クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

なんとなく鎌倉切通し散策

ここのところ週末の天気が安定しない。暑かったり、急に雨が降ったり。仕方がないので少し遠出から遠のいている。

先々週はなんとなく鎌倉散策をした。鎌倉は横浜に住んでいた時代によくジョギングをしたが、観光はあまりしていない。まあ、ぶらぶらしていても少し観光っぽいのがいいところだ。

そんなわけでいわゆる「観光」を試みたわけだが、結構蒸し暑い。鎌倉宮を目指して適当に歩いていたら住宅地に入り込んでしまった。「あれあれ」と言いつつ地図を見ると細い道を伝って鎌倉宮に行けそうだと思って歩いていくと切通しがあった。

こちら釈迦堂口の切通し。

ただ、残念ながら通行止めとなっている。こういう探検っぽい雰囲気は大好きなので通ってみたかった。

ちなみにかつては朝夷奈の切通しによく行った。ここはいかにも鎌倉防衛の要という感じで、雰囲気がいい。横の切り立つところはまるで黒部峡谷のようだ。

かつて名越切通しも行ったけど、写真はどこへ行ったかわからない。いずれ鎌倉切通し巡りとかやってみたい。

それで鎌倉で何をしたかというとそれだけである。

帰りに鎌倉駅近くのスーパーでマグロのカマとバターピーナッツを買って帰った。暑くて途中でバテたのだ。

充実した週末を過ごすのは意外と難しい。

味噌を作るということ

昨年の12月、ちょうどクリスマスの時期に大分へ行った。

目的は九重連山に行くことだったが、結局天候も悪く由布岳に登るのにとどまった。おまけに由布岳も霧と雪に覆われてわりとさんざんな目に遭ってしまった。

下山して温泉で温まり、翌日は城下町・杵築へ。風情のある味噌屋さんで買ったのが糀。暖簾にかかっているように天然醸造

これで味噌を作ろうというのだ。

豆腐を作ったりと最近相方は手作りで加工品を作るのに凝っている。

味噌は相方曰く「簡単」なのだそうだ。

大豆を水に浸け、半日以上経過した後、鍋でよく煮る。煮たら冷ます。そして豆をミキサーで潰し、糀と混ぜてタッパーに入れて半年待つ。

とりあえずコダワリとして大豆は豆腐づくりで余った北海道産。水は近所の「名水」を私が汲んできた。

正直、昨今は大豆が安く売っていないので、原価は高額でもないが、安くもない。手間を考えるとスーパーで買った方がいい。しかも半年かかるのだ。

まあ、そんなことで1月に漬け、涼しい本棚に入れて半年。発酵してタッパーからやや漏れ、私の本を汚すところだった。

出してみるとシッカリ味噌になっている。

味は少ししょっぱい気もするが、市販のだし入り味噌と違って、「味噌でゴワス」という硬派な感じがいい。何より時を積み重ねてできるところが、発酵食品の重みだ。

「ああ、あれからもう半年以上経ったか」と感じさせる味噌なのである。

台風を待ち望んでしまう

ことしもいよいよ台風シーズンとなった。

このところ7月、8月にも続々といらっしゃるようになったので、台風シーズンといつかわかりにくくなった。それでも9月の上陸数がやはり一番多いようだ。

子どもの頃、台風は1つのイベントだった気がする。「台風〇号が発生しました」というニュースが流れれば、経路を凝視する。ニュースキャスターが深刻な顔をして「心配ですね」などと言えばワクワクするという小学生は私だけでないはずだ。

今から50年も前は台風となると雨戸を釘で打って固定したりと大変だったようだ。

しかし一方で、それが父親を頼もしく見せたりという場にもなった。商店も台風接近とともに臨時休業にし、シャッターを閉めてしまう。街全体が台風モードに入るのである。

一方、田舎になると台風の後に流される魚を捕る漁もあったのだとか。水路を流れる魚を笊ですくったり、池から溢れて地面に取り残された魚を拾い集める。子どもにとっては夢のような展開だったらしい。

台風を心待ちにしていた話は昔になればなるほど多い。

 

今はどうかと言えば、気象そのものはより暴力的に、激しくなっている。ちょっと楽しい台風という感じがない。

そのわりに台風の日でも都市機能は比較的健全に動いている。健全に動かれると、今日は休みとは誰しも言いにくい。約束があれば雨が降ろうと取引先に訪問し、遅れが出て混み合う電車で出勤、帰宅する。

子どもの頃は警報が出れば休校だったのに、大人になると台風で休むのが不真面目のように扱われ、余計に疲れるだけなのだ。いっそのこと日本全国が停止してしまえばと思ったりしてしまう。

災害が嬉しいなどと言うと不謹慎だが、今でも街全体が止まるような台風を少し待ち望んでしまう自分がいる。

夏の騒音問題

夏に出かけている最中、住んでいるアパートの管理会社から連絡があった。初めてのことなので、慌てて折り返しの電話をかけると、「折り返しのお電話ありがとうございます」と丁寧な言葉遣いながら、「風鈴がうるさいという苦情がありまして」と言われた。

風鈴は一昨年に小樽へ行った際、贖ったもので、少々大振り。この夏は風の強い日が多かったので、隣の住人からするとうるさかったのかもしれない。少し反省して直ちに撤去した。

最近はいろいろなものが「騒音」の対象となるらしい。

赤ちゃんの泣き声から、洗濯機、足音。盆踊りなんかも騒音の対象になるらしく、中止を余儀なくされるところも増えているのだとか。

各人それぞれがそれぞれのリズムと価値観で生きているのだから仕方ない。ただ、祭りまでシャットアウトしてしまうと、地域との関係を断ち切っているようで、少々味気ない。赤ちゃんや子どもの声にしても健全な世代サイクルがあってこそのもの。

土地とのつながりは音によって結ばれているように思えるのだが、今は「騒音」の一言で遮断されてしまうようだ。

 

結局、我が家の「騒音問題」から1週間もしないうちに隣家の人は引っ越して行った。

その原因は風鈴のせいなのかどうかはわからない。

なんとなく押しの押し寿司を推してみる

先日も書いたのだけど、相方は岐阜育ち、私は奈良育ちで海なし県にずっといた。

海なし県出身者の悲しいところは、海に行くとなると過剰に興奮することと、魚が不味いこと。今は随分美味しいのも出回っているが、かつては美味しかった記憶がない。給食ではパック入りのサバの味噌煮が一番人気だったくらいだ。

そんな悲しい海なし県の押し寿司を勝手に紹介したい。

 

寿司と言えば江戸前をイメージする人が多い。しかし、あれは気の短い江戸っ子の屋台飯であって、古くは「なれずし」などの発酵したものか、押し寿司が主であった。

能書きはいろいろあるけど、まずは富山の鱒寿司

樽というかわっぱというか、そんな箱に入っている。下は定番の丸い形のもので、確か宇奈月温泉で買った。

美味い。美味いんだけど、1人で食べると途中で食傷気味になった。

そこで、この夏富山に行った時は2種入りを選択。鯖と鱒の混合で、これもなかなか。鱒寿司は大振りな笹でくるまれている。

さて、わが奈良県には対抗して柿の葉寿司がある。

昔から好きで、最寄駅に「たなかの柿の葉寿司」があった。実家にいたときは食べないのに、最近関西方面に行くと、なんとなく駅弁として買ってしまう。鱒寿司との違いはさほどない気がする。ただ、コンパクトに柿の葉にくるまれていて食べやすいので、私は柿の葉派だ。

同じく岐阜にも押し寿司があるそうだ。朴葉を使ったものがあるらしい。先日高山で駅弁でも買おうかとも考えたのだが、なかった気がする。飛騨高山や郡上八幡は魚と言えば川魚があるので、寿司にする必要がなかったのかもしれない。

名古屋生まれ、岐阜育ちの相方は天むすをやけに押すが、私なんぞはおにぎりと天ぷらは別に食べてもいい気がする。

この正月には悲願の鮒ずしを頂戴した。これはブルーチーズみたいな複雑な味のするもので、酒のつまみにちょっとならいい。ただ、値段も高いし、人口に膾炙するものではない。

他にも全国津々浦々いろいろありそうなので、旅先で見つけたらボチボチ食べてみよう。

 

なんとなく書き始めたが、全国の押し寿司をそんなに食べていないことに今さら気が付いた。「海あり県」ではあえて押し寿司を買わないし、今やどこでも刺身が食べられる。

寿司は海が遠いがゆえに発展した食品であって、現代においては進化が止まってしまったものと言える。そんな食品だからこそ、受け継ぎ、食いつなぎしていってほしいと感じるこの頃である。

憧れの鰻に会うために

旅の楽しみは食の楽しみだったりする。

このところ旅行は登山と食がテーマとなっていて、腹を減らせて美味いものを食べるということが多い。最近は宿代はできるだけ安いところにすることが多く、その分を食に充てている。

今夏は6日にもわたるレトルト食品とアルファ米の食事の後、富山で寿司と海鮮にありつくことができ、高山では飛騨牛を頂戴した。海鮮はなにしろ産地が一番。

これぞ旅の醍醐味である。

 

一方でどこで食べても価格がそれなりの憧れの食材というのがある。

一つが海鮮のジャンルに入るが、ウニ。一昨年、利尻で食べたが、この時はうに丼1杯が5000円弱。産地では型崩れ防止のミョウバンが入っていないので、味は格別だが、値段は格別とはならないのが、憧れの食材たるゆえんだったりする。

yachanman.hatenablog.com

それとは別に憧れの食材と言えば鰻。

鮪の大トロという意見もござろうけど、江戸時代までトロは人気がなかったというから、やはり鰻が一番である。もっとも、かつては庶民の味だったのが、昨今では希少性が増し過ぎているきらいがある。

昨年の秋に大月から三島まで自転車を漕いだ。三島は水のきれいなところで、鰻が有名だ。宿の近くにちょうど古い鰻屋があったので、テイクアウトした。

三島では江戸前の蒲焼きらしく、蒸した後に炭火で焼いている。北大路魯山人が「大阪の人は江戸前の鰻を脂が抜けて不味いと言うが、本当に美味いものは調理の仕方が違う」と書いていた記憶がある。この時の鰻はまさに美味い調理らしく、一番安価な鰻丼にしたのを後悔した。

さて、この夏は法事で名古屋に行き、ここでも鰻を頂戴した。

相方の実家では夏は郡上踊りへ行っていたらしい。郡上踊りは郡上八幡で行われる盆踊りで、郡上八幡長良川の上流に位置する。長良川は古くから清流として知られ、鰻や鮎の産地でもある。

だからなのかはわからないが、相方の実家へ訪ねると鰻を頂戴する機会がちょくちょく増えた。憧れの鰻は就職して独り暮らしを始めてからは出会う機会が皆無だったので、夢のようというかどう応対していいかわからない。

今回、名古屋では最高の御膳をいただき、大変満足だった。

ただ、こんなに贅沢に頂戴してしまうと憧れの鰻が憧れでなくなりはしないか。それが少し不安になっている。

名古屋は田舎の都会か?

夏休みの翌週は名古屋で法事があった。このところ名古屋に行くことが多い。

現在、名古屋に住む相方の祖父がこんなことを言っていた。

「もう名古屋に住みだして20年になるがいいところだよ。しかし名古屋は田舎の都会だな」

「野暮ったい紳士」みたいな形容矛盾の評し方だが、相方も「そうだよねー」と相槌を打つ。相方も一時は名古屋市内に住み、地元の友人に名古屋出身者がいる。

一方で92歳の祖父は江戸っ子。20年前までは東京の会社勤め。東京に比べたら名古屋は小さい。ただ、「田舎」とはどういうことだろう。

まず言えることは、名古屋人は名古屋が好きだということだ。

茶店でモーニングを食べ、鰻を食うならひつまぶしにし、応援するならドラゴンズで、目指すは名古屋大学なのである。

相方によれば名古屋出身者は地元を出ても戻る傾向が高いという。地元の友人に「なんで戻って来ないの?」と不思議がられるそうだ。私は関西出身で、こんな疑問は聞いたことがない。

ここからは私見

名古屋の名物グルメを見ると、特別美味いものではないものが多い。八丁味噌、ういろう、ひつまぶし、味噌カツ手羽先、きしめん

不味いとは言わない。ただ、トンカツは味噌で食べなくてもソースでいいし、きしめんでなくとも讃岐うどんでもいい。先日、鰻を頂戴した時も愛知県出身の1人を除いてみんな普通の蒲焼きで食べた。

ここの名物は地元民が食べる名物であり、他の地域に進出しないという傾向にある。今や讃岐うどんは全国区なのに、きしめんは相変わらず名古屋にとどまっている。大阪のたこ焼き、お好み焼きほど浸透した名古屋名物はない。

どうも名古屋人の流動性の低さを示しているように思える。

それでも名古屋は大都市。

哀愁の岐阜県奈良県とは違うのだ。愛知県は天下取りの三英傑が揃い、世界のトヨタのお膝元、天下の名城・名古屋城には金の鯱が光る。

ただ、名古屋の自慢というのは内弁慶的だ。地元だけで盛り上がる傾向にあるような気がする。派手な嫁入りトラックや菓子まきで有名な結婚式もあくまで自分の周辺向け。「東京で人気」という店が名古屋に進出して来れば、最初だけ人が殺到して、あとは見向きもしないのだとか。

相方の父(豊橋出身)が「名古屋の食べ物は、八丁味噌味噌カツあんかけスパゲティ、ひつまぶし。ブラウン・コンプレックスなんだな」と自嘲する。

奈良出身の私としては名古屋を嗤うことはできないのであるが、なんとなく「田舎の都会」に納得して帰路に就いた。