クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

北海道自転車放浪記-5

今振り返ると、過去の出会いを大切にすればよかったなと思うことがある。「旅は一期一会、出会いはその時だけ」と勝手なスローガンを掲げていたせいか北海道2週間の旅でその後につながる交流は何も残っていない。今でもサロマ湖近くのキムアネップで会ったお兄さんとお姉さんとまた3人で自転車で走れたら面白いと思う。

 

色黒のお兄さんは30歳くらいで日本一周中だという。一度就職してインターネット関係のシステムエンジニアとして働いたが、退職して自転車で沖縄から北海道へやって来た。ネットのエンジニアらしく旅にデジカメとパソコンを持参していて、今の状況をブログにアップしているらしい。

ポニーテールのお姉さんは26歳。何をしていたかは訊かなかったが、こちらも仕事を辞めて自転車とテントを買って北海道に来たと言う。

こういう話を聞くと不思議な感慨に囚われた。私は来年には就職したらもう2度とこのような長期の旅行はできないだろうと思って来ていた。ところが、ここには仕事を辞めて来ている人がごろごろいるのだ。普通のサラリーマンをやっていて1ヶ月もツーリングに出かけるなどできないのも事実だが、仕事を辞めても大丈夫なのもまた事実なのだ。何より仕事を辞めた人が特にこれからに不安を持つこともなく、むしろ生き生きしていた。お兄さんの方は帰ったら自転車屋をやると言っていたが、お姉さんの方は決めていないという。

その後、山によく行くようになった。しかし、山では若くして無職という人に会ったことはない。山に行く段階で装備や交通費などある程度の経済力が必要にはなる。それに気力と体力に満ちていないと厳しい気象に押しつぶされる。一方、自転車は実に金がかからない。北海道は無料キャンプ場やほとんど500円以内の宿泊施設が充実しているし、何より夏は涼しくて広い大地が気分をのびやかにさせる。

夏の北海道はさまざまな人生交差点となっていた。

 

キムアネップでの朝、金色に照らす陽の光の中でお姉さんにコーヒーをもらった後、キャンプ場を後にした。

キムアネップからサロマ湖畔を東に向かう。北海道の列車は架線のないディーゼル機関車である。広い大地を1両の汽車がゆっくりと走っていく。狭い都会を何両もの車両を連ねた列車が暴力的な音を立てて走り抜けるのは同じ日本と思えない。

北海道ではコンビニをよく利用した。北海道にはセイコーマートという地元チェーン店がある。本州の大都市のコンビニと違って、地元野菜や肉・魚などの生鮮食品が多く売られている。さしずめスーパーとコンビニのあいのこみたいなもので、自転車乗りの「給油所」となっている。

あるコンビニで買い物を済ませると表で自転車をばらしている青年がいた。彼はここで旅を終えて帰ると言う。自転車はコンビニから宅配便で送り、身体だけで帰るらしい。そういう手段もあるのだ。

「網走に行ったら『ホワイトハウス』という店に行ったらいいですよ。ウニ・イクラ丼とステーキの定食が出ます」

インターネット全盛時代だが、口伝えの情報には血の通った価値を感じる。私は例を言い、必ずその店に行くと言って別れた。

 

ホワイトハウス」は商店街にある洋食屋風の食堂で、伝え聞いた通りウニ・イクラ丼とサーロインステーキと言う掟破りの定食が出てきた。正確な値段は忘れたが1000円くらいで破格ではあった。味は値段の割には美味いという感じ。イクラは普通だがウニは蒸したムラサキウニで、サーロインも格別というほどではなかった。

 

網走を出てその日も海辺のキャンプ場に泊まった。キャンプ場と言う表記はあるが、車が1台止まっているだけで管理人もいない。海では3人の男女が水をかけ合って遊んでいる。

この日、「ホワイトハウス」で腹を膨らませて油断したのか夕食の食材を買い忘れていた。キャンプ場の周囲に何かあるだろうと高をくくっていたら全く何もない。食料は冗談ではなく米と塩しかない。仕方がないのでテントのそばで米を炊いて塩をかけて食べた。

海から上がった兄ちゃんが「おー、1人か」と訊き、「後で来いよ」と言われた。

日暮れ時、前日に会った日本一周のお兄さんが再び現れた。網走監獄を見学して、さらに他も観光してから来たと言う。こちらは1日漕いでようやく着いたというのにすごいスピードだ。

 

米だけのわびしい食事後はやることがない。誘われたこともあるので、日中水遊びをしていた兄ちゃんのところを訪ねた。

兄ちゃんは他に女性2人を連れてバーベキューをしていた。日に焼けてガッチリした身体で、鼻の下に髭を生やしている。2人の女性も同じく健康的に日焼けしていて、ちょっとヤンチャな雰囲気だ。ちょっと気後れしたが、3人での会話もネタが尽きたのか笑顔で迎えてくれた。

3人は釧路から来たという。関係性は今一つわからなかったが、ひどく暑いので海に入ろうと言うことになったらしい。豪勢にたくさんの肉を用意したが、3人中女性2人では食べきれないようで「よかったらどんどん食べて」ときた。こちらは米しか食べていないので遠慮なくいただく。

ついでに日本一周のお兄さんも呼んで5人で盛り上がった。日本一周のお兄さんはさすがに話題が豊富だった。写真や自身のブログを紹介し、木でできた名刺を配った。

その名刺は先日掃除をしている中で懐かしい空気とともにポロリと出てきた。

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北海道自転車放浪記-4

同級生のライダーとは北海道に入って4日目に別れた。最初から日中の行動はバラバラだし、バイクと自転車ではあまりにスピードが違い過ぎる。旭川を過ぎて私は一直線に知床を向かったが、彼は最北の宗谷岬の方も行ってみたいという。

旭川からは山道を登って北見峠を越えて、途中一泊し、サロマ湖を目指した。旭川を過ぎると交通量も落ち着き、静かに、孤独に自転車を進める。

 

北見峠から下りに入って丸瀬布という町に入った時、突如事件は起きた。

自転車を走らせていると、パチンという音。自転車が何かを踏んだかと思っていたら、車輪が回るたびに小さなカンカンという音がする。何事かと思って自転車から降りると、後輪のスポークが1本折れていた。自転車のタイヤを支えるスポークは細い針金のようなものだが、1本でも折れるとホイールのバランスが崩れ、走行不能になる可能性がある。

ちょうど街中だったのが不幸中の幸い。道を歩いている人に自転車屋がないか訊いてみる。しかし、その日は日曜日で町に一軒しかない自転車屋は休みだという。隣町は遠軽という町である。丸瀬布よりは大きいから自転車屋もやっているだろうと聞き、決断した。大きな荷物は前のキャリアに移し替え、折れたスポークは邪魔にならないように隣のスポークに巻き付けた。ホイールがぐにゃぐにゃに曲がったらおしまいだ。車輪が壊れないよう祈りを込めて静かに自転車に跨った。

遠軽では昭和30年代くらいからやっていそうな寂びれた自転車屋で「職人」といった風情のおじいさんがテキパキと修理にかかってくれた。丸瀬布から遠軽までの20kmの間にスポークはもう1本折れて、ホイールはブレーキにあたるほど歪んでいたが、「職人」の鮮やかな技で復活した。

「こんな修理できる自転車屋はなかなかいないぞ!」

「職人」は「兄ちゃん、運が良かったな」というニュアンスと自分の技量への誇りを言外に秘めて言った。私はその意をくんで「さすがです!」「助かりました!」と最大限の賛辞を送って外の出た。

出るとそれまで曇っていた空がいつの間にか晴れていた。

 

遠軽で自転車を修理してもらうと不意に空腹を覚えた。

この自転車旅行中、ずっと菓子パンを齧り水を飲んで進んでいたが、自転車のトラブルで少しほっとしたのか、北海道らしいものを食べたくなった。町を出て少し行くと土産物屋兼食堂といった赤い屋根の建物が建っていた。のぼりに「カニ」という文字を見てそちらへ自転車を滑らせて行った。

昼食の時間はとっくに過ぎて客は他にいない。テレビで高校野球をやっている。カニ飯を注文するが、店のおばさん、兄ちゃんとも仕事は上の空だ。手が空くとテレビに注目している。

その日は甲子園の決勝だった。駒大苫小牧早稲田実業田中将大と斉藤祐樹の両エースの投げ合いになる試合にその店だけでなく北海道中が注目していた。時折、駒大の選手が凡退したのか「あ~!」という声が上がる。店に配達で来たおじさんも「今どうなってる?」と言ってテレビを覗き込む。

私は出てきたカニ飯をきれいに平らげると、お代を払い、足音を殺して外に出た。

 

坂を下るとすぐに海だった。

もう夕方になっている。今日どこに泊まるか。『ツーリングマップル』を見るとキムアネップ岬というところに無料キャンプ場があるらしい。ライダーハウスといい、北海道のツーリング事情は素晴らしい。しばらく地図を眺めていると後ろから自転車の人が近づいてきた。

ドロップハンドの自転車に跨った細身で日に焼けたお兄さんだった。「こんにちは」とだけ挨拶を交わしたが、特にそれ以上の話もなく、お兄さんは風のように行ってしまった。

しばらく海沿いを走ると前方に黄色いシャツを着た自転車の人が見えた。少しずつ距離が縮まっていく。やがてそれが女性であることに気付いた。サンバイザーの後ろから一つに束ねた長い髪が下がっている。「カッコイイ」思わず呟いた。

徐々に距離を詰めながら進んでいると、先ほどのお兄さんが道端で写真を撮っている。会釈しながら追い越す。

前を行く女性にもう少しで追いつきそうになった時、ふと後ろを見るとすぐ後ろにお兄さんがピタッとついていた。私もここで追い抜くような無粋なことをせず、3台の自転車はまるでチームのように等間隔で走り、途中の分岐でゆっくりと停車した。

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北海道自転車放浪記-3

船は真っ暗闇の北海道に着いた。

前日の23:57に舞鶴港を出港して23時間、23:00に小樽港に着いた。船から吐き出された自動車やバイク・自転車はたちまち方々へ散って行った。道沿いに見かけた牛丼屋で同級生と2人で飯を食い、24時間営業のスーパー銭湯で風呂に入り、休憩スペースで雑魚寝。もうかなり遅い時間なのに酒を飲んで騒いでいる連中がいて、ようやく眠りについたのは3時だった。

翌朝、ぼんやりとした中「鱗友食堂」という店に向かった。せっかく小樽に来たのだから海鮮丼でも食べようということになったのだ。一緒に来た同級生はこの北海道ツーリングはむしろ食べ歩きと言っていい。バイクで走って食べるのだから「食べ走り」か。彼はサンマの刺身を載せたサンマ丼、私は鮭の親子丼にした。

腹ごしらえをすると彼とは別れて札幌を目指す。夕方に札幌の少し北、岩見沢の先にあるライダーハウスで再会の予定だ。

 

その日はひたすら自転車を漕ぐだけだった。

小樽と札幌間にさほど面白い光景はない。多少の起伏とやや蛇行した石狩川があるだけだ。交通量が本州と同じくらい激しいというのもある。淡々と漕いで札幌に着き、アウトドアショップであらかじめ注文していた寝袋を受け取ると再び北上した。北海道に来てまで都会に居続けたいと思わなかった。

札幌から旭川方面に自転車を走らせる。札幌からは北海道らしいまっすぐな道に変わった。自転車はとてつもない重さだが、一度スピードが付くと普段と変わらない。空は曇天で車の交通量は意外と多い。札幌の北は日本一長い直線道路で非常に単調。見晴らしもさほど良くない。

なかなか高ぶらない自分の心に対して「お~い、お前は今北海道を走っているんだぞ~!」と呼びかけてみた。

 

北海道には至る所にライダーハウスと呼ばれる宿がある。バイクや自転車で旅行する人向けの安宿で、寝袋などを持って行けば500円とか1000円で泊まることができる。

この日泊まったのは公民館のようなライダーハウスで、コインシャワーが併設されていた。シャワーを浴びて出ると、宿泊所の玄関にある囲炉裏でおじさんがトウモロコシを焼いていた。「食え!」と言われたのでありがたく頂戴する。自然に囲炉裏を囲むライダーたちと話を始めた。同年輩と思われる兄ちゃんは来年から大手自動車・バイクメーカーで働くらしい。

「就職を決めた〇〇の前に××自動車も面接行っただけど、そこの面接官が『当社の将来をどのように考えますか?』と訊いてきた」

どうやら私と同い年くらいらしい。

「そこで俺プチっときて『そんなこと今日の判決を聞いてからでしょう!』って言ったった」

これには少し注釈が必要だ。彼が採用面接を受けた××自動車が製造した車両はその直前に死者を出す事故を起こした。当初、車両の整備不良と見られた事故だが、捜査が続く中で車両の耐久性が疑われるようになり、しかもそれは組織ぐるみでのリコール隠しという深い闇を炙り出すことになったのだった。その面接当日は偶然にもその事件の判決の日だったのだ。

それにしても面接官も驚いただろう。型通りの質問に対して正論で思い切り怒られたわけだから。

「面接が終わったら、爽やかに『ありがとうございましたー』って言って帰った」

こういうバイタリティー溢れる人が就活でも成功するのだろう。

その後、彼は他の武勇伝を語りだした。とは言っても武闘派的な武勇伝ではなく色恋関係。彼は年上好きらしい。

「ある合コンで会って付き合いだしたら、ベッドで『私、夫と子どもがいるの』って告白された」

こういうバイタリティー溢れる人が恋愛でも成功あるいは失敗するのだろう。

犬も歩けば棒にあたる。この日、少し賢くなった。

北海道自転車放浪記-2

北海道へは舞鶴から小樽へフェリーで渡った。しかし、まずは自宅から京都に住むバイクの同級生の下宿に寄って一泊。翌日舞鶴に向かい深夜発のフェリーに乗る。何事もなければここらの記載は飛ばすつもりだったが、実は舞鶴までの道が一番困難だった。

出発2日前に私は風邪をひいて布団でうなっていた。ひどく暑い夏で、冷房で体調を崩したに違いなかった。よれよれで出発前日に荷物を詰め込んだが、頭が働かず早々に終わらせた。その後いろいろな忘れ物が見つかることになる。

 

翌日、灼熱の京都へ出発。道路沿いの温度計は43度と示していた。京都の北にある同級生の下宿に着くとすぐに倒れこんで寝てしまった。

翌日もよれよれで出発。『ツーリングマップル』で舞鶴まで直線距離で行ける道を選んだ。『ツーリングマップル』はバイクツーリング用の地図だ。自動車に乗せる大型本ではなく、A5サイズの地図帳で自転車ツーリストも使っている人が多い。道路だけでなく美味しい店や景色の良い道も掲載されていて、見ているだけで楽しい。ただ、この地図は自転車族からすると大いなる欠点があって、道の傾斜はあまり考慮されていない。バイク乗りにはただ静かな良い道でも、自転車では辛いという道も多い。

京都市街を出た私は鞍馬・貴船方面へ進んだ。朝の涼しいうちに距離を稼ぎたい。貴船に近づくと緑が多くなった。頭上を覆う緑の笠と川沿いを抜ける風が気持ち良く、川の上に縁台が見える。さすがは京都の避暑地という風情で、朝から観光客が多い。

ちょっとして京都観光の気分を味わうと、そこから急坂が始まった。鞍馬や貴船は古来天狗が住むようなエリアだ。自転車に乗ることもできず、汗を滴らせながら進む。正直、この時は北海道どころか舞鶴までたどり着けるかが問題だった。3L以上あった水はみるみるうちになくなった。風邪と京都の灼熱地獄でもうよれよれだ。

仕方がないので横を流れる川の水を汲んで飲む。どのくらい綺麗かわからないが、その水は清冽で何よりの栄養補給になった。一息つくと再び重い自転車を押し始めた。

 

慌てて準備した装備はかなり膨大なものとなっていた。

サイドバッグ4個にテント、寝袋*1、登山用コンロ、鍋、雨具、ヘッドライト、米、2Lポリタンク、着替え、レインカバーなどを入れ、800mlアルミボトルと500mlペットボトルを自転車のフレームに付ける。さらに欲張って登山も計画していたので、20Lザックを後部キャリアの上に載せ、靴はレザーのトレッキングシューズにした。

今なら45Lのザック1つにまとまめることも可能だが、当時はパッキングの能力が乏しく、代わりに体力はあった。総重量は40kgくらいはあったと思う。なぜこんなことになったか。おそらく北海道に対する過剰な警戒心があったからだろう。何百キロも続く無人の荒野みたいなイメージを抱いていて、そこで立ち往生したらのたれ死んでしまうのではないかと、半ば本気で考えていた。

小心な冒険家は自ら用意した重荷で押しつぶされそうになり、北海道より前に北海道行きのフェリー乗り場にたどり着くことが問題となっていた。

 

日暮れ時に舞鶴港に着いた。空腹だった私は途中のマクドナルドでハンバーガーを単品で3つ買い、港で貪った。さすがに3つめには飽きてしまった。

たかがフェリーに乗るだけで大仕事だ。これからどんな困難が訪れるだろうか。私は、バイクで楽々と着た友人の脇で、心細くそれでいてヒロイックな気分に駆られていた。

*1:寝袋は札幌で購入した

北海道自転車放浪記-1

部屋の片づけをしていると得体のしれないものが見つかったりする。プラスチックの書類を入れるケースの中から箱に入った数珠が出てきた。どこで手に入れたのか全く記憶にない。

その箱の隣にもう一つ箱があり、開けてみると写真がバラバラ出てきた。一番上に鮮やかなオレンジ色の鮭の親子丼が写っている。見た瞬間、北海道の涼しげな風と当時の甘酸っぱい気持ちが甦ってきた。そしてもはやあの日に戻れないという一抹の寂しさが胸を突いて写真をめくる手が止まった。

 

大学時代は自転車に凝っていた。

きっかけは高校時代の友人が自転車で四国八十八カ所巡りをしたことだった。彼は夏に四国に渡り、3週間かけて自転車でお遍路旅をした。日焼けして帰ってきた彼と会い、「終電後の駅舎でホームレスと一緒に泊まった」とか「居酒屋でヤクザのおっさんから1000円餞別にもらった」という話を聞くうちに、同い年の彼がとてつもなく大きく見えるようになっていた。そして次の年、彼と他の友人たちと広島・尾道と愛媛・今治を結ぶしまなみ海道を自転車で渡った時、私も自転車で旅行をしたいという思いに駆られた。

そうは言っても休学して日本一周するとか、海外遠征をするといったことは自分とは全く世界だと感じていた。もちろん憧れはしていたが、根が小心にできている自分にはどだい無理な話で、図書館で九里徳泰さんや関野吉晴さんの本を借りて読んでいるだけだった。

ただ、もう身体は一人前。何もせずに大学時代を終えたくはないという思いだけはあり、自転車はその思いを少しは埋めてくれそうだと思っていた。

 

しまなみ海道の後、ジャイアント社の「グレートジャーニー」というモデルの自転車を買った。マウンテンバイクのフレームに太めの舗装道路用タイヤ、泥除け、前後キャリアと4つのバッグが標準装備されている。これら全てで定価は80000円台だった。*1

通常、ツーリング用自転車は自分で自転車をカスタマイズして構築する。そのため全てパッケージされていたこのモデルは邪道ではあり、誰かのブログに「この装備で8万円台という値段は、少し詳しい人なら手を出さないだろう」という不吉な文言が掲載されてた。

確かに自転車と前後キャリアとバッグを4個買うだけで通常なら15万円くらいはしてしまう。8万円といのは当時としては(今でもだが)かなりの価格破壊だった。件のブログを書いているのは自転車屋さんで、市場を乱すこのような商品は好ましくないのかもしれない。しかし、市場と言っても自転車でツーリングをするのは金はなくても時間がある学生に限られており、私は一も二もなく飛びついたのだった。

 

北海道を目指したのは4回生、就活を終えて大学最後の夏だ。

北海道へは大学で同じ学科の同級生と行くことにした。彼はバイクで私は自転車なので時々待ち合わせるくらいだろう。彼は誰もに好かれる快活な男であったが、彼のバイク乗りとしての技量にはやや疑問があった。彼は教習所での検定の際に転倒して足を骨折、その後しばらく松葉づえをついていた。さらに足が癒えてから臨んだ検定ではカラーコーンにあたって検定中止。3度目の正直でようやく中型2輪の免許を手にした。

彼も最後の夏は記憶に残る大き目のことがしたかったようだ。この夏が終わると何かが終わる気がした。二度と取り戻せない何かが。

いったい何が?

2006年8月、私は北海道に向かった。

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*1:2005年当時の価格。その後モデルチェンジを繰り返し、2017年まで販売されたが、翌年惜しくも生産終了。コスパ最強なので、北海道に来る自転車ツーリストの半分はこのモデルだったという話もある。

火事と喧嘩

もはや師走である。

定例のボルダリングを終え、近くの駅に降りると赤色灯があたりをぐるぐる照らし、商店街に消防車が止まっていた。どうやら商店街の店で火事があったらしい。火はすでに消し止められたのか、現場を紐で囲い、警察官が現場に野次馬が立ち入らないように監視していた。歩行者は気になりつつも現場への立ち入りを封じられているので、囲い越しに覗き込みながらも歩を進めていた。

商店街を出るとさらに2台の消防車が停止していて、少し歩くと覆面パトカーともう1台の消防車が止まっていた。反対側にも2台いて、少なくともこの火事で10台以上の緊急車両が動員されたのは間違いない。

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われる。江戸の町が騒然と、そして熱を帯びる瞬間を言ったものだ。並ぶ緊急車両を眺めるにつけてその言葉唐突に浮かんだ。

しかし、本当にそこに私が見たのは平然と見送る市井の人たちだった。

 

火事以上に喧嘩はあまり見たことがない。大概わーわー大声を張り上げているだけで、まあ犬と変わらない。思い返すに関東に来てから取っ組み合いの喧嘩らしきものを見たのは一度だけだ。

確か金曜日の夜に横浜駅へ降り立った時のこと、駅の構内で2人の男を取り押さえている警備員がいた。男2人はまだ若く、1人は茶色に髪を染めていた。深緑の制服を着た警備員は100kgくらいの立派な体躯で、2人の男たちを難なく抑え込んでいて、その前ではもう1人の警備員が「立ち止まらないでください」と通行の妨げになる野次馬を遠ざけていた。

私を含めた通行人はその迫力に圧倒されつつもあたかもそこに何もないかのように通り過ぎていた。

 

昔読んだ江戸川乱歩の『影男』の冒頭、地下の秘密クラブで「闘人」なるものを行うというシーンがあった。「闘人」とは闘犬や闘鶏の犬や鶏の代わりに人が闘う、つまりが今の総合格闘技。物語は、お金持ちの夫人などが集まる秘密社交クラブでこれをやったところ、死人を出てしまう。その後始末をいつの間にか潜りこんだ「影男」と呼ばれる男が買って出るというストーリーだった。

平穏な日常に刺激を求めた貴婦人たちの醜聞を揉み消す。本来平穏を求めて貴婦人なる身分に落ち着いた人々がその平穏を壊すものに魅かれる。

 

 火事も喧嘩も平穏をかき乱すものである。しかし、一方で平穏をかき乱されたいという欲もどこかに眠っている。子どもが台風の到来にわくわくするように、大人もなんとなく流れる日常に大きな渦を作りたいと思うはずだ。相反する想いとともに今日が終わる。

今も昔も「火事と喧嘩は江戸の華」なのだ。

未読本

気が付くと本が増えている。そろそろ引越しも考えているので、蔵書整理の時かもしれない。そのうち電子書籍の導入も検討すべきかとも思う。

本も無闇に買ったりしない。基本的に「嵩張らない」「再読する」ものを選んでいるはずだが、なぜか未読のまま手元に残る本がある。

誰も興味はないと思うが、この際なので今現在の未読本を紹介しよう。

 

1,Philippe Petit "The Walk"

綱渡士フィリップ・プティの自伝的ノンフィクション。同題の映画が公開された際に、その活字版として発行された。角幡唯介さんがブログで絶賛していたので洋書で買ってみた。

当時できたばかりのワールドトレードセンターのツインタワーの間にワイヤーを張り、綱渡りをするまでの物語。この事件は「史上最も美しい犯罪」と呼ばれ、世界中で話題となった。

確かにやったかことは面白いのだが。なぜそんなことをやろうと思ったのかという肝心な部分が読み取れない。新聞でワールドトレードセンター建設の記事を見て、「これだ!」と思ったらしいが心中の描写は今ひとつ響かない。言葉にできないとなのだろうか。

結局はなかなか面白いと思うところまで到達せずにビル内を偵察するところでウロウロしている。もう少し英語力があればいいのかな。

 

2,Raymond Chandler "The Little Sister"

これも洋書。村上春樹が日本語訳を出しているので買ったのだが、チャンドラー自身が生前嫌いだと言うとおりなかなかストーリーが進まない。

村上春樹訳の日本語は読んだが、英語版は遅々として進まない。もう日本語訳も細かい点は忘れてしまった。

物語は"sister"が突如連絡の取れなくなった兄の捜索を主人公フィリップ・マーロウに依頼するというもの。村上春樹は登場人物の"sister"の描写を絶賛していたが、場面があっちへ行きこっちへ行きして少し無理がある。もうちょっと我慢してチャンドラー独特の描写を楽しまなくてはならない。

 

3,高野秀行『恋するソマリア

『謎の独立国家ソマリランド』を読んで面白かったので、文庫本になっていたのを見て即買いした。

即買いして即読み始めたが、すぐに読み切るのがもったいないと思っていたらそのまま未読になってしまった。このテーマで書き始めて未読だったことを思い出した。

ソマリアはアフリカ東部の国だが、内部は3国に分裂している。南部が国際的に認められている旧イタリアの植民地だった「ソマリア」で、あとプントランドソマリランドに分かれている。ソマリアは崩壊国家となっており、外務省が退避勧告を出しているくらいで、日本人にはほぼ馴染みがない。「他人がやらないことは無意味でもやる」をモットーとする高野さんだからこそ選んだテーマであり、毎回ハチャメチャで面白い(まだ途中だけど)。

本にカバーをかけたらどの本かわからなくなり、そのままに。早いところ再発掘しなくては。

 

4,Raymond Chandler "The High Window"

これは洋書も日本語訳も途中。読むと睡魔が襲ってくる。

チャンドラーは"The Long Good-bye"から始めて3冊読んだ。巧みな情景描写とウィットに富んだ会話が魅力なのだが、集中力がなくなるとすぐに眠くなる。

主人公フィリップ・マーロウが大富豪夫人から特別な金貨を取り戻すように依頼されるという話。チャンドラーの特徴なのだが、登場人物や事件につながりや必然性がないケースがあって、途中で「こいつ誰だ?」となることがある。なんとか読み進めているが、殺人事件が発生して、金貨が出てきて、依頼が取り下げられてなんだかわからない展開になってきた。

"The Little Sister"もそうだが、筋を追うとかえって読めない。適当に会話を楽しむくらいがちょうどいい。ただ英語力が課題になる。

睡眠導入剤にはいいんだけど。

 

本を整理していると他にもいろいろ出てくる。『山と渓谷』のバックナンバーなんかは分厚くて困る。この際処分しようかと思って開くと意外と隅から隅まで読んでいないことに気が付いて処分を躊躇ってしまう。

山岳雑誌を見ているとALONE ON THE WALL"という本も未読であることを思いだした。これも読まないと。

そんなことをしているから部屋が片付かない。