クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

魂の震える登山名文集③〜服部文祥

好きなことをして生涯過ごせたらと誰しもが考える。今、それを実現できるのはユーチューバーということになるだろう。ただ、小学生のそうした願望を分別ある大人たちは断固として否定する。「世の中そんなに甘くない」と。

一方で小学生の頃からの夢を実現していったイチローなんかは手放しで賞賛するから勝手なものだ。どうやら「夢」は幼少の分別のなさそうな時期から抱いておく必要があるようだ。



登山で生きていくとは、ヒマラヤの高峰や世界の大岩壁で難しい登山を繰り返して名声を得ることだ、と当時の私は考えていた。登山家として格好がつくレベルは山野井泰史ラインホルト・メスナー。だが、それまでにどれだけの修羅場をくぐり抜けなくてはならないのか。今思い返せば、発想自体が貧弱で的外れだとわかる。だが当時は、汚いアパートの一室でどんより思い悩んでいた。

『白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井泰史夫妻』 あとがき服部文祥

 

これは「あとがき」として服部文祥さんが書いたもので、本書の著者はNHK取材班となっている。

それはともかく、この文章は服部さんの若いころの話である。大学で登山に出会い、傾倒していくものの、卒業後の就職という現実が迫ってくる。

これが本書の主人公たる山野井さんなら問題なかった。登山を始めたのは中学時代で、高校卒業とともにアメリカに発っている。

教育熱心な母親のもと、団地で育ち、20歳を超えていた服部さんにその選択肢はなく、気おくれしながら就職活動を始める。

 

就活というのは本当に嫌なものだ。何も手にしていない、何ができるか自分でもわからない者を試すのである。それに上手く対応できる者は無事就職となり、不器用で馬鹿正直な者は「社会不適合者」のレッテルを貼られる。

なかなか内定をもらえない20代の服部さんは部屋で思い悩み、自分には登山しかないという結論に達する。しかし、そこには大人としての分別と登山という生命の危険を冒し続けることへの葛藤がのしかかってくる。

 

おそらく、多くの人は20歳を超えて登山を始めた人は、これが仕事になればと一度は夢想する。夢想しても現実に実行するのは難しい。もはや「子どもではない」からだ。

後に、『サバイバル登山家』で作家デビューし、岩魚を歯に咥えて挑発的な目をしていた服部さんも就活に悩んでいた。

そのことは自分の生き方を全面的に肯定していいかわからない私にとって少し救いになっている。

魂の震える登山名文集②〜山野井泰史

御嶽山の噴火があった時、「あの日、山に行ってた?」と何人かに訊かれた。私がしょっちゅう山に行っていることを知ってのこと。御嶽山は遠目には美しい山だが、登って面白そうでもなかったので登る対象に入れたことはなかった。

ある人にはこう言われた。

「死ぬかもしれないとわかっていてなんで登るの?」

こういう質問は困る。なにしろ死ぬ覚悟で登ってなんかいないのだ。

私のレベルで行くルートで遭難したら、仕方ないということにならない。単に実力不足か不注意だ。

しかし、どんなに低山でも、整備されたルートでも落ちたら死ぬところは存在する。そこになぜ行くかと言われて答えられるはずがないではないか。

そんな質問をする人への答えを超一流クライマーが答えている。

 

「不死身だったら登らない。どうがんばっても自然には勝てないから登るのだ」

山野井泰史『垂直の記憶』

 

危ないから登る。安全なら登らない。

人間の本能たる自己保存に悖るのが冒険である。その当たり前を口にする人は少ない。

今年、ピオレドール生涯功労賞を受賞ということもあって、一般的にも偉人とされがちだが、少年時代から結構無茶なクライミングをしている。

中学生の時に丹沢・水無川本谷を登山靴で遡行。鋸山で墜落。高校生の時には冬の八ヶ岳で、落下してきた友人がぶつかり、前歯を欠損。

これくらいで並みの人なら十分な武勇伝なのだが、これらはあくまで序章で、高校卒業するやアメリカでクライミング、北極圏やパタゴニアでの登攀。日本でもフリーソロで岩場をガンガン登っている。

フリーソロで登っていたという谷川岳

しかし、最近見たBE-PALの記事では、山野井さん自身は「これは死ぬかも」とほとんど感じたことがないのだという。1つ挙げたのはマナスルで雪崩に遭って埋もれた話だけで、あとは大丈夫なんだそうだ。

もちろん先の文章にあるとおり、本人は不死身とは思ってはいない。ただ、山で死ぬことも想像はしないらしい。

一般的にはかなり不思議な感覚。

おそらく「生きる」ことを楽しみ過ぎているからに違いない。

魂の震える登山名文集①〜宮城公博

梅雨間近。週末はちょっとランニングするだけでダラダラ過ごしてしまう。

そして山に行きまくっていた頃を少し懐かしく思うようになった。

最近、低山ハイクくらいで山屋というより老後ハイカー。これではいかん、というわけではないのだが、登山者の名文を読んでその魂の叫びに触れてみたい。

まずは『外道クライマー』で有名になった宮城公博の記事。

 

若いカップル、明るい色に髪を染めた女の子たち、会社帰りのサラリーマン。自分とは全く別の日常を過ごしている人たちを見て、正直、少し羨んだ。同時に、全く別の思いが脳内を支配した。適切な表現が見当たらないので、その時、思ったことをそのまま書く。街を行く全ての人や物がまるで汚物のように見えた。

そして「ハンノ木を登らねばならぬ」と強く思った。

『岳人 2014年5月号』

 

同じ文章が『外道クライマー』にもあるのだが、表現が少しマイルドになっているが、文章は初出の『岳人』記事の方が優れている。

話は、宮城さんが冬季ハンノキ滝の登攀を目指すところ。

登ることは決めたものの、当然命の危険はつきまとう。

なぜ行くのか、なぜ登るのか。正直なところ当人も都会でぬくぬくと過ごす方がいい。やっている本人ですら億劫になるし、何より生命の危機を自分自身で招くのだ。

行きたいけど行きたくない。それは無関係な街の人への羨望と嫉妬、恨みとなる。

本文は山には行きたいし、死をあからさまに肯定できない心情の葛藤が見事に結晶化している。

今から50年以上前。谷川岳に散ったクライマーにその葛藤はなかったかもしれない。

1940年代の平均寿命はわずか50年弱。山で死なないでもそのくらいで命は尽きる。クライミングで墜死して惜しい命ではない。それより生きている間にいかに魂を燃やすかが問題だった。

その死生観は医療や平和な時代によって打ち破られる。じっとしていれば80年も生きられるようになってしまい、安易にリスクを冒すことの意味が薄れてしまった。

一体何に命を賭けるか。現代その問いに容易に答えられない時代となっている。

奥多摩・三頭山の虫祭り

ちょっと間が空いたけど、先週は奥多摩・三頭山に行ってきた。選んだ理由は特になく、行ったことがないというだけ。とにかく天気が良くてどこかに行きたかった。

三頭山は奥多摩に位置するのだが、多くの人は武蔵五日市方面からバスに乗ってアクセスするようだ。われわれは奥多摩駅から鴨沢西行きのバスに乗り、深山橋で下りた。そこから橋で奥多摩湖を渡り、三頭山に取り付く。

この日はかなり暑くなりそうだった。

三頭山は1531m。奥多摩湖からムロクボ尾根というルートから登ったのだが、結構長い。奥多摩湖が500mくらいだから頂上までたっぷり1000mくらいある。

しかし、この尾根はブナの森林が美しく、いわゆる森林浴にはちょうどいい。ただ、日が昇るにつれて虫の活動が活発になったらしく、顔の周りを虫がまとわりつく。この日は風もほとんどなく、羽虫が飛びやすいようだ。

奥多摩湖から登る人はほとんどいないらしく、先日の川苔山・真名井北稜と同様に独り占めで歩くことができた。

頂上はたくさんの人で賑わっていた。おそらく「都民の森」方面から来たのだろう。

後でヤマケイオンラインの説明を見ると、都民の森の方はブナを切り倒して人工林にしたため、水害で荒れ果ててしまったらしい。確かに登って来た尾根は美しいブナ林だったのが、頂上から片側は杉で反対側はブナといういびつな植生になっていた。

帰りは御前山から奥多摩駅に下りようとも思ったが、走るとかしないと夕方になってしまう。やむを得ず再び奥多摩湖を目指して「山のふるさと村」に下りる。

ところが奥多摩湖をわたる浮橋は当面通行止めとあり、行きに渡った深山橋まで奥多摩湖周回道路を辿って戻る。バイクが猛スピードでガンガン走るので、山以上に怖かった。

 

三頭山、初めてだったけどブナが綺麗でなかなかよかった。

御前山につなげて縦走してみようと思っている。

考えない人、考え過ぎる人

休日に相方の友人が来た。

世界を渡り歩いた人で、今は海外留学をする人のサポート業務、保険の仕事をしている。相手は20代から30代前半までが多く、大学生が大半を占めるわけだが、「考えない人」が多いのがストレスだという。

よくある質問に、親族が危篤等の時の一時帰国補償というオプションを付けるべきかというものがある。これは留学中に2親等以内の親族に万が一が起きた際、帰国旅費を補償するというもの。自分の祖父母(あるいは父母)が健在なら不要というオプションである。

ところが時折、妙な質問をするのもいるらしい。「どうしたらいいでしょう?」という思考停止の者、「ペットは入りますか?」というあさっての質問をする者。

「2親等と書いてあるじゃろ!ペットはお前にとって家族かもしれんが、モノなんじゃ!」

と彼女は心の中でツッコむんだと。

一時期、論理的思考、地頭力とか流行った。流行ったのはいいのだけど、本当に考えるとはどういうことかを考えさせられてしまう。

ペットはモノであるというのは法的には当たり前の話である。

しかし、そんな知識がなくても保険の対象となるかどうかなんてわかる。質問をした彼・彼女の頭にはペットとは自分の家の犬か猫しかないのだ。ヘビやモモンガを飼っている人もいる(私の身近にいる)。あるいはオタマジャクシか金魚を飼っている人もいる。ありとあらゆる動物を対象にして一時帰国を認めるわけにいかないのである。

その話を語る彼女は頭の切れる合理主義者だ。サクッと仕事を終わらせて自分の勉強をしたい。手間を取らせるなといら立つことが多いのだそうだ。

 

そんな妙な質問をする者でも海外留学という思い切った行動のために今動いている。「コロナが、紛争が」と考えすぎて動かないより、考えないで行動しながら身につけていくものかもしれない。

今年も梅酒を漬けてみる

今年も梅の季節がやってきた。

この時期に梅酒を漬けるのが定例で、もう3年目。氷砂糖を買うと袋の後ろに書いてあるので何も考えなくてもできる。

ホワイトリカーを使う方法が書かれているけど、わが家はウィスキーを使う。

まずは梅を洗い、水気を取る。

そして、ヘタを取り、瓶に投入。氷砂糖と交互に重ねて、最後にウィスキーを入れる。

分量は梅1kgに氷砂糖1kg。袋の表記ではホワイトリカー1.8lとなっていたけど、ウィスキーは2.7lの大サイズを買ってきて瓶に入るだけ入れている。

この手のレシピ通りやると少し甘過ぎる気がするので、これくらいがちょうど良い。

 

というわけで半年後のお楽しみ。

ウィスキーも梅酒も時間がかかる。言い換えると「時を飲む」飲み物なのだ。

人生で最も高いお買い物

いつもはスルーするところだけど、「今週のお題」に乗っかってみた。

以前、年代別に書いている。

yachanman.hatenablog.com

ただ、今回はもっと赤裸々に書いてみよう。

1位 投資

2位 結婚式

3位 運転免許証

4位 旅行(去年の北海道・知床旅)

5位 自転車(ANCHOR C9)

となった。ひょっとしたら記憶していないだけでもっと高いものもあったかもしれない。

しかしまあ、ツマラン。

1位を見るとすごい投資家のようだけど、2位以下のレベルが低すぎるのだ。なにしろ結婚式は神社に10万円と衣装代、写真代、その後の食事で40万くらいしかかかっていない。総勢6人しかいないのだから、そのスケール感がわかるというもの。

高いモノ第5位の自転車

実質、パーっと使ったという意味では旅行ということになるだろう。

去年、夏に10泊11日という長旅をした。しかし、うち6泊はテントで夜は自炊。かかった費用の半分は飛行機代で、3割が列車やバス代という時点で高い旅行とは言えまい。

しかし、今思い出しても楽しかったなあという旅行だった。

 

日数は短かったけど、2月の宮古島も楽しかった。

費用は往復の飛行機が少々お高め。ただ、現地では2泊で8,000円ほどの宿だったし、移動手段は自転車のみ。これまた安く上がっている。

あと大分旅行も安いホテルながら、花火が見えてよかったし、海鮮丼もコスパよし。

若干安いのに満足している節が認められるので、これでは高い買い物にならない。

 

結局思い出だけはプライスレス。

ただ、何にお金をかけるかは人生観も含めて一生のテーマとなりそうだ。