クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

たこ足シューズ

いつも玄関に3足のランニングシューズが転がっている。足は2本しかないのだから6つも転がるシューズは過剰だし出入りには邪魔である。なぜそんなに必要なのだと言われればそれぞれ用途が違うのだが、使い分けるほどのランナーかと聞かれれば反論できない。

ただ何となく集まってしまったシューズたちだが、それぞれ思い入れもあるのでその紹介をしていきたい。

 

私のランニングシューズは全てasicsだ。

1.東京マラソンモデル

正式な型番は不明。捨ててしまってもう手元にない。

これはイオンのショッピングモールに入っているシューズ店(スポーツ用品店ではない)で在庫処分品になっていた。トレーニングのためにランニングを始めようと思って買った。当時はマラソンなんて考えもしなかったので、「東京マラソンモデル」という触れ込みに魅かれたわけではない。

履いてみると一言「軽い!」。これまで履いていたYONEXのテニスシューズが重かったこともあるが、これぞランニングシューズといった感じがした。デザインも純白に青いラインが入っただけのシンプルなものだ。

このシューズを履いて10kmの大会を2回、ハーフマラソンを1回走った。軽いのはもちろん、丈夫だった。最終的には靴底のラバーが極限まで減り、夜にジョギングしている最中にベロりと剥がれて使えなくなったが、距離メーターを付ければどれくらい走っただろうというくらい持った。買って6年は使ったと思う。

捨てる前に遺影として写真を撮った。この靴によって次以降もasicsを選ぶことにした。

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2.JOG

1足目が天寿を全うした後、2足目を探し始めた。その時、横浜マラソンに出るつもりだった。

フルマラソンに出るつもりなのだから本来慎重に探さなくてはならない。しかし、私は「安い!」という理由だけでJOGいうモデルをAmazonで買ってしまった。「東京マラソンモデル」が在庫処分品で3000円くらいだったのもある。

届いて早速履いてみると「重い!」と感じた。フルマラソンの目標は4時間切りだが、こんな重石を付けて42kmも走るのか?安さにつられて失敗した。

結局、シューズは買い直しになり、この重いジョギングシューズはリハビリ・ランニング用(久しぶりのジョギングでノロノロ走る用)またはウォーキング用となった。あまり使っていない上に、asicsの靴はどれも頑丈なのできれいなままだ。

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3.LYTRACER TS

フルマラソン用に買ったモデルが到底使えないとわかり、慌てて新たなシューズを買いに走った。確かトレッサ横浜に入っているVictoriaに見に行った。

ランニングブームのせいかいろいろな種類がある。一口にマラソンと言っても2時間クラスから制限時間ぎりぎりで完走する人用まで多種多様・百花繚乱である。JOGはあまりに重かったので、とにかく軽いシューズを探す。

ものすごく軽そうなモデルがあった。ペラペラの生地でお値段は旧モデルにつき6000円。これまでの倍近いが仕方がない。ショップのお兄さんに訊いてみる。

「これは陸上部の練習用ですね」

お兄さんは冷たく(まあ普通だと思うけど)言い放った。自己申告タイムを4時間と告げると、15000円くらいのクッション性のよさそうなモデルを出された。持ってみるとJOGよりは軽いが「東京マラソン」より重い。おそるおそる「軽いのがいいです」と申し出、目についたシューズを取り上げてみた。

LYTRACER TS。これは軽い。お兄さんは「まあ4時間切られるのでしたら大丈夫でしょうが...」とやや釈然としない様子ながら認可してくれた。試し履きするとこれまで履いたどの靴よりも軽い気がした。

後で知ったが、TSはトレーニング用でRSがレース用。TSの方が丈夫で安いが、レースでのグリップ力なんかはRSの方が良い。私はただ安いからTSにした。メーカーとしてはサブ3.5用なので、当時の私には背伸びしたモデルだった。

走ってみるとやはり軽い。JOGと比べると裸足で走っているような感覚だ。ただ、足裏は結構ペラペラでやや心もとない。やはりサブ3.5モデルなのだ。

購入後、3年経った奈良マラソンではこれを履いてやっとの思いで3時間19分を記録した。3年かかってようやくシューズのスペックに持ち主が追い付いたのである。

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4.GEL-KAYANO

先のLYTRACERを買った時に勧められたのがGEL-KAYANOである。お兄さんにしてみれば初マラソンの初心者には順当な提案だったわけだが、私は逆らって違うモデルを購入した。わざわざ逆らったのに、今そのモデルは玄関に堂々と鎮座している。

昨年、いわて銀河チャレンジマラソンの100kmに参加した。その模様は過去に書いたので割愛するが、さすがに100kmとなるとシューズの重要性を考えた。

100kmと言えば好きではないが「24時間テレビ」のマラソン企画。参加者は途中でトレーナーから足のマッサージを受けたりして、なんだかきつそうである。LYTRACERは軽くてよいのだが、裏はかなり柔らかい。足裏の筋膜がはじけ飛ぶのではないかと不安に駆られる。

20歳の自分だったら己の肉体を鍛錬すれば道具に頼る必要はないと割り切るだろう。しかし、この時はもはやそんなことを言っている場合ではなかった。大会までは3ヶ月ほどしかない。使えるものは何でも使う方針に転換し、サポートタイツ(ワコールのCW-X)を買い直し、シューズも見直すことにした。

調べてみるとウルトラマラソンのシューズには「軽量至上主義派」と「クッション性重視派」に分かれる。ウルトラマラソンは何十万回も足を地面にたたきつけるのだから、軽ければ軽いほど負担が減ると言う人。たたきつける回数が多いので足を保護しなければならないという人。真っ向から反発し合っていて結論が出ない。

当初、GEL-SAROMAというモデルを買うつもりだった。ショップの店頭にはないのでAmazonのレビューを見ると、「重い」という意見と「これを信じる」という意見。なにより履いている人は少なそうなのが気になる。結局、マラソン初心者用のシューズにターゲットを定めた。GEL-KAYANOとGT-NEW YORKを比較し、クッション性の高いGEL-KAYANOに決めた。これで大丈夫。

ところが意気揚々と受付会場に行ったら、ボロボロのLYTRACERを持っているおじさんがいて驚いた。自分は過剰反応だったのか。

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そんなこんなで3足のランニングシューズが玄関にいるが、最近もう1足欲しくなっている。スピード重視のTARTHERZEALとうモデルで、これは日本最速や世界を目指すエリートランナー用。去年のフルマラソンではLYTRACERを使ったが、速く走ると舗装道路の掛かりがやや悪い。エリートランナー用はきっとグリップが素晴らしく良いに違いないという興味本位。

もし買ったら4足8つが乱れ置かれることになる。玄関が遠からぬうちに「たこ足配線」ならぬ「たこ足シューズ」になってしまう日が来るかもしれない。

年俸・年収

床屋に行くと、理容師の2人が仕事の合間に(カットの途中だが)雑談していた。

「丸は自分の評価を知りたいって言ってたが、やっぱり年俸の高いところに行ったな」

「30億とか言ってるが本当は50億くらいかかってるんじゃないか?」

「これで活躍しなかったらなんて言われるかね」

広島・丸佳浩の巨人移籍というニュースである。年俸はもはや天文学的数値となっていて使う金という感じがしない。100万円単位なら「ちょっといい車が買える」、1000万円単位なら「千葉はやめて都内に一戸建てが買える」という実感を伴うのだが、億になると「ふーん」としか言いようがない。当の丸選手だって「想定より5億円高いから、別荘を10個くらい買うか」とはならないはずだ。

 

年収を聞かれるという体験は誰しもあることだろう。

私は最近クレジットカード会社に訊かれた。いつも使っているクレジットカード会社の登録が、最初に作ったときの「学生」のままになっているというのでコールセンターに電話して変更してもらった。

その際、コールセンターの女性はあくまで事務的に「現在のご職業は?」「お勤め先は?」「昨年度のご年収は?」と訊く。クレジットカード会社にとって最も重要なのは使った分を払ってくれるのかなので当然の質問と言えるのだが、「ご年収は?」と訊かれてわずかにうろたえる自分がいた。

恥ずかしながらこれまで私はあまり年収を意識していなかったのだ。なぜかと言えば、大学を卒業してから今日まで生活水準はあまり変わっていない。ひどい時にはアルバイトで生活費を稼ぐ苦学生並みの生活をしていた。

そのことを別に誇るわけではないし、だから今こんなにお金を貯められたのですと言って節約術を伝授しようというわけでもない。ただ、億単位の年俸の話を聞いて自分の愚かさ加減を自分で嗤ってみようと思ってこんな文章を書いている。

 

最も節約モードに入っていた時の私の支出はこんな具合だ。

1ヵ月あたり

・食料品・雑費:15000円

水道光熱費:5000円

・通信費:5000円

・交際費:10000円

・趣味・嗜好品:10000円

あと家賃なんかがあるのだが、これは会社の補助やらが絡むので記載するのは差し控える。まあなんやかんやで1ヵ月10万円も使わなかった。年間にしても100万円ちょっとで生活していたことになる。

「食費がこんなに低いわけがない!」という指摘があるかもしれないが、3食自炊でそれは今も変わらないので、これくらいで済む。「水道光熱費が低い!風呂入っているのか?」という指摘もあるかもしれない。内訳は水道1500円(2ヵ月に1回請求)、ガス1000円、電気2000円強といった具合。風呂は沸かさずシャワーのみだと信じられないくらいガスは使わないし、水道代は区割りの幅が大きいので1㎥でも2㎥でも金額は変わらない。

こう見ると交際費は慎ましい日常に比べて高いようだ。新入りの時は飲み会はあまり断らなかった。ただ、新入りは先輩社員に甘えて負けてもらっているので、金銭的にさほどのことはない。今は飲まない後輩ばかりなので、これ幸いと払いが少ない状況である。

あとは趣味の登山やらだが、電車で行ってテント泊なら10000円以内に収まる。その当時は月に1回くらいで、あとはひたすら近所をトレーニングと称して走り回っていただけなので、非常に経済的である。

あとクリーニング代をケチるためにいろいろな衣類は手洗いにし、ついでにトイレではトイレットペーパーをやめてインド式水洗いにするとさらに経済的になる。ここまでくると奇人変人の類に入るが、「やればやれないことはないのだ」と誰にも鼓舞されるわけでもないのにそんな生活を送っていた。

会社の先輩たちが「うちの会社の給料は全然上がらない」と嘆いていたが、その嘆きは私には全く響いてこなかった。

 

「今の年収っていくらくらい?」

クレジットカード会社の前にも他人から訊かれたことはある。会社の先輩の紹介で会った女性からだ。その時は正直に答えたが、「やはり学生と違って年収が気になるんだ」という感想を抱いた。その当時も誰にも頼まれていない耐乏生活を送っていたので、自分の年収なんて気にもしていなかったし、給料日も気にしていなかった。とりあえず月の収支はマイナスにならなければいいという気楽な気分だったが、年収を訊かれたことで、「ああ、年収で男女間の関係は決まるのか!」という思いにとらわれた。

後日紹介してくれた先輩にその話をすると「それはね、女性に胸の大きさを訊いて付き合うかどうかを決めるのと同じだよ!」と憤っていた。胸の大きさと年収の大きさは違うと思うのだが、その先輩としてみれば同じ会社にいる私が年収で振られるととなれば、「ふざけるな!」と思うのは当然である気もする。それにその先輩はお金に執着しない男気溢れる人だった。

結果的に言えば振られてしまうのだが、原因は年収ではないと思う。ただ、訊かれるだけでなんとなく引っかかってしまうのが「年収」というものだ。

 

丸選手を35億円の男と言うのもなんとなく違和感がある。それと同時に私も年収〇〇万円の男と言われるのにも違和感がある。人の価値は年収で測れないのだが、それでも金銭だけでしか評価をできないのが資本主義であり現代社会であると思ってしまう。

旅の本

山から下山して電車に乗り込むと、まず手元にWALKMANと文庫本、飲み物を用意する。飲み物はその時々、水だったりお茶だったりアルコールだったりする。電車が発車すると、飲み物を一口、そして文庫本を開く。

 

山に行って「山の本」を読むことは少ない。目の前の景色と文章が合わない場合にはストレスになるからだ。暑い暑いと汗を絞られた夏の山でヒマラヤの凍える風景は思い浮かばない。

代わりに山には「旅の本」を持って行く。むしろ山と関係ない海外を舞台にした旅行記の方がその世界観に入りやすい。1人でのテント泊は寂しい面もあるが、テントを張って、遠くの山を眺めながら本を広げるのは至福の時でもある。

 

私が山で(別に山でなくても良いが)お薦めは以下の通り。

  1. 石田ゆうすけ『行かずに死ねるか!』
  2. 沢木耕太郎深夜特急
  3. 野田知佑『旅へ』

自分で書いておきながらわりと定番。本好きならあっさりと「あーそれね」と言われそうだ。取り上げたすべてに共通するのは文章がどれもうまい。私ごときが誉めるのもなんだが、山という異空間や電車で読むにはその世界観に浸るだけの文章力が必要だと思う。文章の世界に身を委ねながら、「あっ、そういやここは山だった」と我に帰るのがなんとも心地よい。

既に定評のある本ばかりなので、今更の感じもするが私の感想を書き出してみた。

 

1.石田ゆうすけ『行かずに死ねるか!』

これは夏の八ヶ岳・赤岳鉱泉でテントを張り、ごろ寝しながら読んだ。

7年にもわたる自転車での世界一周記だ。世界一周というと冒険の匂いがする。大学時代に、九里徳泰『人力地球縦断』、関野吉晴『グレートジャーニー』など読んだが、すべてが旅より冒険というテーマだった。特にこの2人は南米大陸北米大陸の間のジャングルにも分け入っているし、文明と隔絶された民族とも出会っている。まるで18世紀のイギリス人がアフリカで行った冒険のような行為を20世紀に入って繰り広げていた。

その他に井上洋平『自転車五大陸走破』は冒険的とは言えない気がしたが、題名が語る通り、ある種の偉業を成し遂げた記録といった主張が強い。

それらに比べると石田さんの著書は世界一周をさりげない形で示し、自転車という手段で7年間の旅をした記録の印象的な部分を綴っている。この本の最も優れている点は、自転車で世界一周することを誰にでもできるように書きながら、何気ない人々との邂逅を誰にも描けない鮮やかさで浮かびあげていることだ。

アラスカのカヌーイスト、ペルーの少年、エストニアの少女、アフリカの子どもとのさりげない出会いと別れ。冒険者という超人の世界観ではなく、通り過ぎる旅人として現地の人と同じ目線でその心の触れ合いを中心にした世界一周は他のどの本にもない爽やかな風を心に吹き込んでくれた。

気が付くとテントから見える緑の大同心の上にぽっかりと白いクロワッサンのような雲が浮かんでいた。

 

2.沢木耕太郎深夜特急

これは定番すぎるほど定番。バックパッカーのバイブルとも呼ばれている。

私がこの本を読み始めたのは25歳になる前。小説家の原田宗典が徹夜で読んでしまったとエッセイに書いていて読み始めた。しかし、読み終わった時には27歳になっていた。新潮文庫で全6冊とはいえ2年もかかったことになる。

なぜこれほどの時間がかかったのか。今から振り返ると私の「年齢」にあったと思う。石田ゆうすけさんは大学を卒業して就職した時から「自転車で世界一周」という夢を抱いており、その夢を実現するために旅に出た。

それに比べると沢木さんの旅の発端はある種の逃避行だ。「仕事に行き詰まる中、間もなく旅に出るから仕事は受けられない」という言い訳をしている中で、ついには本当に旅に出ざるを得なくなった。「インド・デリーからイギリス・ロンドンまでを乗合バスで行く」というテーマだが、初っ端から香港に行ってしまう。

自転車旅行はスピードこそ遅いが、進む意志と体力が旅の推進力になる。そして何より目的地まで旅をを続けることが旅の目的となる。それに対して『深夜特急』の旅はもともと現実からの逃避だった。現実という監獄から抜け出した26歳の「私」はデリー発ロンドン行を表題に掲げながらも、本当はあての旅を始める。わずかな現金とトラベラーズチェックを使い果たしたらそれでおしまい。日本に帰らなくてはならない。

そのあたりは24歳で読み始めた私にはわからなかった。無目的に放浪することに人生を費やすことに何の意味があるのか。26歳の「私」は時に興奮し、時に憤り、時に落胆するが、どれも自分の旅を、人生をどうにかしようという種類のものではない。ただその瞬間の心の揺れ動きに過ぎない。

この本をどこで読んだかはあまり印象に残っていない。通勤の地下鉄で、登山中のテントで、下山してからの電車で。読書は遅々として進まなかった。ところが1年くらい行ったり戻ったりしていたが、ある時からぐいぐい読み進むようになった。山に登るうちにわかる気がしてきたのだ。

最初は「雪のある山に行きたい」「3000m峰に登りたい」「岩場の険しい稜線を行きたい」という明確だが漠然とした目的を追いかけて自分なりにレベルを上げてきた。ところが、ある時レベルを上げることに対して突然魅力を感じなくなってしまった。私のやっている登山は登山道を使った尾根歩き。ただのハイキングだ。それを続けることにどんな意味もない。仕事も就職して2年・3年経つうちに最初の勢いを失っていった。迷走するにつれて読書スピードはなぜか上がった。

「私」は一体何をしようとしているのか。読み始めて読み終わるまでの2年間は、私が『深夜特急』の「私」の心境に追いつくための時間だったのだ。

 

3.野田知佑『旅へ』

野田さんの本は『日本の川を旅する』をはじめほとんど読んだが、その中でも『旅へ』は異色の作品と言える。明るく楽しいカヌーイスト、ダム行政に憤る環境活動家としての面ではなく、個人的な青春時代を若き日のヨーロッパ旅行を軸に描いている。

野田さんは実にマジメな青年だった。マジメに人生について悩み、就職もせずに放浪していた。そして周囲に「早くマジメに働け」と言われていた。マジメに働いている人の大半はマジメに人生の選択を行っていない。

黒部の山奥でごろ寝しながらこの本を読んでいた私は自分が人生に対して不マジメだったなあと思っていた。不マジメだから今悩み、苦しんでいるのだ。野田さんは20代から悩みぬいて、40にして突き抜けた。私はそれより何年も遅く悩み始めたのだ。悩みのトンネルを突き抜けるにはもっとかかるかもしれない。

人生そのものは大きな旅みたいなものだ。自分でどこに行くのか、何をするのかを決めなくてはならない。野田さんはヨーロッパでその自由を知り、その自由の辛さを知って日本に帰ってきた。そして日本で不自由に生きる人の間で独り自由になろうとして葛藤した。その葛藤をもう少し早くするべきだったかな。

そんなことを考えながらテントでウィスキーを飲み、谷間から覗く空を見ながら腐葉土の匂いを嗅いでいた。

 

 山に持っていく本の選択にはまいかい頭を悩ませられる。

単行本を持つのは辛いので文庫本。ただ、テントでさて読もうと広げて読書欲の湧かない本だと山行にもケチがついたような気がするので選ぶときは慎重だ。

まだ見ぬ旅の銘本を携えて毎度山や旅に向かう。次に向かう空にはどんな雲が浮かんでいるだろうか。

行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)

行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)

 

 

 

 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

 

 

旅へ―新・放浪記〈1〉 (文春文庫)

旅へ―新・放浪記〈1〉 (文春文庫)

 

 

ようつう部

土曜の朝9:00から11:00にFMヨコハマで"Futureescape"という番組がやっている。番組名はカッコイイのだが、内容は緩いトーク番組で、小山薫堂さんがいい味を出している。いい味を出しているのに時々番組をサボってもう1人のパーソナリティー柳井麻希さんとゲストということもあるが、ゲストも個性的で面白い。ボルダリングジムに行く道すがら聞くのが習慣になっている。

その番組の中で「腰痛部」というコーナーがある(ラジオなので、「ようつう部」なのか「腰痛部」なのか'Youtubu'なのかは不明)。腰痛に苦しむリスナーが情報交換を行うという、緩い番組に相応しい緩い企画だ。企画は緩いのだが、腰痛持ちのリスナーは毎週真剣に自分の腰痛体験や腰痛に対する思いを投稿している。

「歯医者をやっていますが、腰痛に悩まされています。歯医者は中腰の姿勢が多いので、同業者で腰痛に悩まされる人は多いはずです」

と聞くと、「なるほど!」と感心したりする。

 

「なるほど!」などと他人事のように感心していたのだが、先日腰を痛めてしまった。

「最近、腹筋・背筋を鍛えてないなぁ」と感じて、夜に腹筋と背筋を突如やったところ、翌朝背中が重かった。やり過ぎで軽い筋肉痛になったかと思っていたが、朝の体操で前屈をやった瞬間、ピキッと痛みが走った。

これまで腰痛とは無縁の人生を送ってきた。中学時代は腕力こそないものの、腹筋と背筋は強かったと思う。少なくとも背筋運動は100回なら軽くできた。

どうやら気づかないうちに腰痛世界の入口に来ていたらしい。

 

一説に8割の人が一度は腰痛になるらしい。腰痛の原因としては、椎間板ヘルニア・腰部脊柱管狭窄症・筋膜性腰痛・骨粗鬆症・腰椎分離・すべり症・変形性腰椎症などおどろおどろしい病名が並ぶ。

最も有名な「ぎっくり腰」は「急性腰痛症」とも呼ばれるが、正式な病名ではなく腰に走る痛みの総称を言っている。何かのテレビ番組で「ぎっくり腰は背骨のズレで、中の髄の部分が出てきたらヘルニア」と聞いたことがある。考えてみるとホラーだ。背骨が外れたり髄が出たりしたら死んでしまうではないか。腰痛に関する特集は多いのだが、玉石混交の傾向がある。

この手の番組の腰痛対処法は腹筋・背筋を鍛えることという「日頃の精進」に終始する。まあ「1億円払えば新しい腰骨を提供します」と言われてもどうしようもないのだが。

 

そんなことを考えつつ本屋をぶらついていると、高野秀行さんの『腰痛探検家』が気になって買ってしまった。

高野さんが腰痛解消を目指して、辺境ではなく近所をうろうろと探索するというもの。整形から東洋医学・鍼などさまざまなジャンルの名医・名人に助けを求める。自信満々の名医たちに騙されているんじゃないかと思いつつもずるずる頼ってしまう自分を「ダメ女子」になぞらえつつ話は進む。

私も今までだったら他人事のように読んだはずだ。しかし、自分が同じ状況になるかもしれないと思って読むと、ユーモアある書き方に笑いながらも怖い。そして「腰痛なんて年寄がなるもの」と思い込んでいたのは高野さんも私も同じだ。

最初、このタイトルは「腰痛になった探検家」を指すものと思い込んでいたが、趣意は「腰痛世界を探検する者」ということらしい。腰痛の恐ろしいところは痛みは明確なのに原因が分かりにくいことらしい。「異常あり」と思い込むあまりに痛みを感じるケースがある一方で、癌の一種が原因していて...なんていうこともあって、まさに身体に魑魅魍魎を招き入れたようになる。というか自分の身体そのものが魑魅魍魎なのだ。

腰痛探検家 (集英社文庫)

腰痛探検家 (集英社文庫)

 

 

 会社員になってわかったのは、腰痛の人間が2種類いる。1つは重いものを日常的に持ち上げる仕事をしているうちにギックリ腰やヘルニアになるケース。職業病パターンである。もう1つはデスクワークを続けているうちに腰が弱り、ある日ある時に「魔女の一撃」を食らうケース。

現場では前者が多かったが、職場が本社になってからは後者の人がぞろぞろ現れた。事務職で1日中座っているという人がいる。特に管理部門になると驚くほどデスクから動かない。朝から夕方まで同じ姿勢で座っている人がいて、まるでデスク前の即身仏である(私もその一員)。

背骨は重力に任せて鉛直方向に負担がかかっている。歩いたり走ったりしているうちは腹筋・背筋が背骨を支援するのだが、ただ座っているのはモロに背骨に負担がかかっている。私は寝起きに腹筋・背筋をするのを日課にしていたが、ちょっとサボると腰回りが気持ち悪くなってくる。明らかに背骨が孤立無援で、心細い声を上げている。

今回の私の腰痛はランニング程度の運動しかしていなかったサボりが原因だ。ピキッとなった当日は屈むのが怖くてスクワットで床のものを拾う羽目になった。

 

結局、私の腰痛は3日くらいで解消した。骨のズレやヘルニアのような大事ではなく、急に運動したことによる単に強めの筋肉痛くらいだと見られる。

これからは「本腰」を入れて腰や体幹を鍛えないと「腰砕け」の哀れな中年になりそうだ。

おうちのごはん

久しぶりに妹のところへ行っていろいろ話した。

彼女の夫くんは化学者である。化学者というのは「いい加減」なことをできないらしい。「いい加減」にもいろいろあって、数学者なら論理的矛盾を嫌うとか、経理人間は数字が合わないと嫌とかあるが、化学者は分量や時間の計測に異常にこだわるようだ。

普段からこだわりを見せていると日常生活に差し支えるのだが、もちろんそんなことはない。しかし、料理だけは上手くできないという。

彼は料理は普段していないので、実施する場合は万全を期して料理本やネット情報を頼りにする。ところが、レシピは「塩・胡椒少々」とか「少し火が通ったら」などと曖昧用語が連発で、化学者として「少々とは何グラム」なのだというツッコミを入れてしまって料理にならないらしい。その辺、私は料理向きの性格に生まれたことを大いに感謝するところである。家には計量器もないし、あるにはあるが計量スプーンも使ったことがない。全てが感性の赴くままだ。料理は化学的より文学的な気がする。

別に上手でもないし威張るほどではないのだが、今回は私の得意料理を勝手に弁じたててみたい。ちなみに、私は料理本すらあまり見ないので、調理法に問題があるかもしれない。さらに分量は「全て適量」ということで予めお断りしておく。

 

1.しめ鯖

これは料理と言っていいものかわからないが、一般に家庭で作ることが少ないので挙げてみた。

近所のスーパーの鮮魚コーナーがわりと充実していて、珍しい魚があるとつい手が出る。鮪や鯨のようなものより地物の近海魚。中でも鰤や鯖が一匹で売っているのが嬉しい。

もちろん家で捌くのは面倒ではあるが、どんなに大きくても三枚下ろしの方法は変わらない。鯛のような魚は少し敬遠したい。一度黒鯛を買って家で捌いたら、鱗が飛び散って流しの掃除が大変になった。鱗が透明なので、掃除したつもりでもあちこちに残るのだ。

40cmくらいの鯖くらいがちょうどよい。

 

家に持ち帰ると、早速捌きにかかる。

俎板に載せ、頭を落とし、腹を裂き、ワタを取り出す。ワタを手でさらうのが気持ち悪いという人も多いだろう。コツも何もなく気合である。そして三枚に下ろす。鯖は骨が固いので、包丁は良く研いでから作業にかかる。

捌き終わった身は水で血を流し、キッチンペーパーなどで水気を切って、毛抜きみたいなもので骨を抜く。ただ面倒くさいので私は適当にすることが多い。

切り身が完成したらいよいよ酢で締めるわけだが、最初は酢で皮の部分だけ浸ける。酢は米酢がまろやかでよい。穀物酢は酸味が強すぎて魚の味を損ねる。10分か15分すると表皮とそこに接する肉が少し白く変色する。そうなったら手で表皮をはがすことができる。表皮は透明な薄皮で、きれいにはがせると気持ちいい。時々腹回りで失敗すると一番脂の乗った部分が皮に引っ付いてしまって残念な思いをする。

皮をはがすと、最後に身を昆布ではさみ、酢・砂糖・酒を混ぜた液に浸す。タッパーが便利だ。数日経つと食べごろとなる。

 

エラそうに書き綴ってみたが、今まで6回ほどやって美味かったのは2回しかない。鯖の新鮮度と時季によって味が変わる。

なお、頭と骨は塩で潮汁などにするのが鯖への供養となるだろう。

 

2.お好み焼

最近お好み焼きを作っていない。少年時代は好物の代表だったが、基礎代謝が減少し、食欲が以前ほどなくなたせいか、粉モノだけで特に夕食を賄うことが少なくなった。それでも時々は食べたくなるのだが、特に関東では外食のお好み焼きがあまり美味く感じない。


一度、戸塚あたりでお好み焼きともんじゃ焼きの店に行ったことがある。座敷で鉄板を見たときは久しぶりにわくわくした。お好み焼きの良いところは目の前で完成することだろう。次第に立ち上る湯気を嗅ぎ、色づく肉や黄金色に変わる生地を見ているだけで楽しくなってくる。

この戸塚の店でセルフで焼くこともできたが、プロに任せようということになった。お店のお兄さんはボールに入った小麦粉・キャベツの生地と豚肉をおもむろに混ぜて鉄板に載せて焼き始めた。

「・・・・」

一緒に行った先輩と私は少し唖然とした。2人とも関西出身で、お好み焼きは最初に豚肉を炒め、色が変わったら生地を投入するものと思っていたからだ。生地に混ぜた状態で火を通した豚肉は案の定、蒸し焼き状態になり、香ばしさが全くなかった。ちなみに、もんじゃも初めて食べたが、何が美味いのかわからなかった。関東の焼き物、粉モノは子供だましだというのが印象だ。

 

さて、私のお好み焼きの作り方も正統かどうかはわからない。ただ、何となく作っているだけだが紹介しよう。

薄力粉に水、卵、山芋のすりおろしを入れて混ぜる。昔、やしきたかじんが「ホンマに美味いお好み焼き屋は山芋を入れへん」と主張していたが、山芋を入れるとふわふわに焼きあがる。さらに隠し味に天かす、粉末だしを入れ、千切りキャベツをかき混ぜる。これで生地は完成。

焼きは、鉄のフライパンなど熱伝導の良いものを使う。ホットプレートでやってもいいが、火力が強いものの方が美味しく焼きあがる。

最初に豚肉を投入し、胡椒を振って軽く焼き色を付ける。そして肉の上から生地をかぶせる。表面が軽く焼けたら蓋をして生地の中まで火を通す。火が生地の上部をおおよそ固めるくらいまでになったら、蓋を取ってフライ返し2つでひっくり返す。大阪の店では「これでけへんかったら嫁行かれへんで」という脅し文句を言われることがある。

両面が黄金色に焼けたら完成である。仕上げに醤油を少し垂らすのもよい。ソース・マヨネーズ・鰹節をかけて食べる。

 

広島にいた時は広島風お好み焼きをよく食べた。広島ではラーメン屋よりお好み焼き屋が多く、1年間に潰れる店と開店する店が同じくらいあるらしい。中古市場にはお好み焼き屋の鉄板が常に出回っているので簡単に開店できるようだ。

関西風が完全に家庭の味として定着している一方で広島風は店で食べるものだ。麺を茹で、生地と薄焼き卵を焼き、キャベツと麺をサンドするのは1つのフライパンだけでは不可能。関西人としてはややこしい料理と言える。

私は麺は塩ガーリックで味付たものが好み。麺にソースをからめて焼きそばのようにする店が多いが、卵の表面にもソースを塗るので味に変化がなくなってしまう。麺は薄味の香ばしいものが良い。

 

3.豚の角煮

Googleで「得意料理」と検索すると、女子が男子に作ると「ウケる」料理が列を連ねる。肉じゃが、ハンバーグ、生姜焼き、オムライスなんかが出ている。要するに男の好きな料理は子供時代から変わらないのがよくわかる。肉じゃがを除けばそのあたりの定食屋で食べることが可能だ。

これらの料理の特長は味の失敗が少ないことだろうか。分量さえ間違えなければ、そして形さえこだわらなければなんとかなる。こんなことを書くと頑張っている女子の反発を生みそうだ。男子は女子から作ってもらえれば何でも喜ぶと思いますよ、ということでお茶を濁しておく。

 

私が適当にやってもまずまず失敗しないのは豚の角煮。先に挙げたしめ鯖なんかは結構失敗した。最後は失敗しにくい得意料理を紹介したい。

豚の角煮は豚バラのブロックを買い、適当な大きさに切り、お湯で茹でる。美味く作るのは茹で時間。コツも何もない。

この時、生姜を入れると臭みが消える。バラは脂が美味しいのだが、同時に臭い部分でもある。時々掬い取りながらひたすら茹でる。

火が通ったら醤油・砂糖・酒を入れて弱火で煮込む。そして適当なところで一度火を止める。冷める時に味が染みるのと、ガスを消費し続けるとガスメーターがガス漏洩として遮断することがあるのだ。また適当なところで火をつけてを繰り返し、煮詰まるまで続ける。

全てが適当なのが特徴だ。煮詰まるまでに味見をしてバランスを保てば何とかなる。

 

こんな文章を書いて何かをアピールするつもりもない。

ただ、来年には消費税の10%増税が予定されており、その中で家で食べるご飯は8%に据え置かれる。制度設計者は「食品だけは増税するのは非人道的だ。ただし外食は贅沢だからダメね」と考えたのだろう。この時点で、「家に帰ればご飯を作って待っている人がいるのが当たり前」という昭和前半生まれの人が考えそうなことだと思う。今は単身世帯が大半だというのに。

なんだか納得いかない軽減税率制度なのだが、私は自炊派なので影響はない(酒類は軽減の対象ではないので影響を受けるが)。

今日はおうちに帰って自分で美味しいご飯を作ろう。

東京人と大阪人

用事があって大阪へ行った。少し時間があったので大阪駅から歩いてみた。

早朝なので人も車もまだ多くない。そして気になるのが、信号無視が多いこと。もちろん大抵は歩行者だが、1度赤信号を渡る人と車がわりと近い距離ですれ違っていて、顔を見上げると、歩行者・車とも赤信号で進んでいた(車は黄から赤になったところ、歩行者はフライング)。

関東でも増えたが、信号機にカウントダウン機能が初めて付いたのは大阪だ。「いらち」と呼ばれる大阪人の信号無視をやめさせるために大阪駅至近の交差点に設置された。

最近大阪を歩くことが少なかったので気づかなかったが、この信号無視文化は妙に新鮮な発見だった。

 

これに比べると東京人は信号順守だ。私も関東にいるせいなのか、信号無視に妙な抵抗感がある。

しかしこの「抵抗感」だが、心理的に分析すると決してルール違反に対する背徳感だけではない。なんというか、信号無視した自分を見られているという自意識とでも言うのだろうか。「信号無視した自分を信号順守の人たちは心中で咎めているのではないか」と勝手に想像して、踏み出すことができない。

 

最近読んだ将棋の升田幸三のエッセイ集『王手』に東京人と大阪人の違いが書かれていた。升田幸三は広島出身で大阪でプロ棋士となったのでもちろん大阪贔屓である。

大阪人は実を取る。東京人が気にする体裁を気にしない。普段着で買い物かごを下げたおばちゃんが、ふらっと寄ったショールームで2万・3万のものを即買いするのに対して、東京の人はキレイに着飾らないと高級品を買いに行けない、などなど。確かに東京は無数にある他人の目が気になる場所だ。

もちろん升田幸三の時代は昭和の前半であり、東京も大阪も今のように他府県出身者が大半を占める状況ではなかった。ただ、世界一の巨大人口を抱える東京が人を統制するのは「恥文化」、恥ずかしくない行動を取ろうという考えのような気がする。

 

数年前、まだ東京勤務だった私の父は夜の交通量の少ない交差点を赤信号で渡って、

「信号を守りましょう!」

と自転車に乗った警察官に注意されていた。

父の主張は「信号は事故起こさんためにあるんやろ。車が来ないなら事故は起きひん」というもの。升田幸三流に言えば実を取っているわけだが、一緒にいた私は警察官に大声で注意される父を見て恥ずかしかった。

この感覚がこれが東京人と大阪人の狭間ではないかと言うのは飛躍し過ぎだろうか。

遊びをせんとや

アメリカ人ってのは、遊びの天才じゃぁなぁ」

広島にいた時、取引先の社長がそんなことを言っていた。彼は従業員10人くらいの会社の社長だ。奥さんが「肝っ玉かあちゃん」という感じの人で役職は専務。業務の大半はこの専務が行っている。社長はというと商品を自ら配送したりと、通常なら外部に委託するか下っ端にでもやらせそうな仕事をしている。

 

その社長から夏のある日、商店街主催の宮島キャンプに誘われて、担当セールスである先輩と待ち合わせの宮島対岸の港に向かった。私は当時24歳で見知らぬ土地で休日は車もないので暇ときていた。ちょうど良い日差しで海が青く見えた。

港に着くと背が低く、痩せた社長が顔をくちゃくちゃにした満面の笑みで迎えてくれた。失礼な話が陽気なサルのようなオヤジなのだ。

「宮島までどうやって行くんですか?」と私が訊くと、社長は「これで行くんじゃぁ、これで!」と言った。

中小企業とはいえさすがは社長だ。自家用ボートを持っている。われわれを荷物とともにボートに乗せると社長はエンジンを始動した。

私は先輩に「社長の言うことが半分もわかりません」とこっそり話しかけると、先輩は「俺なんか1割もわからないよー」と返ってきた。社長はあくまで陽気にハンドルを握り、ボートを出発させた。

 

ボートで宮島へと言ってもただ宮島に行くわけではない。そのあたりは社長なのだ。途中で社長夫人である専務と娘を乗せて、総勢5人になった。5人になったところで、ボートの後部に乗せていた巨大な浮き輪に乗れと言う。

浮き輪と言ってもドーナッツ型のあれではなく、バナナボートくらいの巨大なもので、ヘモグロビンみたいな形の黄色い物体だ。「若いの!お前から行けや!」と言われた。多分、この社長は私の名前を覚えていない。覚える気もないだろう。

この巨大浮き輪の遊び方はプレーヤーが浮き輪に乗り、ボートで浮き輪をロープ伝いに引っ張る。プレーヤーは浮き輪に付いている取っ手をつかんで落ちないようにするのだが、ただ乗っていればいいというわけではない。引っ張る方はボートを直進させるわけではなく、プレーヤーを振り落とそうとボートを右へ左へ旋回する。ボートを旋回すると浮き輪も右へ左に振り回されるのだが、裏返らないように身体の重心を傾けて浮き輪をコントロールする必要があるのだ。

一番手に指名されてそんなことは知らない私は死んでも取っ手を離さない所存で浮き輪に乗りエントリーした。

ボートが走り始める。意外と腕力が要る。ただ、当時は日常的に現場工事なんかをやっていたので多少の自信があった。ボートが右へ旋回する。

「やや、振り落とす気だな」

意地でも落ちまいと力がこもる。しかし、浮き輪を乗りこなすコツのわからない私はあっけなく裏返しになり、裏返しになった浮き輪にしがみついてしばらく引きずられた。身体が半分水中にいる状態で引っ張られるのは、すさまじく痛い。まるで縛り付けられて馬に引きずらせる中世の拷問みたいなものだ。最後は海パンが脱げてしまい、そこで諦めて手を放した。ライフジャケットを着けているので溺れることはない。

ボートで回収されるまで、ぷかりぷかりと青い海に浮かびながら、なんとか海パンを履いた。私の次に先輩がやったが、あえなく吹っ飛ばされてしまった。その次の社長令嬢のお姉さん。さすがに幼少から遊び慣れている。親父は振り落とそうとボートを右へ左へ操作するが、ついに落ちず。最後に社長夫人・肝っ玉かあちゃんまでやるのには驚いた。

 

社長は「がははは」と笑いながら言った、

アメリカ人ってのは、遊びの天才じゃぁなぁ!こんなもんは日本人じゃぁ考えられんのじゃけぇのぉ」

この浮き輪遊びをアメリカ人が考えたかどうかはわからないが、日本人が考えられないということには大いに肯んじるところだ。

 

山崎豊子の『華麗なる一族』を読んでいて妙に感心したのは芸者遊びの描写。官庁から派遣された銀行調査官を接待することで指摘をかいくぐる。面白かったのは、三味線に合わせて芸者たちが川を裾を捲って渡る真似をするというもの。川は徐々に深くなり、捲る裾も徐々に高くなる。謹直な調査官の目の色が変わる様子が目に浮かぶ。

いくら高学歴で、高級スーツで身を包んでも、「遊び」はあまりに低俗だ。

それに比べると、アメリカ人というのは大人が真剣に遊びを考えている気がする。フロリダにあるディズニーワールドなどは小さな遊びのための都市を築いたようなものだ。アメリカは国土が広いとかいう以前に遊びに対する姿勢の違いを感じさせられる。

今日本のテーマパークは東京ディズニーランド・シーとUSJ以外は軒並み低調だというが、そもそもアメリカと日本の遊びの実力のような気がする。企業とか国家とか人民のためというお題目を超えて、「大人が本気出して作った遊び場」なのだ。

 

「遊びをせんとや生まれけむ」は平安末期に後白河法皇が編纂したという当時の流行歌集『梁塵秘抄』の一部だ。これは「子どもが遊びするために生まれてきたのだろうか」ということらしいが、大人だって遊ぶために生まれてきているに違いない。