憧れてですね。リチャード・ギアがかけていたような大きなやつ」

昔の憧れというものから離れられないようだ。「これこれ」と言って取り出したサングラスはアメリカ空軍といったグラスは大ぶり、ツルはやけに小ぶりでクラシカルなものだった。「こうです」とかけるが周囲にいた3人はやや失笑。決しておかしくはないが、白髪テンパーで四角い顔をしたおじさんはリチャード・ギアにはなれなかった。

おじさんそれにもめげず、「おにいさんみたいなサングラスは似合わないんだよね」と私のオークリーに目を付けた。オークリーはイチロー選手が愛用しているようにいかにもスポーツサングラスといった風情だ。「ちょっと貸して」と言うので素直に貸してみる。一同爆笑。先ほどの大ぶりなレイバンに比べると、デカいトランクからブーメランパンツに履き替えたようだった。

 

 「ザックといえばミレーだった。これは当時2万円もしたんやで」

冒頭の雑誌のように語ったのは父で、「ザックといえばミレーだよね」と年配の人から言われてあえてグレゴリーを買ったのは山の友人であり、私だ。山屋に道具にこだわる人は多い。山道具で生き残るための一つのツールでもあり、こだわることが一つの美学にもなる。

今、山道具に偏執的にこだわる人は少ない気がする。どのメーカーも極端に劣るものは出さない。登山用品店に並ぶものであればどれを選んでも大失敗はない。海外メーカーも極度には高くない。山道具にこだわる人もいるが、安くて良いものの出回る今はネームバリューより実用性にこだわる傾向が高い。

「これはシャルレのピッケル。木の部分に飴色になるまで亜麻油を塗った。謂わば武士の魂や。死んだらこれやるわ」

今は骨董品とも言えるピッケルを時々持ち出しては父が言う。しかし骨董品のわりにはピック部分には錆が目立ち、武士の魂のわりには手入れされていないのだが、当時の山屋の道具への思い入れは今の登山者には想像できないものなのだろう。

 

山道具考とタイトルを振ってみたが、山道具に対する先人(というと現役の人もいるので失礼だが)たちの思い入れを綴ってしまった。山道具は登山をしない人には意味不明なものが多い。特に積雪期用のアイゼンやピッケルのような金物は一般人からすると凶器で、それを得意げに振り回すのは山屋は狂気に見える。一方の山屋は一般に理解されない道具を大得意で使いこなし、それらの道具に魂が宿ると信じていた。

道具を粗末に扱う私の家からはいつかピッケルやヘルメットの百鬼夜行が出るに違いない。

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ドック

ドックといのは船舶のメンテナンス場である。英語では"dockyard"と言うらしい。長距離を航行する船は機関部の定期的なメンテナンスを行い、ドックに入って船底についた牡蠣殻などを除去しなくてはならない。司馬遼太郎坂の上の雲』を読むと、1900年頃のロシアは1年中水面の凍らない不凍港を求めて南下政策を取り、日本と衝突した。このあたりは朝鮮半島情勢や清、満州地域の問題などいろいろ学説があるが割愛する。不凍港というのはドックであり、船はそこで牡蠣殻を落とさないと機能しない。ロシア・バルチック艦隊はろくにドックでの整備もできず、人も船も疲労困憊で地球を半周してやってきた日本海で敗れた。

このように国家の命運をも分けるドックだが、これからするドックは船の話ではない。より一般的なドック、健康診断の方だ。前置きがやたらと長い。

 

初めてエコー検査と受け、バリウムを飲んだ。検査内容が今までのような身長体重と血液検査くらいから一気にグレードアップすると、一気に年を取った気がする。今まで年齢によって不問とされていた部分にチェックのメスが入る。健康診断に行って着替えることそのものが初めてだ。地味で緑ともねずみ色とも言えないトレーナーに身を通すと急に老け込んだ気がして、心なしかウェストも去年より膨らんだような気もする。ある意味でこれまでで一番自分の年齢を意識したかもしれない。

 

人間ドックとは上手く付けた名称だと思う。積年の酷使や不摂生によって身体に付着した牡蠣殻を検査し、場合によっては除去する。重病になって浸水し始める前に予防する。健康至上主義の現代において文句のつけようがない。その一方で日頃の怠惰を断罪する場所でもある。

初体験となったエコー検査。別に検査そのものは何ともないのだが、お腹にジェル状のものを塗られてマウスみたいなものでグリグリされる。結構しつこい。原田宗典さんがエッセイ『スバラ式世界』で死ぬほどこそばいと書いていたが、私はこそばくはなかった。ただ、腹筋やら脇腹やらをしつこくグリグリするから痛い。もう終わりかと思っても「ちょっと横向いて」とか言われてさらにグリグリする。ええ加減にせえ!と言いたいのを我慢しているとようやく終わった。

 

ドックと言っても本格的ではないので大抵の検査は大したことはなかった。ただ、最後に真打とも言える検査が待っていた。

胃の検査ということで呼ばれて検査室に入ると馬鹿でかい板に電車の手すりのようなものが付いた機械があった。検査員は慣れた様子で「これ飲んで。飲んだらゲップしないように」と軽い調子で言う。顆粒の粉末を口に流し込むと、たちまち胃を外から引き伸ばしにかかるような感覚がし、ゲップとともに吐きそうになる。言われた通り我慢するが目を白黒、瞳孔が開きっ放しになる。今度は「はい、バリウム。まずは飲むところを撮るから。半分くらい飲んで」と紙コップを渡される。飲んでみる。原田宗典さんは「砂糖入りの石膏」と表していたが、ゲップのガマン大会で味なんてわかりゃしない。

「はい、今度は全部飲んで!」

検査員は委細構わずリズミカルに呼びかける。

「今度は手すりに掴まって」

言うがままに掴まると硬い板の検査台が倒れる。なかなかアクロバティックだ。少しすると検査員が近寄ってきて「今日水飲んだ?」と訊く。「はぁ、夜中に一杯」と答えると、「バリウム検査の前は一杯でもダメなんだよね。本来ここで中止なんだけど、バリウム飲んじゃったし続けるから」

確か検査注意事項には「朝食と砂糖の入ったものを飲むな」だったような。正確に記憶してなかったので反論のしようもないし、今はゲップ我慢状態という弱みもある。

「台の上で右に二回転して」

検査員の声に従い2回回るが、検査台が硬くて痛い。

「今度は左に二回転」

なんか拷問を受けに来たみたいだ。先の原田さんのエッセイを読んでゲラゲラ笑っていた中学時代。まさか自分がこんな目に遭う日が来るとは思わなかった。その後も右を向いたり、左を向いたり、こんなことするくらいなら100キロマラソンを完走した方がマシと思っているうちに検査は終わった。なんでも水を飲むと胃壁にバリウムが付きにくくなるらしい。そのため通常より余計に回転させられたようだ。

 

全検査は1時間半ほどで終わった。ちょっと呆気なかったようだ。

後日検査結果が返ってきたが、エコー検査で胆嚢に極小ポリープが見つかり経過観察。苦難の胃検査は異常なし。牡蠣殻を取り除くでもなく、とりあえず牡蠣殻を見つけたという結果だった。ちょっとすっきりしない。

ラソンに励んでいた昨年より体重は少し増えたが、肝機能や脂質は昨年より良好。結局身体の微妙な不具合が気になるだけだ。

最後は大人って大変だなぁという子どものような感想のドックだった。