クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

今年のボーナス、何に使う?

夏のボーナスの時期が近づいてきた。

国家公務員の場合、夏のボーナスは6月末が支給日で、民間企業もそれに倣うことが多いようだ。過去はボーナス戦線といった具合に家電メーカー、カーディーラー、旅行会社が争って広告を出していたが、「うちはボーナスなんか出なかったよ!」という反発のためか、あまり派手に宣伝されることがなくなった気がする。

それはともかく、みんなボーナスを何に使うのだろう?

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一番の使い道は旅行だったかな

リサーチによるとボーナスの一番の使い道は預貯金なんだという。それは使い道と言えるのか謎だが、コロナ騒動でさらに堅実に貯める意識が加速したと見られる。

昨年の新入社員(女性)も「お弁当持ちなの?」と訊かれて「貯金したいから」と答えていた。昨年の給付金も大方貯金しただろう。

2番目は生活費の補填、3番目にローンや借金の返済と来る。

「ちょっと悲しいぞ。若いんだからもっとバーンと使わんかい!」

と誰に対してだかわからず怒りをぶつけたものの、私だってボーナスを当てにして何かを買ったことはない。

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私の人生で一番の買い物は一昨年のカナダ旅行、運転免許証、自転車と続く。昔はみんな最初のボーナスをローンの頭金にして車を買ったそうだからそんな時代と隔世の感がある。

バブルの時代はボーナスが年3回出たこともあると噂には聞いた。あの時代みんな何に使っていたのだろう。海外旅行、新車購入、住宅ローン。

どれもステレオタイプで聞くだけでは面白味を感じないが、使ってもいい、何に使おうという高揚感こそが何にも代えがたい喜びだったのではなないだろうか。

ボーナスを生活収入と割り切ってしまうと金をもらっても預金通帳の上下でしかとらえられないというやりきれない気持ちだけが膨らんでしまう。

 

さて、私はというと相方持参のオーディオがいよいよ壊れたので、先日注文してしまった。近所の図書館でCDを借りれるそうだし、今から聞くのが楽しみだ。あと今年の夏も北海道の旅行を計画しているので、それに使うかな。あと今は白神山地に行きたい。ついでに山形で蕎麦も食べたい。

最近は金より時間が貴重になっているので、どこまで実行できるか。

こんな時代だからこそよりくだらないこと、他人が理解できないことにボーナスを使っている人の話を聞いてみたい。

飲みニケーションはお仕事?

ここのところテレビでは地デジよりYouTubeを見ることが多い。そもそもテレビは週末にしかスイッチを入れないのだけど。

YouTubeディスカバリーチャンネルがあったので見てみた。日本の酒文化がテーマになっていて、なかなか興味深いし、英語のリスニングにいい。ちょっと発音が流暢過ぎる日本人が多くて、仕込みが入っているかもしれないが、まあ楽しいので許そう。

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内容は酒文化ということで、醸造所やバー、居酒屋なんかをはしごする。居酒屋なんかは確かに欧米にないので珍しいだろう。
ただ、それより面白いのが、シニカルな日本解説。
「日本人は仕事熱心で働き過ぎで死ぬくらいです」
過労死問題は笑い事じゃ済まないけど、
「なんで死ぬほど働かなきゃならんのか?」
と聞かれれば答えに窮してしまう。
「彼らは朝の8時から夜の10時まで働いています」
それは大変だと思っていたら飲み会含むということらしい。飲み会は「飲みニケーション」として仕事に含まれるらしい。「ジンセイとは、仕事と酒とマイホームなり」のジャパニーズ・サラリーマンができあがりそうだ。
欧米から見ればますます謎が深まるだろう。
 
映像を見ていると、日本人は完璧主義で勤勉な民族だ。
ウィスキーを作れば、世界の種々の木を集めて貯蔵し(山崎醸造所)、カクテル用の氷を削ればダイヤの原石のよう。
完璧主義の代償となるストレスを酒で振り払い、翌朝は梅茶漬けをかき込んで再び仕事に出る。加減を知らない不可解な民族。そう描かれている。
一面、正しい。
日本人はすべからく懸命に働くべしと思っている。少なくとも学校ではそう習うし、それが正しい考えだと信じている。
しかし、今はどうだろう。ワークライフバランスダイバーシティ。「多様化」が新しい正義として生まれた。多様な価値観を認めることと、すべからく勤勉であることは相反する考えとなって、いろいろな歪を生んでいる。
その歪をどう決着させるかが企業経営者の手腕とも言える。これまでのように飲みにケーションは仕事だという考えも押し付けられない。
 
固い話になったけど、広島弁で言う「ええがい」にやるのがいいのだろう。
「ええがい」とは「いい具合」。適切なというより「テキトーな」という意味である。

住宅ローンと人生の冒険

 最近、休日は朝にランニング、図書館で本を借り、午後散歩するという具合になっている。

散歩がてら、公園が見つかれば懸垂をしたり。かなり怪しい人かもしれない。

あとはぶらぶら歩きながら、他人の住宅を観察したりする。都内は郊外でも細長い家が多い。土地が高いのだ。

最近、後輩が家を買うということで、云千万円のローン審査が下りたらしい。

 

住宅ローンは30代前半なら最長で35年のを組むことができる。

大抵、繰り上げ返済や退職金で清算するので、30年弱で終わらせるようだが、年数を考えると恐ろしい。懲役35年といった言葉が想起されたりしてしまう。

後輩の彼は現在共稼ぎで奥様も立派な職業に就いているので、世帯年収は1000万円超。こういう夫婦を世に「パワーカップル」と呼ぶようだ。先の云千万円のローンもこの経済力のなせる業。

今の時代、銀行も経済が低迷していて貸せるところが限られるので、パワーカップルにはじゃかすか貸すようだ。

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一生に必要なお金は3億円くらいらしい。もちろん貨幣価値が一定ならばという前提だが。

その中で住宅は4000万円超。1単位で考えれば断トツの高額。これを買うと月に十数万円の支払いが発生する。まあ、家賃もワンルームとかでなければそれくらいするので、家賃と引き換えに資産を獲得するという考えもできる。一方で、経済力が下がっても途中で降りることを許されないというデメリットもある。

つまり、住宅ローンを組むということは安定した将来を期待するという現れとも言えるそうだ。未来永劫と言わずとも将来にわたって収入と支出を保証する。つまりは変な転職や家族構成の変更はできないし、しない。

 

しかし、まあ南極に行きたいとか、ヨットで太平洋を横断したいとか、気球でエベレストを越えたいとかなければ、それはそれでいいのかもしれない。

住宅ローンを組んだ瞬間、人生における冒険は終わっているのだ。

「人生ゲーム」のような人生は面白い?

そろそろ雨の季節となる。ゲームの季節とも言えそう。

私の実家にはファミコンのようなテレビゲームの類は一切なかったので、ゲームと言えばボードゲームやカードゲーム。将棋、チェス、モノポリー、トランプ、UNO、花札などなどの古典的ゲームが定番で、中でも時折家族でやる人生ゲームが楽しかった。

 

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これから雨の季節

人生ゲームは簡単に言えば金持ちを争うゲームだ。それだけ聞いたらなんともつまらんゲームなのだが、人生ゲームの歴史はなかなか面白い。

タカラトミーのホームページによると1968年の初代は本家アメリカ版が基礎となっている。代表的なコピーは以下のとおり。

・牧場のあとつぎになる
・火星から使者がきた
・高級車ロールスロイスを買う
・羊がとなりの家のランを食った
・ヨットを買う

 火星人と羊が同列というところが素晴らしい。というか火星から使者が来るような人物がせこせこ金持ちを目指すだろうか。

2代目になると

・TVのゲームショーで勝つ
・南極観光旅行に参加する
・潜水中に財宝を発見する
ウラニウム鉱山を発見する
・エベレスト登山成功

エベレストが成功の証になるあたりが時代を感じる。一方で南極は観光とは。三極点の扱いに差が大きすぎるぞとツッコミを入れたい。

ただ、いずれのコピーもスケールが大きいことだけは間違いない。

「夢はBIGに行こうぜ!」

 という雰囲気が伝わってくる。

 

ちなみに私がやっていたのは母親が実家から持ってきたもので、3世代目。タカラトミーの説明によれば日本的な要素を取り入れたということだが、代表的コピーはこちら。

・たずね猫を見つけ飼い主にわたす
・お世話になった人達にお歳暮を送る
・正月休みに4泊5日のスキーツアーに行く
ノーベル賞を受賞する
・先祖代々の土地を売る

 ノーベル賞はBIGなのだが、スキーツアーとなると庶民的。日本的となるとスケールダウンが否めない。

 確か職業は医者、弁護士の給料が高かった記憶がある。定期収入が少ないのに散財を繰り返すマスに止まると「うひー」となったものだった。

こういうゲームによって少年少女は「将来は安定した収入の職業に就こう」と誓うのである。

 

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やったことないけど平成版の最後はこんな感じらしい。

・TV番組にビデオ投稿したら採用された
スノーボードで骨折
・子供がテレビCMのオーディションに合格
・どこがよいのかわからないが、近代芸術品を買う
無人島を買い、別荘を建てる

身の丈に合ったというか、全て現実的になった。

ネタは面白い内容なんだけど夢がなくなってきたのは世相のせいだろうか。

 

タカラトミーの令和版人生ゲームはお金ではなくフォロワーを集めるらしい。「人生お金じゃない」ということなんだろう。

しかし、フォロワーを集めて「いい人生」でしたということになるのかはちょっと疑問だ。今の子どもは本当にそれがしたいことなのだろうか。

こんな時代だからこそ、ゲームの中でくらい「ぶっ飛んだ」人生を送らせてほしい気がする。

エコバッグは環境に悪い?

「買い物に行ってエコバッグをわすれちゃって。別に袋代の6円が惜しいわけじゃないけど、そういう問題じゃないじゃない」

 そんな会話を聞いた。「エコ」じゃないのが気になるらしい。

当初、ビニール袋をもらわなければ2円引きというのをイトーヨーカドー西友でやってたかと思っていたら、今度はビニール袋は1枚2円。そして今は6円になった。

私は小銭が惜しいので、2円引き時代からエコバッグを持っていた。ちなみにエコバッグ自体が貰い物をいまだに使い続けている。我が父はもっと徹底していて、タダでもらえるところでもらった袋を丁寧に折りたたんで、常に忍ばせておき、金のかかるところで取り出して使い、最後はゴミを出すのに使っていた。

金を取ることでビニール袋を使わなくなる取り組みそのものは成功していると言えるかもしれない。

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 一方で「エコバッグは環境に悪い」という記事を見かけた。

言われてみれば、エコバッグはたいていナイロンか何かでできていて、これもまた石油製品だ。少し多く買うと1つで足りないので、2つ以上持つ必要があるし、1人1人が持っておかなくてはならない。エコバッグだって、製造・運搬・販売という物流の過程でエネルギーを使い、CO2を排出している。

しかも、ビニール袋はゴミ捨てか何かに使うのだから、ただ無駄に廃棄されているわけではない。市販のゴミ袋を使ったら資源の無駄という意味では同じことである。

結局、どちらが環境にいいかと言えば、おそらく検証は不可能。きっと「エコバッグ派」と「反エコバッグ派」の水掛け論になるに違いない。

 

先日、駅前で「カーボンオフ」を主張している議員がいた。

正直、このカーボンオフの考え方は好きになれない。CO2の排出をゼロにするには息を止めなくてはならない。

彼ら、彼女らの言うCO2排出ゼロとは

「こっちでは排出しているけど、こっちでは排出削減に貢献しているから差し引きゼロ」

というなんとも言えない言い逃れの論法である。しかも、人は光合成ができるわけではないから、「他人(他国)の出したCO2を私が削減した」という理屈となる。

その一方で、景気対策やコロナ対策の補助は訴えるのだからよくわからない。景気が良くなれば人が動き、資源を使い、ゴミを出し、CO2を排出する。

 

先の「エコじゃないと」発言を見るに、どうも現代人はエコを経済活動に対する免罪符を求めているような気がしてならない。

70億にまで膨れ上がった人類は誰を取っても「エコ」な存在でありえない。その中で「せめて私だけはエコではない罪から逃れますように」という「エゴ」がエコバッグには透けて見えて、どうも私には違和感が残るのである。

いくつから中年になるのだろう?

ここのところ月曜日は身体が重い。

なぜかと考えるに、平日は忙しいので日曜日にトレーニングでもしようとする。走りまくり、懸垂したり、腕立てしたりする。ついでに本も読みたいし、山道具も見に行きたいしと予定を詰め込む。結果疲れる。

おとなしく家で寝ていればいいではないかという意見もあろうけど、そんなことをしたら腹が出たまごうことなきニッポンの中年オジサンとなってしまい、山でも電車でも大汗をかいてしまう。それは嫌なのである。

 

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南九州を旅した時は「学生か?」と訊かれた

 

人はいくつからオジサン・オバサンとなるのか。これは永遠のテーマである。

昔「探偵ナイトスクープ」で調査してほしいという依頼があった。「探偵」がやるのだから、単にアンケートや街頭インタビューなんていう方法は取らない。1歳刻みでズラリと女性を並べ、純粋無垢と思しき少年に「どこからオバサン?」と訊くのだ。

突然、重要な使命を帯びた少年がズラリ並ぶ女性の前を横切る。通り過ぎると安堵の息をつく女性。立ち止まりそうになると息をのむ女性。そして、最後に少年は足を止めて指をさす。

いかにも残酷な仕打ちに見える。ただ、この企画が巧みなのは年齢という平等な格差で並べているところにある。人は年を取る。どこかでオバサン(あるいはオジサン)になる。それが今なのか、これからなのかを試しているだけ。

いずれみんなそちら側(オバサン側)に行く定めなのだ。

 

以前、ラジオで聞いた話。

男性が年齢を感じるのは、まず「アスリートが年下になった時」が一番だったそうだ。

アンケートのやり方で全く違う結果にもなるだろう。ただ、肉体的にピークが過ぎ去っていくのは自分自身よりアスリートの方がシビアだ。衰えは即引退、失業につながる。そのアスリートより年が上になるということは自分も既に衰えている証となる。

このあたりは登山をやっているとやや楽観的だ。登山を始めるのはたいていが20歳過ぎてから。経験値の割合も大きいので、ピークはだいたい30代。

ただ、他のスポーツと大きな違いは命がかかっている点で、衰えは単なる引退でなく、人生からの引退となる可能性がある。天寿を全うする先鋭的なクライマーはここをどう乗り切るかがキーとなる。

それはともかく、登山ではピーク年齢といわゆる中年が重なるので、年齢を意識しないで済む。「30は若者、40や50はまだまだ、60でようやくおじちゃん」くらいの緩やかさなので、年齢に対して寛容になる。プロアスリートのように「引退」がないところもいいのかもしれない。

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あの時はよく歩けたなあという縦走

そうは言っても、人間は23から24歳をピークにして衰え続ける生き物である。先日、生物学者の小林武彦さんが言っていたから間違いないだろう。

ここのところ疲れが取れにくいし、以前のようにガツガツと登る意識も薄れた。今は山で12時間行動をできる自信がない。

その一方で、今はトレーニングが足りていないだけ。鍛えればまた元に戻ると考えているもう一人の自分がいて、今はその葛藤中である。

いつから中年になるか。それは若さを明確にイメージできるようになった時かもしれない。

西武園ゆうえんちのリニューアルと生駒山上ゆうえんち

 大前研一さんの「ニュースの視点blog」を見ていたら西武園ゆうえんちについて記事があった。

しばらく休園し、西武多摩湖線の駅名も「西武遊園地」から「多摩湖」に変わったと思っていたらリニューアルオープンしたらしい。コンセプトは「昭和レトロ」。昭和も歴史的過去として博物館か遊園地になるような時代になったのだ。

しかし、大前さんはこのリニューアルについてはヒットしないと一刀両断している。なにがしかの個性が要求される中で選んだ「昭和レトロ」は果たして吉と出るだろうか。

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西武園ゆうえんち近くの狭山公園

遊園地がディズニーランド、シーの独り勝ちになって久しい。豊島園もなくなり、今や元気なのは富士急ハイランドくらいだろうか。

関西の遊園地淘汰はある意味もっと激しい。近鉄あやめ池遊園地、エキスポランド奈良ドリームランドなどが立て続けに閉園となり、今はひらかたパークのみ。こちらもUSJの独り勝ち。

ところが関西には真っ先に潰れると言われながら生き残っている遊園地がある。

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生駒山上の名物飛行塔(冬季休園中)



それは生駒山上遊園地

関東の人は全く知らんだろうが、昭和レトロどころでない単なる昭和そのまんまの遊園地である。

しかも場所はスカイツリーと変わらない標高600mくらいの生駒山にある。当然アクセスはすばらしく悪い。

公共交通機関の場合、近鉄生駒駅からケーブルカー駅に行き、中腹の宝山寺駅に向かう。このケーブルカーは日本最古という由緒正しき乗り物なのだが、今から20年くらい前になぜか犬と猫のぶっ飛んだデザインにされてしまった。山上に辿り着くにはさらに宝山寺駅からケーブルカーを乗り継ぎ、今度はなぜかケーキ型の車両でようやく遊園地に着く。

ちなみに冬は雪が降ることもあり、休園する。アクセスも稼働率も頗る悪いのだが、各地で遊園地が閉演する中なぜか生き残っている。

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これは小金井の江戸たてもの園、結構面白い



まあビジネス的にどうか、儲かっているのかはわからない。しかし、あまりに緩すぎる乗り物やアトラクションで、ひところ人気になったらしい。写真の飛行塔なんかは決してお客を振り回すわけでなく、極めてゆっくり回る。お手玉みたいな袋を投げる的当て(ジュースの缶を倒すとジュースがもらえる)。急流すべり。お化け屋敷。

世間が富士急に代表されるような絶叫マシンに向かっていた時代、この山上遊園地も絶叫系を入れていた時代もあったのだが、結局は園児でも楽しめるものだけが残った。

こんな話を持ち出して何が言いたいかというと、作られた世界では設計者の考えた以上の感動を来園者に与えることは難しい。そうなるとディズニーやUSJのように資金力に物を言わせたアトラクションが勝つのは目に見えている。

ローテクの少ない資金力で最大限に楽しませるためには、来園者がそれぞれ新しい楽しみ方を発見できる仕組みにしなければならない。作り物の世界は一度は面白くても二度目に飽きる。

西武園ゆうえんちは100億円の資金を投じてリニューアルしたという。

来園者が設計者の意図を超えて遊ぶことができればリニューアルは成功するだろう。ただ、押し付けのエンターテインメントになれば長続きしない気がしている。