クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

近所に地図を描くということ

平日に休みをもらった。もらったと言うのも変だが、有給休暇をである。

唐突な休日は使い方が難しい。

梅や桃も咲き、暖かくなってきたので近所を適当に走ってみることにした。

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家の近所とはいえ、走り出すと知らないことが多い。走り始めて1時間も経つと小平霊園の近辺で、やけに墓石の店が多いことに気づいた。

そのうちなんとなく新座に向かってみる。埼玉県は2ヶ月ほど過ごしたことのある地だが、未だにわからないエリアが多い。平坦で特徴がないのだ。

そのうち、大泉という標識が見えたので、そちらに行ってみる。

 

自発的な迷子なので、地図は見ない。

東京、埼玉近辺は細かく地名が振られている。ただ、細かいあまり、地名に特徴がないのが困る。大泉とか関なんて全国に何ヶ所あるだろう。

大泉で住宅地に迷い込み、やっと青梅街道に出てそこからは歩いて家まで帰った。トータル6時間くらいでいい運動になった。

 

近所とはいえ、普段の活動範囲は意外と狭い。私の場合、走って1時間の範囲くらいだ。それより先は未知となる。

距離にしてせいぜい10km。それが私たちの持つ「地図」である。

いくらテクノロジーが進化しても、はっきりと知っている範囲はそれほど変わらない。やはり世界は広いのだ。

沢登り界の有名人、成瀬陽一さんがこんなことを言っている。

「俺は世界の一部だ。でもこれを裏返すと世界は俺の一部だとなる。世界の『えーっ!』という可能性が自分の可能性のように感じる」

こんな風に今生きている世界を楽しめたら幸せなことなんだろう。