クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

火事と喧嘩

もはや師走である。

定例のボルダリングを終え、近くの駅に降りると赤色灯があたりをぐるぐる照らし、商店街に消防車が止まっていた。どうやら商店街の店で火事があったらしい。火はすでに消し止められたのか、現場を紐で囲い、警察官が現場に野次馬が立ち入らないように監視していた。歩行者は気になりつつも現場への立ち入りを封じられているので、囲い越しに覗き込みながらも歩を進めていた。

商店街を出るとさらに2台の消防車が停止していて、少し歩くと覆面パトカーともう1台の消防車が止まっていた。反対側にも2台いて、少なくともこの火事で10台以上の緊急車両が動員されたのは間違いない。

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われる。江戸の町が騒然と、そして熱を帯びる瞬間を言ったものだ。並ぶ緊急車両を眺めるにつけてその言葉唐突に浮かんだ。

しかし、本当にそこに私が見たのは平然と見送る市井の人たちだった。

 

火事以上に喧嘩はあまり見たことがない。大概わーわー大声を張り上げているだけで、まあ犬と変わらない。思い返すに関東に来てから取っ組み合いの喧嘩らしきものを見たのは一度だけだ。

確か金曜日の夜に横浜駅へ降り立った時のこと、駅の構内で2人の男を取り押さえている警備員がいた。男2人はまだ若く、1人は茶色に髪を染めていた。深緑の制服を着た警備員は100kgくらいの立派な体躯で、2人の男たちを難なく抑え込んでいて、その前ではもう1人の警備員が「立ち止まらないでください」と通行の妨げになる野次馬を遠ざけていた。

私を含めた通行人はその迫力に圧倒されつつもあたかもそこに何もないかのように通り過ぎていた。

 

昔読んだ江戸川乱歩の『影男』の冒頭、地下の秘密クラブで「闘人」なるものを行うというシーンがあった。「闘人」とは闘犬や闘鶏の犬や鶏の代わりに人が闘う、つまりが今の総合格闘技。物語は、お金持ちの夫人などが集まる秘密社交クラブでこれをやったところ、死人を出てしまう。その後始末をいつの間にか潜りこんだ「影男」と呼ばれる男が買って出るというストーリーだった。

平穏な日常に刺激を求めた貴婦人たちの醜聞を揉み消す。本来平穏を求めて貴婦人なる身分に落ち着いた人々がその平穏を壊すものに魅かれる。

 

 火事も喧嘩も平穏をかき乱すものである。しかし、一方で平穏をかき乱されたいという欲もどこかに眠っている。子どもが台風の到来にわくわくするように、大人もなんとなく流れる日常に大きな渦を作りたいと思うはずだ。相反する想いとともに今日が終わる。

今も昔も「火事と喧嘩は江戸の華」なのだ。

未読本

気が付くと本が増えている。そろそろ引越しも考えているので、蔵書整理の時かもしれない。そのうち電子書籍の導入も検討すべきかとも思う。

本も無闇に買ったりしない。基本的に「嵩張らない」「再読する」ものを選んでいるはずだが、なぜか未読のまま手元に残る本がある。

誰も興味はないと思うが、この際なので今現在の未読本を紹介しよう。

 

1,Philippe Petit "The Walk"

綱渡士フィリップ・プティの自伝的ノンフィクション。同題の映画が公開された際に、その活字版として発行された。角幡唯介さんがブログで絶賛していたので洋書で買ってみた。

当時できたばかりのワールドトレードセンターのツインタワーの間にワイヤーを張り、綱渡りをするまでの物語。この事件は「史上最も美しい犯罪」と呼ばれ、世界中で話題となった。

確かにやったかことは面白いのだが。なぜそんなことをやろうと思ったのかという肝心な部分が読み取れない。新聞でワールドトレードセンター建設の記事を見て、「これだ!」と思ったらしいが心中の描写は今ひとつ響かない。言葉にできないとなのだろうか。

結局はなかなか面白いと思うところまで到達せずにビル内を偵察するところでウロウロしている。もう少し英語力があればいいのかな。

 

2,Raymond Chandler "The Little Sister"

これも洋書。村上春樹が日本語訳を出しているので買ったのだが、チャンドラー自身が生前嫌いだと言うとおりなかなかストーリーが進まない。

村上春樹訳の日本語は読んだが、英語版は遅々として進まない。もう日本語訳も細かい点は忘れてしまった。

物語は"sister"が突如連絡の取れなくなった兄の捜索を主人公フィリップ・マーロウに依頼するというもの。村上春樹は登場人物の"sister"の描写を絶賛していたが、場面があっちへ行きこっちへ行きして少し無理がある。もうちょっと我慢してチャンドラー独特の描写を楽しまなくてはならない。

 

3,高野秀行『恋するソマリア

『謎の独立国家ソマリランド』を読んで面白かったので、文庫本になっていたのを見て即買いした。

即買いして即読み始めたが、すぐに読み切るのがもったいないと思っていたらそのまま未読になってしまった。このテーマで書き始めて未読だったことを思い出した。

ソマリアはアフリカ東部の国だが、内部は3国に分裂している。南部が国際的に認められている旧イタリアの植民地だった「ソマリア」で、あとプントランドソマリランドに分かれている。ソマリアは崩壊国家となっており、外務省が退避勧告を出しているくらいで、日本人にはほぼ馴染みがない。「他人がやらないことは無意味でもやる」をモットーとする高野さんだからこそ選んだテーマであり、毎回ハチャメチャで面白い(まだ途中だけど)。

本にカバーをかけたらどの本かわからなくなり、そのままに。早いところ再発掘しなくては。

 

4,Raymond Chandler "The High Window"

これは洋書も日本語訳も途中。読むと睡魔が襲ってくる。

チャンドラーは"The Long Good-bye"から始めて3冊読んだ。巧みな情景描写とウィットに富んだ会話が魅力なのだが、集中力がなくなるとすぐに眠くなる。

主人公フィリップ・マーロウが大富豪夫人から特別な金貨を取り戻すように依頼されるという話。チャンドラーの特徴なのだが、登場人物や事件につながりや必然性がないケースがあって、途中で「こいつ誰だ?」となることがある。なんとか読み進めているが、殺人事件が発生して、金貨が出てきて、依頼が取り下げられてなんだかわからない展開になってきた。

"The Little Sister"もそうだが、筋を追うとかえって読めない。適当に会話を楽しむくらいがちょうどいい。ただ英語力が課題になる。

睡眠導入剤にはいいんだけど。

 

本を整理していると他にもいろいろ出てくる。『山と渓谷』のバックナンバーなんかは分厚くて困る。この際処分しようかと思って開くと意外と隅から隅まで読んでいないことに気が付いて処分を躊躇ってしまう。

山岳雑誌を見ているとALONE ON THE WALL"という本も未読であることを思いだした。これも読まないと。

そんなことをしているから部屋が片付かない。

雪中手袋考

「今年も冬が来た!雪が降るぞぉ!アイゼンだ!ピッケルだ!」

書いてはみたが最近冬の盛り上がりがなくなってきた。冬は寒くて休日に早起きして一駅歩いて始発に乗って山に行くのはどうも億劫だ。行くとそれなりに楽しいが、夏に比べると圧倒的に体力的・心理的・物理的に準備が多くなる。

物理的に多くなるのはもちろん寒いからで、ダウンジャケット・ハードシェル・スパッツ・手袋・厳冬期用シュラフなんかが増える。さらにアイゼン・ピッケルの金物系。落氷に備えてヘルメットもとなって、毎回頭を悩ませる。

その中で永遠のテーマは手袋。他の装備はだいたい金額に比例して良いものが手に入るが、手袋だけはまだ満足したものに出会えていない。私は冷え性で手袋こそ最重要装備なので、今回は厳冬期用手袋について少し書いてみたい。

 

1.モンベル・システムスリーグローブ

最初に買ったのはこれ。3月に自転車ツーリングをし、あまりに手が痛くて買った。そもそも使い方を間違っている。

九里徳泰さんが著書に紹介していた。フリース生地・防水メンブレン・オーバー生地の三層構造になっているのがウリ。掌が合成皮革だったのだが、グリップが非常に良かった。今はモデルチェンジして天然皮革に変わったが、余計に滑りやすくなったと思う。

当時はこれしか知らなかったので、2000mまでの雪山からゲレンデスキーまで何にでも使っていた。冷え性人間としては動いていれば良いが止まると冷たいといった具合。

6年前の本格雪山1年生時代に八ヶ岳天狗岳に登ったが、すごい寒波が来て、早朝はマイナス20度に達した。その時もこの手袋だったのだが、冷たいのを通り越して痛かった。さらにそれを通り越して感覚が徐々になくなってきた。何しろ1年生なのでこれが雪山の普通の状態だと思ってこのグローブに見切りをつけ、新たな手袋探しの旅が始まった。

 

2.ブラックダイヤモンド・ソロイストロブスター

システムスリーグローブがダメだと即断してもっと暖かい手袋探しを始めた。基本的に手袋は5本指よりミトンなどの表面積の少ない方が暖かい。寒気に触れる面積が多いほど保温性がなくなるからだ。そこでミトンを中心に探すことにした。

探すと意外にミトンを出しているメーカーは少ない。売っていてもミトンタイプはオーバー手袋のみで、インナーとの一体型タイプはほとんどない。

結局、雑誌に「コスパ最強」と書いてあったブラックダイヤモンド・ソロイスト・ロブスターにした。これは親指・人差し指・その他の3本指、中綿にはプリマロフトという合成綿で、格段に暖かい。さらにインナー手袋として薄手ウールの手袋をしてこれで最強という感じがする。ロブスターという名称も愛着を感じる。

少し難点を言うと掌の天然皮革だ。システムスリーグローブは合成皮革の表面に小さなイボイボが付いていたのだが、天然皮革はつるりとしていて、ピッケルも岩も掴むと滑る。歩き中心の登山なら良いが、細かい作業を行うテクニカルなルートには向かないようだ。

雪山登山の本を見ると、「雪山で手袋を外してはならない」「手袋をしたまま靴ひもを結べなくてはならない」という掟が書かれている。ツルツル滑る皮革のゴツいドラえもん状態の手でどうやって蝶結びをすればよいのだ。

雪山への不安は増すばかりである。

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3.IBSオリジナル

これはちょっと番外。しかし意外と役に立つ奴である。

買ったのは今はなきIBS石井スポーツ。ワゴンでたたき売りされていた。ゴア・ウィンドストッパーを使用していると書いてあるが、見た目はただのアクリル手袋。買ってみたら予想外に大きくて(店で試着しろよ)手とフィットしない。ただインナー手袋を着けて使うとちょうどよく、冬の低山ハイクに最適と判明した。

そういうわけで、冬山のアプローチでは最も活躍している手袋になっている。気温さえ高ければゴツゴツ手袋より使いやすいので、八ヶ岳阿弥陀岳北稜でもこれを使って岩場をこなした(無茶をする)。

原色赤なので何度も落としたがいまだ紛失していない。なくしてもショックを受けない程度の備品の方がなくさないのはなぜだろう。

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4.ショーワ・防寒テムレス

厳冬期手袋シェアランキングなんかあれば、今ナンバーワンではないだろうか。ここ数年でアイスクライマーを中心に大流行している手袋である。これはもともとは冷凍庫作業の業務用だが、完成度の高さからアイスクライミングの愛好家から通常の雪山登山者に広まっているまさに最強手袋と言える。

確か、アウトドアライターのホーボージュンさんが雑誌で紹介していた記憶がある。その後、世界に名を馳せる日本人クライマーなんかも使っていて「ほえー」と思っているうちに雪山のあちこちで見かけるようになった。

何しろ業務用なのでデザインもへったくれもない。ブルーのゴム手袋だ。封を開けるといきなりゴム臭い。しかし、指先は革命的と言えるくらい操作しやすい。これなら靴ひもも辛うじて結べそうだ。冷凍庫作業用なので低温でもゴムは硬化しない。しかも、1双2000円以下で買える。なくしても懐が痛まない。実際私は山頂で一瞬脱いだ途端に吹き飛ばされて片方をなくした。新品だったのでそれはそれでショックだったが。

欠点は臭いという以外では、店頭で売っていないこと。ホームセンターではなかなかない。山道具としては安いが、業務用としては高すぎるということか。あと雪山用の手袋と違って、裾を締める紐がないので、深雪帯で使う場合は雪が入らないように注意。

購入する場合はサイズ選びも要注意だ。私の場合'L'でちょうど。インナー手袋をしたら'LL'。ちなみに他のメーカーなら男性'M'で、平均より掌はやや小さい。誰かに借りて確かめるか、安いのでサイズ違いで買うのも手だ。

 

「手袋考」と書いたが、ただの紹介になって何ら考察を書いていないことに気が付いた。

日本人で唯一の14サミッター(8000m峰全山登頂者)竹内洋岳さんも「指は生えてこないですから」と言っているし、とにもかくにも慎重に選ばなくてはならない。

慎重に慎重に、今年も無事に冬を越せるように手の安全を期したい。

家を建てる

帰り道に前を通る不動産屋の表に建売住宅の宣伝が目立つようになった。来年の消費税増税前の駆け込みを狙っているのだろう。元値が云千万だから2%の違いでも何十万かになる。

宣伝文句は「駅から徒歩〇分」とか「3階建て」とかいろいろあるが、金額はどれも総額ではなく「月々〇万円」となっていた。大きな昇給をそれほど期待できない若年層向けには総額を見せて嫌気を差されてしまうことを懸念したのかもしれない。ただ、2%の違いでそんなに慌てて買う人がどのくらいいるのだろうか。

自らを振り返ると一戸建てがどうしてもほしいと思ったことはない。「立って半畳、寝て一畳」がモットー。テントなんかは幅100m、奥行200mで十分だ。定住するということにもあまりこだわりはない。

 

家といえば周防正行監督の映画「Shall we ダンス?」を思い出す。

役所広司演じるサラリーマンがある日、窓から遠くを眺めるダンス教室の講師に一目惚れし、社交ダンスを始める。そこには仕事と家庭に満足しているはずのサラリーマンたちが群れていた。

印象的だったのは最後の場面で役所広司とヒロイン役の草刈民代に語る言葉。

「家を建てて何かが変わった」*1

これを聞いた当時、家を建てるなんて彼方の話を聞いているようだったが、「家を建てると人生が終わる」という漠然とした不安に襲われた。当時子どもだった私は「そうか、世のサラリーマンたちは家を建てることを至上の目標としているのか。そしてそれを達すると人生の目標はもうないの」かと感じた。

役所広司が郊外の自宅から自転車で駅まで走る姿には何となく哀愁を感じる。郊外に「家」を買ったため、駅までは遠いし、ローンを支払うためには自転車で節約に励まなくてはいけないのかと(まあ私は自転車に乗ること自体は好きだけどさ)。

 

高校時代の同級生の中には、就職、結婚、出産、一戸建てという黄金ルートを着実に歩んでいる男もいて、一体自分とは何が違うのかと感じたりする。彼の妻は自分の結婚、出産、家を建てる将来設計を学生の時から立てていて、その通り実現していった(彼に強制した)。ただその設計に乗った彼も家に帰ると子どもたちが騒ぐ中でソファーでのんびりしているのが至福の時だと言っている。

ただ、私にとって家には「Shall we ダンス?」の印象が強い。同級生や会社の後輩までが「家を建てる」と聞くと、それは慶賀すべき事柄なのに、「彼もそういうところまで来たのか」と人生の終盤が訪れたように心配になってしまう。

 

先日、ロイヤルホストで山の友人と雑談。

彼女の父は大工なのだが、もう70近くなり仕事を引退して夫婦で田舎に引っ越すらしい。これだけ聞くといわゆる隠居なのだが、個人事業なので退職金があるわけではない。そこで、父親は中古の家を探してそこを自分でリフォームして住もうと考えた。彼は普通の建築業者ではなく、注文住宅やリフォームはお手の物。柱さえ立っていればどんな家でも造作できる。

それを聞いた私は素直に「いいなぁ」と言った。家を買うケースは数多くあるだろうが、これから住む家を自分で作ることができる人などなかなかいない。

母親は当初住み慣れた都会を離れるのが億劫だったらしいが、家を買って自分の好きなように作れると聞いて徐々に態度を変えていった。今は「これはお父さんの仕事の集大成やからね!」と言ってはっぱをかけているらしい。

 

 「家を買う」のでなく本当に「家を建てる」というだけで全くポジティブな印象に変わる。「家を買う」と家という資産とともにローンという負債を背負うということもある。結局、貸借対照表的に言うと何もないところに資産と負債が両建てしたことになっただけだ。

Robert B Parkerの"Early Autumn"(邦題:初秋)では、主人公の私立探偵スペンサーが両親に捨てられた少年と家を建てようとする。夫婦喧嘩に利用されるだけ利用され、愛情を受けずに育った少年は日がなテレビを眺めるばかりで外界への興味を失っていた。その少年をスペンサーは両親の手から引き離し、彼独自の教育を始める。それは筋肉トレーニングなどの肉体の鍛錬と家を建てることだった。

日中、大工仕事を行い、料理の得意なスペンサーが夕食を作り、外を眺めながら2人でビールを飲む(少年は14歳だけど)。文字通りの「建設的」な人生を少年はスペンサーによって知るようになる。

 

家を建ててローンにヒーヒー言うより、身体を使って家を建てるというのは父親あるいは母親の威厳、そして家族の絆を強めるのに良いかもしれない。

仕事をして金銭を稼ぐのも悪くはないが、ローンを返済するためにする仕事は使役的であまり魅力がない。家を建てるのは自由意志によるものだが、ローンを返済することになるのはあくまで義務的でなかなかポジティブに解釈できなくなる。

その点、自分の手で作ることができれば、家も自分の自由の象徴になるだろう。

 

「最近仕事の調子はどう?」

「今仕事を休んで子どもと家を建ててるんだ」なんていいではないか。

*1:うろ覚えです

科挙的社会

宮崎市定科挙』を何気なく手に取った。パラパラ読みなので読解しているか自信はないのだが、学術的歴史が久しぶりに面白かった。


科挙は言わずと知れた中国の官員登用試験である。歴史は隋の文帝から始まり、清代末期まで続く。今まで知らなかったが、この試験には厳密な公平性を保つ努力がなされていたらしい。試験は四書五経を中心とした儒学に関する筆記試験で、誰が書いた解答かわからないように回答を別の係員が転記してから採点を行っていたという。

あの中国全土から人が集まるのだから受験者の準備も熾烈を極める。生まれる前から優秀な子になれと願をかけ、3歳から漢字を覚えさせる。毎年受験を繰り返すうちにいつの間にか年を取っていたということも珍しくない。

試験は厳正を極めていて、不正を犯すと流刑などの重罰が下された。それでも官吏にありつくために、受験者は必死に網をかいくぐる方法を考える。下着をカンニングペーパーに利用する、替え玉受験をするなど、今も昔も変わらないじゃないかと思える試行錯誤を繰り返している。

 

隋の時代は日本で言えば蘇我氏が覇権を握ろうとしていた時代だ。日本で蘇我氏物部氏が氏族闘争を繰り広げていたころに中国では全国規模での人材登用が行われていたのである。日本では科挙を大きくスケールダウンさせた聖徳太子の冠位十二階が制定されるが、その後は藤原氏平氏、源氏といった氏族を中心とした中世に突入していく。ヨーロッパも中世は一部の特権を持つ王侯貴族の社会である。

これらの特権階級の独占状態が崩壊するのが、近世であり近代であるというのが一般的な解釈なのだが、中国ではなんと西暦600年ごろには民間人の立身出世の方法が確立していた。

中国の「皇帝」はいわば最高権力者であって、日本の天皇のようにある特定の氏族の長を指す呼称ではない。したがって、皇帝となった人物が旧勢力の逆襲を受けないためには子飼いの官僚組織を作り上げなくてはならなかった。官僚たちは旧勢力のしがらみを受けない人物の方がよいわけで、皇帝が科挙の最終試験である「殿試」に立ち会うことを見てもその意気込みがわかる。

 

この本ではあくまで歴史学的な「科挙」のシステムや歴史を記述しているのだが、私は最後の結びを読んで、陳腐な言い方だが、驚愕した。

そこには科挙と日本の受験と企業への就職をリンクさせた考察が記述されていた。

日本の大学受験について何かと問題になるのは、入りにくく出やすいことである。これはアメリカなどのシステムと大きく異なる。受験時に頑張れば、とにかく大概は卒業でき、卒業できれば大学名が一つの肩書きになる。企業への入社も同じである。入りさえすれば定年までの雇用が保証され、退職金と年金によって老後まで面倒を見てもらえる。

宮崎市定はこの方式を「科挙」と同じだという。科挙も合格して官吏になることができればあとは安泰だ。だからこそ、生まれる前から子どもに願をかけ、3歳から英才教育を始める。これも日本の早期教育と共通するものを感じる。

早期教育が悪いわけではない。しかし、科挙現代日本の受験も基本は暗記力中心の缶詰方式だ。しかも、科挙では四書五経、日本の受験も実用に適するか怪しい文学から微分までの内容を子供たちに選択の余地を与えずに強要している。科挙や受験で失敗すると、努力は水泡に帰してしまう。宮崎市定はそれは子供の可能性を奪う行為だと非難している。


科挙は膨大な人口の中から能力の高い人間を抽出するという意味で、そして文治政治を推進する中で世界の先端を行くシステムだった。しかし、そのシステムは1400年もの間続き、欧米列強に蹂躙された清末期にようやく中止された。そのシステムに倣うような日本の受験、入社試験体制は時代遅れと言って良い。

宮崎市定は終身雇用を「封建的」と言い切っている。そして終身雇用のメリットを認めつつも改善しなければ社会の発展はないとし、その改善は実利に聡い実業界に求めるとしている。


たった最後の数ページだが、そこには宮崎市定の慧眼が示されていた。

そして私は思わずこの文章がいつ書かれたものかと思い、巻末をめくった。

「第一刷 1963年」

なんと高度経済成長の真っ只中。日本が世界第二位の経済大国に駆け上がろうとした時代、誰もが日本企業のあり方に疑問を持たなかった時代に書かれたものたった。

それからなんと55年経った。今の日本企業はさほど変わったように思えない。

この状況を宮崎市定はどう思うだろう。科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

受信料制度について

たまには社会的な話題でも書こうと思う。

何年かに1度、ポストにNHK様から豪壮な封筒が届く。受信料の支払いに関する案内である。「受信料の支払いは義務です」と脅し文句のように書いてある。

いくら脅されても今の私の家にはテレビはないし、スマホもパソコンもテレビを受信できる状態ではないので、支払い義務はない。ラジオも対象なら仕方がないが、今のところ受信料の支払い義務が発生するのはテレビのみだ。

この封筒もったいないなぁとは思うが、持っていても仕方がないので処分している。

 

NHKの受信料とは不思議な制度だ。私にとって何が不思議かといえば以下の通り。

①法律で定められている

②本気で回収する気があるのかわからない

③払っている方もあまり納得していない

まず法律で定められていること自体が異常だ。しかし、違反したらどうなるのだろう。払ってなくて罰金や禁固刑になったという話は聞いたことがない。

 

本気で回収する気があるのかないのかもよくわからない。今、NHKの受信料未払いは20%程度。民間企業で債権回収率が80%とか言ったらたちまち倒産してしまうだろう。これで潰れないのなら、支払っている80%が過剰に支払っていることにもなる。

本当に払わせたいなら受信料を払わなければテレビを売れないくらいすればよいのだが、そんなことはしない。③に挙げたが、納得しないで払っている人まで反発するからだ。そんなことになれば法律そのものを改正しようという動きがおきてしまう。

 

今のところ受信料というのは寝込みを襲うようなやり方だ。どういうことかと言うと、有料放送のように見るためには受信料を払わなければならないという方式にすると、見なくてもいいという人が増える。

あくまで消費者がテレビを買うときには知らないふりをしておいて、ある日突然「テレビがあるんでしたら払ってください!」と押しかける方が効果がある。寝込みを襲われた方は、「法律です!義務です!」という脅し文句に負けて支払ってしまう。

「脅し」なんていう物騒な文句を使ったが、現に20%も払っていないのだから、払っていない5世帯に1世帯は時々集金人の襲撃を受けるだけで、強制執行や差し押さえを受けているわけではない。このあたりも回収に対する本気度を疑うところである。

 

私も受信料を払っていた時期がある。会社の先輩からいらないテレビをもらい受け、その後2年ほど見ていた際は口座振替で受信料を払っていた。そのテレビは地デジ化を目前にして壊れたので、ただちに受信契約を解約した。

しかし、受信料を支払っていた時代も納得して払っていたわけではない。ただ、私も一般家庭の債権回収に携わったことがあるので回収に来たおじさんに思わず同情してしまったのである。NHKの番組がすべて公共性があるなどこれっぽっちも思っていない。

テレビを買おうか迷うこともあるが、受信料という納得できない支出がおまけで付いてくることを考えると思わず躊躇ってしまう。

あたる前

世の中、抗菌・除菌だらけ。

冬になってトイレにクレベリンが置かれるようになったがどのくらい効果があるのだろうか。電車のつり革にも抗菌と書かれていたりするが、永久に菌に耐えられるのか?魔除けの札みたいなもののような気がする。あれは「つり革に付いた菌で腹を壊した!」と訴える人がいた場合に「最善の努力を行っています」と答えるため、おそらくトラブル防止のためだろう。

生物は自分以外のものを取り込んで生きているのだから絶えず病気の素を取り込む危険とともにいるのであって、リスク0なんてありえない。

ちょっとくらい腹壊すくらいでいいんじゃないかと考えたりもするが、風邪をひいたりお腹を壊したりの酷い目に遭うたびに細菌・ウィルス類に近づかないでおこうと思うのも人情だ。

ただ最近はちょっとやり過ぎではないかと思ったりする。

 

最近はないが、腹痛の酷いやつは誰しも経験があるだろう。

思い出すのは会社の同期である。彼とは新入社員時代に2ヵ月間共同生活を送った。と言っても2人で何かをすることはなく、休日となれば私は山、彼はパチンコ屋という対照的な生活を送っていただけだ。

食事も別々だった。私は米を炊き、野菜炒めかなんかを作って細々食べていたが、彼は定食屋で食べてから帰ってきた。家庭内別居の夫婦のようだ。

ある日、その彼が買い物袋を下げて帰ってきた。さすがに外食ばかりで飽きたらしい。慣れない手つきで豚肉を炒め始めた。

ゴマ油を使うよ。美味しそうでしょ?」

などと言っている。急にグルメぶったり本格派ぶるのが滅多に家事をしない男の特徴。

「ちょっと赤いな。大丈夫かな」

「豚はよく火を通した方がいいよ」

そんな会話を交わした記憶がある。

翌日、同じく同期(女性)の住む茨城に2人して遊びに行ったのだが、彼は入居したての新築トイレから長い間出ることができなかった。

 

自分の話。

私の記憶に残っているのは大学時代に父親の親戚の家を訪問した時。父の親戚は京都府舞鶴の近くに住んでいる。家の裏がすぐ海岸というところで、海の幸が豊富なところである。

父と2人到着するなり、父の従兄にあたるおじさんが「よう来た!」と言ってビールを出してくれた。酒が茶代わりなのがいかにも日本の田舎。つまみは磯の香りのするツブ貝だ。

一杯飲んでから花とバケツや柄杓を下げて墓参りに行った。立派な墓が多い。それに飾っている花も何種類も入っていて立派に飾られ、海からの風に揺れている。汚れて打ち捨てられている墓がないのはさすがだと感じた。

戻ってから晩御飯ということでまた乾杯。地元漁師から仕入れた舟盛りが出た。舟盛りは長さ1mちょっと、幅30cmくらいの豪勢なもので、宴会料理にありがちな鮪やサーモンのようなどこ産かわからないものではなく(魚に国籍はないが)、鯛や平目、貝類などの地物が多数を占めていた。

その中でも鮑は絶品だった。口に含むと磯の香りがぷんと鼻に抜ける。噛むと海のエキスとほんのりとした甘みが口に広がる。

最初はビールを飲んでいたが、刺身には日本酒。父と私は海辺の田舎を口中で存分に堪能し、隣の座敷に敷いてもらった床についた。

朝は早く目覚めた。家人が早起きなのはあるが、それより腹の痛みで目が覚めた。自分で聞こえるくらいゴロゴロという音が腹の中で轟いている。しばらく布団の中で身体を縦にしたり横にしたりしていたが、痛みはやがて下腹部に移り、我慢できずにトイレに駆け込んだ。トイレから出ると父が代わって入った。それから代わる代わるトイレを借用し、2人ともヨレヨレで親戚に別れを告げた。家を出てからもしばらくは2人とも寄せては引く波のように腹が風雲急を告げ、道の駅やサービスエリアに車を止めた。

ただ、あの時の「あたり鮑」は人生で食べた魚介類で最も美味かったことは腹痛の思い出とともに刻まれている。

 

学校では「手洗いうがい」を教わるわけだが、本当にそれで腹痛その他の病気を防げているのだろうか。

抗菌・除菌を見るにつけて「ホンマかいな」という違和感を感じる一方、あんな腹痛はごめんだという思いもある。