クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

年の瀬に由布岳登山をしようか

年末に差し掛かり仕事が忙しくなってきた。

大分旅行のために1日有休を使おうという魂胆なので余計に忙しい。休むために忙しくなっているようなもので、そんなことをここ何年も繰り返している。

「盆と正月が一緒に来たような」という表現があるように、日本人が大手を振って休めるのはこの2シーズンに限られる。新田次郎の『孤高の人』なんか読んでいると、有休をフルに使って登山に打ち込む加藤文太郎を周囲は変人と見なしてしまう。この場合、山に登るのが変人なのか、有休を使うのが変人なのかというところが問題だが、どちらかというと有休を使いきるところ、会社に滅私奉公せぬ所存を見せているというところが変人ということになるだろう。

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かつては毎年のように年末山に入っていた

旅行が登山に置き換わっているので、ここのところ旅行と言えば全装備をバックパックに詰めてあちこち歩いている。バックパック1つというところがいい。物に縛られず自由な感じがする。バックパックこそ青春の象徴なのだ。

今回の大分旅行は当初、九重山でテント泊を使用かと考えていた。しかし、冬になると交通手段が消えるので、まあせいぜい由布岳に登るくらいか。

 

「ぼくらの自由を、ぼくらの青春を~」

いつまでが青春かこのごろよく考える。

名人のセカンドライフは?

今年の将棋・A級順位戦羽生善治九段がピンチのようだ。

A級順位戦は将棋界の上位10名で争うリーグで、1年をかけて総当たり戦をする。上位1名は名人挑戦者となり、下位2名がB級1組に降格となる。

羽生九段は現在2勝4敗。ここから3連勝すれば何も問題はないし、4勝5敗での残留はいくらでもある。しかし、同星の場合、前期の成績に基づく順位が下の者から降格となるので、順位8位の羽生九段が苦しい立場となっている。

A級順位戦は名人挑戦者決定戦というのが大名目の棋戦であるものの、降格レースの方が注目を浴びるという不思議な要素がある。それもそのはずで、かつての大名人も降格の危機に立たされる時が来るという時の残酷さを象徴しているからだろう。

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実力制名人が登場したのはここ100年の話となる。十三世名人の関根金次郎が引退し、木村義雄が名人位に就き、ついに終身名人制を廃止した。これには、名人位が実力本位になるとともに、かつての名人もタダの一棋士に戻るということを示している。

その憂き目に最初に遭うのがこの制度の創始者たる木村義雄で、塚田正夫に名人位を奪われた際は、自分の作った法で処刑された秦の商鞅になぞらえて自らを皮肉ったとされる。

木村義雄はその後、塚田正夫にリベンジを果たして復位。大山康晴に敗れて引退を表明する。終身名人制でなくなったといはいえ、以降、名人は陥落すると同時に「引退」を考えなくてはならなくなった。

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大山康晴はA級を落ちれば必ず引退しただろう人物である。

「だろう」というのは実際には陥落せず、そのまま鬼籍に入ったからで、絶体絶命のピンチを辛くもしのいで、「終身A級」を勝ち取った。木村義雄升田幸三がすっぱりと引退したのに対して、大山康晴は死ぬまで現役、死ぬまでA級を貫いたことになる。

大いなる模範であるが、後代の重荷となったことも間違いない。これ以降も永世名人はA級陥落が即引退かと言われるようになる。

永世名人ではないが、米長邦雄はA級陥落とともに順位戦に参加しないフリークラスに転向した。

同世代で十六世名人の中原誠はA級陥落とともにすわ引退かと騒がれたが、B級1組で指し、その後引退。この時は塚田正夫がB級1組で指したことを例に引いて「それもあり」となっている。

伝統の競技では何事でも前例が持ち出される。

 

永世名人が陥落しても指し続ける前例を作ったのはある意味で十七世名人の資格を持つ谷川浩司だろう。

現在、B級2組で続けているが、今のところ永世名人資格者でB級2組以下で指した棋士としては唯一ということになる。十八世名人の森内俊之はフリークラスに転向しており、羽生九段はA級にいる。

思うにかつての名人は今よりもっと大きなものと考えられていた。それは良くも悪くも名人としての矜持となり、格式につながった。現在は名人の格が下がったとは言わないが、人生を賭けて戦うという凄みは少し減ったのかもしれない。

とは言え今回はタイトル99期の羽生九段が危機というのだから将棋というのは恐ろしい。この危機をどう乗り切るか、怖くも楽しみにしている今日この頃である。

プレミアム付商品券がやって来た

わが市にも商品券とやらがやって来た。

確か去年ももらったような気がするのだが、今回はタダ券ではなく現金との引き換え。名称もプレミアム付商品券となっていて、仕組みはやや面倒なものになっている。

①使用期間は3ヶ月

②指定店のみで使用できる

③1冊5,000円で6,500円分使用でき、1人5冊まで購入可

というルールで、希望冊数をネットで応募し、通知ハガキが届き、それを持って公民館で購入するかなり面倒な手順で入手した。

現金をいちいち持って行くところが役所っぽいところだが、土日に受け付けてくれるところは感心した。

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文句を言いつつも恩恵には与ろうとするところが我ながらせこい。

ただ、この商品券の最大の問題は使用店舗が限られていることにある。券には2種類あって、A券は商品券加入の全店で、B券はより限られた店でとなっている。具体的に書くとA券はディスカウントスーパーでも使えるが、B券は比較的小さな店舗や飲食店でのみ使用できる。

想像するにA券は消費者の家計保護に、B券は市内の小売業者補助にということだろう。A券を使いきるのはおそらく問題ないのだが、問題はB券で、これを使えるかどうかが鍵となる。

ここで無駄遣いしてはテキの思う壺なのだ(テキとは誰だ?)。

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正直、よくわからないのが加入店舗のラインナップで、ドラッグストアやコンビニ、飲食店は大手でもB券が使えたりする。商品券というのは店側で換金できるのに間が空くだろうから、ある程度資金力がないと加入もできまい。

どうも補助金やらこういうものは設計上の不備が目に付いていけない。

昨年、1人あたり補助金10万円が出された時に「補助金は受け取らない」とか「寄付する」という有名人が出てきたものの、本当のに何が「世のため人のため」になるのだろう。友人の一人は

「街の飲食店は俺が支える!」

と嘯き、夜な夜な外食をしているらしいが、それくらい自分も楽しんで散財する方が潔くていい気がする。

地獄の沙汰も金次第と言うが金はあの世に持って行けない。私には日々をどうさりげなく楽しむかが一番の世のためのように思える。

キャンプに興味を持たせるには

「最近山行ってますか?」としばしば訊かれる。年に20回以上行っていた時期に比べると格段に少なくなっており、今は1ヶ月に1回行くかどうか。

「この間は10月に北岳行ったよ~」

と返すと、

北岳ってどこですか?」

となる。訊いてくるのは大抵登山などしない人だからだ。北岳が山梨にあって日本第2位の高峰であることを話すと

「私にはできないですぅ」

となる。別に登山に興味があるわけではないのだ。

そんな人には

「この間、登山じゃなくて普通にキャンプしたけど楽しかったよ」

と持ち掛ける。別に誘うわけでもないのだが、興味がなければ話が続かない。それにこちらから振った話でもないけど、「興味がない」で打ち切られるのもつまらない。こういう時は食い物で釣るに限る。

「地元の新鮮な干物とか海鮮を買い込んで夕食にするといいよ」

とか話すと

「それはいいですね!」

とようやくなる。こういう時は高級な肉とかはいけない。「家で食べます」となってしまう。外を吹く風とか焚き火の匂いとかは度外視されてしまう。

海鮮は海辺で仕入れてすぐ食べるという感じがするので、肉よりアドバンテージがあるのだ(あくまでイメージの問題で)。

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去年の礼文島キャンプ

あと「虫とか嫌い」やらいろいろなクレームに対しては

「北海道のウトロでは近くに温泉があるところでキャンプしたよ」

とか

「北海道のキャンプ場は安いし、いい物が食べられる」

と甘言を持ちかける。くどいようだが、別に私がキャンプの同行を持ちかけているわけではないのだが、こうなると勢いキャンプをさせようということになる。

これらの説得によりようやく

「いいですねぇ。暖かくなったらやってみようかな」

となる。まあ装備に金がかかるとか、寝袋で寝たことがないとか、いろいろあって本当にやるのかはわからないのだが、キャンプ旅行をしている私としては自分の趣味を擁護できてひと段落である。

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キャンプの夜はチビチビ日本酒に限る

最近は私も河川敷や海辺の非合法キャンプをしなくなり、キッチリとしたキャンプ場を使うことが多くなった。

そこが真の意味で自然を満喫できる正統派キャンプとは言い難いのだが、自然に触れる人が少しでも増えることは歓迎したい。まあ混み過ぎて自分が気楽にキャンプできないのは嫌なのだが。

買った買った~今年購入した山道具伝

今年の振り返り、山道具編。

①浄水ボトル

今年は北海道に行くのにいろいろ準備した。

去年は利尻・礼文島羊蹄山。北海道特有のヒグマ、キタキツネのあまりいないエリアだった。今年はTHE 北海道という大雪山と知床がメイン。ヒグマも怖いがエキノコックスも怖いので浄水ボトルを用意した。

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グレイルの浄水ボトル

買ったのはグレイルのUL ピュリファイヤーというモデル。二層構造になっていて、外側のボトルに水を入れ、フィルターの付いた内ボトルを押し込むと浄水されるという仕組みだ。

浄水器と言えばMSRというイメージがあったので、評判を探ると、MSRは浄水に結構時間がかかるとのこと。しかもお値段2万円超。このグレイルはモンベル直営店で1万円しなかった。

そんなわけで最重要装備として北海道の雪渓の水を飲むために購入した。

ただ、このボトルは少々コツがいる。写真の手が握っている蓋の部分を完全に閉めた状態だと、浄水された水が押し戻ろうとして力がいる上、水があふれることがある。仕組みか私のやり方のどちらかに問題があるようだが、蓋を少し開いた状態で浄水をしている。

エキノコックスの潜伏期間は数年あるそうなので、果たして効果を発揮しているかはまだわからないのだが、北海道登山には必要な装備ではある。

 

②ヘリノックス チェアワン

北海道登山の後は八ヶ岳の青年小屋や北岳肩の小屋でキャンプしたりと、ちょこちょこ登山に出かけた。

その中で募るのがラグジュアリー・キャンプへの思い。冷たく硬い石の上に座っていると周囲のオートキャンパーが羨ましくて仕方ない。

ただ、オートキャンプには車が必要。車は高い。そこで、文明人への第一歩として椅子を買った。

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ラグジュアリー・キャンプの必需品

買ったのはヘリノックスのチェアワンで、この手の椅子の中では非常に座り心地がいいのが特徴となっている。

これで福島県の小野川キャンプ場に行った。「オート」の方は友人に出してもらい、代わりに料理は我々が担当する。焚火を前にチェアワンにのけぞるわけだが、焚火の火の粉が飛ぶたびに冷や冷やする。新品の椅子に穴をあけてはならぬと風下になるたびに逃げるので落ち着かない。なにせ化繊でできているので火に弱いのだ。オートキャンプ用のタープや椅子がコットン製だったりするのはこのためなのである。

オートキャンプについてはまだまだ修行が足りないと知ったキャンプだった。

 

考えてみると今年の山道具は買い替えがメインであまり新規に購入していない。

それと週末ごとに出かけるようなあわただしさはなく、家でまったりが多かった。しかし、まったりはこれからもできることを考えると、今はできるだけアクティブに遊んでおこうかと来年への決意を新たにしている。

今を一番楽しむために~山野井泰史インタビューを見る

天気の良い土日だったけど、どうも体調が今ひとつでのんびり過ごした。

日曜は「山と渓谷.ch」にあった山野井泰史インタビューをYouTubeで見た。山野井泰史と言えば、言わずと知れた日本を代表するクライマー。その山野井さんが今年、フランスの登山雑誌社が主催するピオレドール賞の生涯功労賞を受賞したのだ。

インタビューは受賞式の翌日、受賞インタビューを再び日本語で説明する形式となっている(授賞式では英語で話している)。

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山野井さんの著書『垂直の記憶』

YouTubeの内容は、山野井さんに『山と渓谷』の荻原編集長がインタビューしている。詳細は割愛するが、パーティーが長かったせいか山野井さんは眠そうだった。

印象的だったのは、「どれが一番いい登山だったか?」というような質問に対して「全部」と答えていることだ。他の人ならいざ知らず、山野井さんがこう話すのはわかる気がする。すべての山、それがたとえ河原の岩を相手にしたボルダリングであっても、全力で楽しんでいる。

動画内でもフランスまで行ったのだから、ハイキングでもしたいとしきりに言っていた。

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私たちの多くは、「将来のために勉強しなさい」、「将来のために貯蓄しておきなさい」と言われ、人生の多くの時間を「将来のため」に費やしている。しかし、いつがその将来なのか、見えないままに人生を過ごしていることが往々にしてあるような気がする。

私は山野井さんの著書『垂直の記憶』を20歳の時に読んだ。それによってクライマーを目指そうとしたわけではないのだが、生きることへの考え方については少なからず影響を受けたと言える。

なぜ死ぬかもしれない登山を行うのか、なぜ危険なことをするのか。一般的には理解しにくいことだろう。しかし、道を歩いていても次の瞬間死ぬことだってあり得る。「生きている」ということは「死ぬかもしれない」ということと同義だということを忘れているだけなのだ。

そこで山野井さんが教えてくれたのは、ただ今を全力で楽しむこと。将来のために今を犠牲にしたり、過去を回顧するだけの時間は「今」という人生の原資をすり潰しているだけ。

山野井さんがすべての登山がよかったというのは、常に今のことしか考えていないからなのだ。

 

計画的に考えることは社会生活で必要な要素である。

しかし、私たちは今を生きているということを忘れてはいけない。

登山ウェアが処分できない

大掃除シーズンに差し掛かっている。

先日、山道具の棚を片付け、台所の整理に入った。それほど物欲が多い方でなくても1年経つと不思議と増えているもので、少し断捨離しなければならないかもしれない。

もっと深刻なのは登山ウェアでもう溢れかえっているこれをどうしようというのが目下の課題だ。

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買ったばかりの頃のマムートのフリース

登山ウェアというのは概ね高価である。フリースとかで1万円とかする。ファーストリテイリングの柳井さんはポーラテック素材の高価なフリースを自社で安価に作れないかと考え、ユニクロの大ヒットフリースを開発した。

登山用のウェアは高価ではあるものの、その分丈夫ではある。それに高いがゆえに捨てにくいのが難点だ。これが私の棚がなかなか整理できない原因となっている。

いくら高価でもずっと使っているとくたびれてくる。裾が擦り切れ、縫製が少しほどけ、布の染色が色あせる。

ところがほとんどの場合、衣類としての機能はさほど変わっていない。そこで、登山ウェアは第一線を退くと宅内の寝巻として使うこととなる。

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ユニクロをやめて初めて買ったホグロフスのフリース

最初は「外で着るにはみっともないから」という理由で退役させていくわけだが、元は高性能な登山ウェア。朝起きてゴミ捨てくらいには出てしまう。そのうちちょっと羽織って散歩。エスカレートして買い物。

そんな具合でまた元の現役に戻ってしまうこともしばしばである。

ある時、着替えるのも面倒なのでくたびれたフリースの上にダウンジャケットを羽織って買い物に出かけた。そして、そろそろスーツを買い替えろという相方のせっつきに応じてスーツ店に行って試着しようとしたら件のよれたフリースが出てきて、相方から怒られたりした。

怒られようとフリース君はまだ元気で私を温めてくれていたのだから仕方ない。しかし、棚からは古い登山ウェアが溢れようとしている。今年、どれとおさらばするか、これが目下の悩みなのである。