クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

市議会議員選挙

3月に引っ越す直前、住んでいたところで市議会議員選挙があった。選挙カーで候補者が名前を連呼していてなんとも喧しい。当方はこれから引っ越すので投票日には有権者ではないのだ。

引っ越した先でやれやれ静かになったと思っていたらこっちでも市議会議員選挙があるという。喧しいのは同じだが今度はちょっとは興味を持たなくてはならない。いつもならすぐに捨てていた候補者のビラを読んだり演説を聞いたりしてみた。

 

ある候補者は駅前に「市内に警察署を」と書いた横断幕を掲げていた。私も引っ越して知ったが、市内に警察署はないので用事があれば隣の市にある警察署に行かなくてはならない。少々面倒である。

しかし、私が警察署に行く用事と言えば運転免許証の住所変更くらいで普段は行くことがない。考えてみれば前に住んでいたところは地下鉄の出口から徒歩15秒、つまり真ん前に警察署があって、その裏には市役所などの総合庁舎があり、さらにその裏には刑務所があった。ただし、これらのメリットをほとんど享受しなかった私には警察署が必要だという主張はよくわからない。ストーカー被害にでも遭ったら必要性を感じるのかもしれないが。

 

家のドアポストに「全小学校に給食を」というビラが入っていた。子どもの保護や教育を公約に掲げるのは昔から使い古された手段である。

NHKの「映像の世紀」で見たヒトラーは「今ドイツ国民が流す一滴の血が将来の子どもを救うのであれば、それは尊ぶべき流血ではないか!」と演説していた。別にヒトラーを例に引く必要もないが、子どもへの補助は社会的な正義になる。

確かに毎日働きながら子どものために弁当を作るのは大変だ。これは毎日弁当を自分のために作っている私が証言する。

しかし、給食というのは非常に高コストである。添加物は使わないし、栄養士が毎日のメニューのバランスや塩分の量も管理している。アレルギー対策や衛生管理も完璧にしなければならない。それでいて一食100円そこそこだから相当な補助が必要だ。それじゃあどこからその金を捻出するのかと思ったら何も書いていない。これでは実現しようがない。

この人が当選したら議会でどう説明するのだろう。

 

似たような主張で「小学校の体育館にエアコンを」というのもあった。もはや「政策」ではなく「主張」である。

だから財源はどこにあるのだ?エアコンを付けたら税収が増えるのか?

確かに学区が魅力的なら住む人も増えるかもしれない。そうなれば住民税も増える。

しかし、「子どもの通う学校の体育館にエアコンがあるからここに住もう」となるかねぇ。

 

ある若手市議会議員が議員として活動した実績をビラに載せていた。「市長に、自身の給与値上げを追及」とある。どうやら市長の給与が上がったらしい。そしてまず市長の給与を上げるとはいかがなものかと憤っていた。

まあそれはよかろう。仕事をしない市長なら給与を上げてはならん。

しかし、そのことはシツコク市議会で議論するべき内容なのだろうか。どのくらい上がったのかは知らないが世界企業の役員報酬のように億単位で上がることはないだろう。それでは月10万円単位?それくらいなら議論に時間を割く方がムダでないかい?

それに有能な市長ならいくら出してもいいんじゃないかと思うのは私だけだろうか。

 

奥田英朗の小説に『町長選挙』という話がある。直木賞を受賞した『空中ブランコ』と同じ、伊良部一郎シリーズの一つである。このシリーズはとんでも精神科医の伊良部一郎とそこに訪れる患者たちが騒動を繰り広げるというのがお決まりの小説だ。

その中の『町長選挙』はいつもの病院から東京都の離島に舞台を移す。離島に赴任となった都職員が町長選挙の騒動に巻き込まれ、同じく島へ派遣された伊良部もその騒動に巻き込まれる。

ストーリーは荒唐無稽とも言えるものだ。町長選挙で勝った派閥は次の任期まで島の権益をほしいままにし、敗れた派閥は隅に追いやられ、次の選挙まで臥薪嘗胆を胸に刻む。したがって、選挙戦に公明正大などはなく、それぞれの候補者は金を撒き、あらゆる便益をちらつかせて票集めに奔走する。

一方が漁協のために便益を図り、他方は学校を巻き込み、最後は人数の多い高齢者の奪い合いとなる。

公職選挙法など関係なしの、まさに「島の論理」による選挙騒動だが、日本の選挙戦というのは見ていると多かれ少なかれそういうものだと気付かされる。

 

ある町で「この町まで地下鉄を伸ばします」ということを公約に掲げる候補者がいた。「地下鉄を伸ばせば便利にはなるけど採算は大丈夫か?市営だからって赤字出していいわけないぞ」と通りがかりの私は思ったわけだが、候補者はひたすらに「地下鉄を◯◯(地名)に、地下鉄を◯◯に」と叫びながら車で通り過ぎて行った。

日本の選挙、いや政治の基本は金のばら撒きである。税金で回収してばら撒く。「所得の再分配」という言い方もできるが、要は回収して単に配布しなおす方式で、そこに投資して回収するという考えがない。つまり、税金を投入した結果、経済が活性化し、再び税収になって戻るというサイクルにまでビジョンを描けていない。使うばかりでは財政が苦しくなるのは目に見えている。

町長選挙』は非常識な「島の論理」を楽しむ小説であるはずが、日本も「島」だったことに気付かされてしまった。

 

小説は最後に棒倒しで町長を決めるというところで幕を閉じる。

下手なばら撒き演説をするくらいなら腕相撲かパン食い競争で議員を決めてみたら面白いかもしれない。

東大寺の鐘

電車の扉の上に付いている小さな画面でノートルダム寺院で火災という記事を見た。

後輩のリッチ君が「日本で言えばどんな感じでしょうね?」と訊くので、「法隆寺が燃えたくらいじゃない」と答えたら、「それは大変だ!」と返ってきた。ただ、「奈良と言えば修学旅行で行った東大寺しか印象がないです」とも言う。

なるほど、全国的には奈良と言えば東大寺奈良公園の鹿である。奈良観光の悲劇は最初にこれらを目にしてしまい、あとの寺社仏閣はどれも同じかそれ以下に見えてしまうことにあることだろう。

 

興福寺近鉄奈良駅から徒歩10分くらい、東大寺はそこからさらに10分くらいの位置にある。

地下にある改札から地上に上がると、商店街の入口に東大寺建立に尽力した行基像の噴水がある。商店街と直角に交わる大通り沿いを東へ少し歩を進めると右手奥に興福寺五重塔が見えてくる。

興福寺奈良時代建立の寺だが、近世に至るまでは奈良を支配する独立勢力であり、一種宗教を超越した影響力を持っていた。興福寺東大寺は京都を支配する政権と何度も敵対し、焼き打ちに遭っているので建造物の多くは建立当時のものでないにしろ相応の重厚な歴史を感じさせてくれる。

興福寺五重塔は黒い。烏城と呼ばれる熊本城のような黒さではないが、黒光りしていて重々しい印象を与える。これに比べると浅草寺のような赤く彩色された塔はフロリダのウォールトディズニーワールドのレプリカのようにいかにも俗っぽく見えてしまう。

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興福寺五重塔


 

 

興福寺が収蔵する仏像は国宝館で展示されている。東京で展示したら連日とんでもない行列となって、真打にたどり着くまでにヘトヘトになるが、奈良で見れば拍子抜けするくらい簡単に見ることができる。

近年、阿修羅像が話題になって小さな仏像ブームが起きたが、どうも阿修羅像ばかりが注目されているような気がする。しかし、奈良時代から鎌倉時代の仏像は古代ギリシャに匹敵するくらいバリエーションに富んでおり、姿や表情はどれも豊かなのだ。

阿修羅像は八部衆の1つで他に7人の仲間がいることはあまり知られてない。阿修羅像が上半身裸の他はみんな中国風の鎧を身にまとっている。みんな怖い顔、厳かな顔をしている中で1人異彩を放つのが迦楼羅像だ。

これは顔がなんと鳥である。鳥!?そう首を横に向けて少しとぼけた雰囲気のあるこの像だけがなぜか顔は鳥で首から下は人なのである。

神話では人が動物に変わったり髪が蛇の怪物(メドゥサのことね)は登場するが、顔だけ鳥になった人など寡聞にして知らない。まさに笑い飯の漫才に出てきた「トリジン」である。

これだけでも奈良に行く価値がある。

 

 国宝館には他にも白鳳時代や運慶・快慶などの慶派の像もあって非常に見ごたえがある。東京なら連日行列ができるようなラインナップでもせいぜい10分くらい並べば見れるのがすばらしい。

興福寺を出てさらに東に進むと通りを隔てて反対側に東大寺への入口がある。このあたりには鹿が群がっていて、「エサをおくれ」と子鹿や頭突きで喧嘩をしている雄鹿が見られる。その喧騒の先にそびえるのが東大寺南大門である。

南大門には運慶・快慶ら慶派の傑作と言える金剛力士像がいる。門の左に吽形が、右側に阿形がいて、来訪者を威圧している。

幼少、私が5、6歳の頃の我が家の恒例行事はお盆に東大寺へ行くことだった。今でもそうだが、お盆の時期は大仏殿にタダで入ることができて、おまけに普段は閉じている大仏の顔の部分の扉が開いている。

ただ、当時は街灯が極めて少なく、少し裏道に入ると懐中電灯が必要なほど暗かった。登山をやっていた父親はもちろんぬかりなく、懐中電灯やナショナルの黄色いヘッドライトを持って行くのが恒例であった。

今は夜間、金剛力士像を下からライトアップされているが、この当時はそのような設備はない。私は手にした懐中電灯で、そろりそろりと下から力士の足元を照らす。

太い脚。波打つ腰巻。大きな手。

顔を照らした時に思わず後ずさりして、後ろにいたおじさんにぶつかった。おじさんは「ははは。驚いたかぁ」と笑った。

目の前では吽形が憤怒の表情を浮かべている。見る者を威圧するような、それでいてその顔に感情的な「怒り」はない。こちらの心の弱さを衝くような、畏れを感じさせる姿である。

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南大門 金剛力士


 

 

南大門を出るとすぐに大仏のお顔が見える。見えるのは正月とお盆限定で、この時は拝観料も無料なので、1回を除いて私はこのどちらかの時期しか行ったことがない。

南大門から大仏殿までは100mくらいの石畳で中ほどに国宝の八角燈籠だけがある。この贅沢な作りが日本一の寺たる所以である。

鎌倉の建長寺に行った時は上品な作りだと思ったものの、箱庭的なコンパクトさを感じたものだった。この種、中国風とも言えるこの広大さは全国でも東大寺にしかない。

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国宝 八角燈篭


 

 

この広大な石畳を抜けると真打ち大仏様がいる。

升田幸三の著書に、子どもと運転手がこんな問答をしたという話が載っている。

運転手が平安神宮の鳥居は奈良の大仏より大きいと説明した。子どもは「奈良の大仏さんの大きいもん!」と言って譲らない。運転手が「なんで?」と訊くと子どもは「奈良の大仏さんが立ち上がったら鳥居より大きい」と答えたという。

なるほど東大寺の大仏はとてつもなく大きく感じる。まず体格が立派である。これが立てばどれほど大きいのかと想像するのはこの子どもだけでなく私もそうだった。

大きさを感じる理由はそれだけではない。あまり注目されないが、大仏殿には虚空蔵菩薩如意輪観音菩薩が両脇を固めている。さらに後ろには広目天多聞天が控えていて、さらに大仏の光背にも金色の仏様がいて、意外と大仏殿はメインの廬舎那仏(大仏のことね)だけではないのだ。

大きさを感じるのは相対的なものだから、それより小さいものが周囲にあると余計に大きく感じる。これを目にした1300年前の人々の感想を聞いてみたい。

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ご存知、東大寺盧舎那仏

 

思いがけず長文になってしまった。しかも観光ガイドにも、歴史的な見地もあまりない役に立たない駄文にもかかわらず。

最後は我が家の定番ルートである大仏殿からの二月堂で終わりにしたい。

大仏殿を出て、南大門の手前まで戻って左(東)へ折れると出口である。出口を出てさらに東へ進むと手向山神社がある。手向山神社は菅原道真が詠んだ「このたひは幣もとりあへす手向山」という歌にも出てくる。その本殿の手前で左に抜けると二月堂の舞台が見える。

二月堂は「お水取り」で有名である。お水取りは正式には修二会という儀式であり、巨大な松明を持って二月堂の舞台を走るシーンが有名だ。

「お水取り」の時期以外は人が殺到するということはない。そしてここは奈良市内を眺めるには随一の展望台である。奈良市内には京都のような10階を超えるようなタワーや駅ビルはないので、遠くの山まで見渡すことができる。

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二月堂からの眺め

 

関西に住んでいると「寺=興福寺」、「大仏=東大寺」になってくる。

「いや、寺と言えば四天王寺や!」と言う大阪府民や「清水さんか平等院やろ」と主張する京都府民もいるだろう。

しかし、多くの寺が氏族や個人によって建てられたものであるのに対し、東大寺は全国にあった国分寺の総本山、いわば国家プロジェクトによって建立されたものである。興福寺は元々藤原氏の氏寺ではあるものの、内部の建物を聖武天皇が建立したりと、これも東大寺と同様となっている。

京都の寺はほとんど(というかほぼ全部)が私寺である。平等院藤原頼通鹿苑寺足利義満という具合だ。延暦寺や東寺、本願寺なども著名なのだが、これらは修行の場や宗派の総本山で、「私立」に違いない。

京都遷都以降の「私立」の寺はそれぞれ発案者の趣味嗜好を反映した独自の色を出している。ただ、それは東大寺興福寺をベースに皇族や貴族が模倣、脚色したもののように私には思える。

もちろん十把一絡げに論じるのは危険だが、中世以降の寺は多かれ少なかれ何かしらの影響を受けているだろう。

 

まだ小学生のころ2つ下の妹は除夜の鐘は東大寺の鐘が響いていると信じていた。東大寺から全国に鐘の音が響き渡っていると。

当時は家族でその荒唐無稽な想像を笑った。しかし、日本を代表するこの寺の音が今も全国に響き渡っているというのは、ある意味で真理だったかもしれない。

結婚、決闘

先週は珍しいメンバーで飲み会をした。
いずれも社内で、年の順に今年40になる先輩、私、29の後輩2人。29のうち1人は男、1人は女という構成。
年頃というにはもう40の先輩や私は過ぎているが、話題はどうしても結婚ということになる。

飲み会の紅一点は30の鐘を聴く前に少し焦り出したのだそうだ。
「私、そんなに高望みしませんよぉ。年も上は15までならOKです」
とおっとり話す。結構広いねぇ。それならたくさん候補は出そうだ。
「年収は私より上ならいいです」
まあね。金銭的に頼られるのはちょっとと思う気持ちが働くのだろう。
「太ってる人は嫌です」
彼女自身は美容意識が高いから、付き合う相手もデブは嫌なんだろうな。
「あと身長は172cm以上で」
彼女は164cmと言うから、ヒールを履いても彼の方が高くなるにはそれくらいは必要か。ほぼ平均くらいではあるね。
「それと私を好きでいてくれる人」
追いかけるより追われる方がいいらしい。女性は追われる方が好きなのかも。
バツイチは…うーん、やっぱり嫌かな」
そうなんだぁ。そんなもんかな。

それぞれの条件は確かに厳しくはない。
ちなみに彼女の容姿については、入社当時社内で少し話題になったくらいなので、結構点数は高いし、仕事も一生懸命だ。
それならこの条件に合致する男を見つければ万事解決するわけなのだが、そうは簡単に事が進まないので困っているわけである。
「なんでこうなっちゃうの」と感じているのは本人が一番だろう。

その場にいた私を含めた男たちが感じたのは簡単なようで見つけるのは難しそうだということだ。
そもそも条件が複数ある中で、全てが「または」ではなく「かつ」になっている。
まず相手は未婚じゃないといけないが、三十代なら40%くらい。
身長172cmは平均よりわずかに上。30歳前後なら50%くらいかな。
年収は平均ちょいくらいあればいい。ただ、年収を条件に挙げる段階で、前年実績があてにならない不安定な職業は望んでないので、もうちょっと絞られる。40%くらいとしておこうか。
それと、年収という条件は年下には厳しいから年上になってしまう。
ただし、三十代の平均体重は68kgくらいだけど、これだと小太りなのでちょっと探すのは手間かも。
これだけで5%は割りそうだ。さらに性格や容姿、金銭感覚なんかを織り交ぜると天文学的数字になるだろう。

「今、パーティー・パーティーというサイトでいろいろ見てます」
という彼女に男3人はそれぞれ、
「社内を含めて身近なところから考えてみたら?」
「合コン・街コンはあまり成果が上がらない」
「趣味仲間を当たってみたら?」
とアドバイスした。
中島みゆきの歌に「結婚」という歌がある。子どもが「結婚」と「決闘」という言葉を取り違えるというところから歌が始まる。最後は結婚と決闘は同じこもあるという話で終わる。ちょっと解しかねるオチだ。
ただ、結婚に悩むその29の女子には条件との折り合い、「決闘」が必要なんじゃないかと、同じく未婚の私は思ったのだった。

迷惑な贈り物

本社が移転して、移転祝いにたくさんの花が届いた。

こういう場合の花は胡蝶蘭が大半となるのはどういうことだろう。私は別にこの花が好きではないので毎度不思議に思う。

贈り主もこの花が本当に好きなのだろうか。金額がそこそこ高い、花弁が散らないので掃除の必要がないくらいでこの花を贈るなら胡蝶蘭に申し訳ない。

そんなことを考えていると、総務の二十代の女性がお祝い品と見られる博多人形を運んできた。

 

花は贈り物としてちょうど良い。

何がちょうど良いかと言えば、散って枯れればなくなる。なまじ形あるものほどタチが悪い。

実家ではほぼ新品の紅茶セットやマトリョーシカ、陶器の巨大ビールジョッキ、凱旋門の形をした酒のボトルなどが所狭しと食器棚の中に飾られている。

祖母の家に行くと、アフリカだかメキシコだかの奇っ怪なお面が扉の上に飾られてあって、私たち孫、今はさらに曽孫を怖がらせている。

日本の応接間にモノが溢れるのは、その家の主が自ら購入するより、捨てにくい贈り物をして家中をモノだらけにする贈りお化けがいるからだろう。

困るのはこのお化けは完全なる善意を持ってやっていて、受け手も善意はありがたく受け取るからである。ただし、その善意の品は必ずしもその対価通り報われるとは限らない。

早い話が高い贈り物ほど捨てられず、もらうほど困惑するのだ。

 

友人の出産祝いに何か送ろうと言ったら、返ってきた答えは「ベビー服」だった。服、特に赤ちゃんの服など親の趣味である。そこに赤の他人が贈るのはちょっとプレッシャーだ。

贈ったはいいが、お気に召さず、そしてこちらが訪問した時だけ気を使って子どもに着せたりしないだろうか。もともと服選びにセンスを持たない人間はこういう時に苦労する。

いや、贈られる方はその苦労もわからないだろう。

そんなことを考えつつも先方の要請なので、無難なものを見繕って贈っている。


さて、件の博多人形を総務の女性が両手に抱えて私の脇を通り抜けて行った。人形は能楽の翁でニッカりり笑った顔で右手に扇を高々と掲げている。

やれやれこんなものはどこに飾るのだろう。

次の瞬間、「あっ!」という声とともにガチャっと音がした。

彼女は人形のケースの両側面を持って運んでいたのだが、ケースは枠にガラスと底板をただはめ込んでいただけで、運ぶ途中で底板が抜けたのだった。

ふと見ると、翁の顔が笑ったまま床に転がっていた。

公園アスリート

休みの日に公園を探しに出かけた。

いい大人が公園で遊ぼうなど、ちょっと頭がおかしいと思われるだろう。

ほっといてください。

懸垂ができる公園がないかと走り回ったものの、最近の公園は遊具が少ない。わりと広い公園が近所にあったので、行ってみたらワイヤーロープウェーしかなかった。こんなもん2回か3回やったら飽きるだろうな。

もう1つ見つけたが、何もない広場に「ボール遊び禁止」と書いてある。ボール遊びを禁じたら鬼ごっこくらいしかできない。

とぼとぼと駅の方に向かって歩くと、屋内のフットサル場やフィットネスジムが見えた。

 

2年前、唐突に映画「ロッキー」を見た。沢木耕太郎『一瞬の夏』に映画「ロッキー」とモハメド・アリとの関連性について書かれており、興味が沸いたからだ。

「ロッキー」に登場する無敵のチャンピオン・アポロは楽なタイトルマッチを盛り上げるために「チャンピオン・アポロが無名の若者にチャンスを与える」と銘打ち、実績のないボクサーを挑戦者に指名する。そして指名されるのが主演・監督のシルベスタ・スタローン演じるロッキーなのだが、これには実在のモデルがおり、相対するチャンピオンこそがアリだった。

映画の筋としてはシンプルそのもので、冴えないヘビー級ボクサーのロッキーがこの千載一遇のチャンスに奮起し、絶対優位と見られるチャンピオンに挑むわけだ。その途中に喧嘩あり、ロマンスがありがいかにもアメリカ映画らしい。

ただ、この映画の最も印象的なシーンはロマンスでも、字幕なしでは何を言っているかわかりにくいロッキーの言葉ではなく、挑戦者となって街中でトレーニングに励むロッキーの影ではないだろうか。

「パパーパー、パパーパー」とテーマ曲が流れ、朝日をバックにロッキーが街中を走り回る。やっているトレーニングは格好良いものではない。

しかし、ウェイトトレーニングなどのトレーニング器具を使用するものはない。それがいかにも徒手空拳、何も手にしていない若者が何者かになるために挑む姿は大変美しい。

 

「ジムに行かないと」

と言って、29歳の後輩が黒い手提げ袋を持って席を立った。

彼はジムでしか走らないという埼玉出身のシティボーイである。私は走るなら動いていないと体力の浪費みたいで嫌なのだが、彼はむやみやたらに街中を走る方が嫌らしい。

「俺がジムに行き出した頃、そんな奴はあまりいなかった。『ネズミみたいに動かない機械に乗って』って言われたけどさ。今はどこのジムもいっぱいでしょ!」

テリー伊藤が確かラジオでそんなことを言っていた。

そう、私がジムに複雑な思いを抱くのは「なんかネズミみたい」と思えるランニングマシンや機械に挟まれたコッペパンのような姿はとても鍛えているように見えないからだ。

野茂英雄アメリカ挑戦の際は「マシンによるトレーニングは怪我の原因になる」という評論家が多かった。野茂自身、NPB時代に「投手は投げ込み、走り込みが基本」と主張する鈴木監督(当時の近鉄監督)と言い争ったらしい。

しかし、つい先日引退を表明したイチロー選手が20年くらい前に「初動負荷理論」でマシンを使用しているというあたりから「マシンも適正に使えばよい」となった気がする。

清原和博が「肉体改造」と言って筋力増強した後、怪我に泣かされた時は「やはりマシンで鍛えた体は弱い」となり、金本知憲が40歳で4番を張った時は100kgを超えるバーベルを上げる姿がしばしばシーズンオフに見られた。

報道や評論は勝手なものだ。

 

 あらゆるアスリートが器具やマシンを使って最先端のトレーニングをする中で、格闘技の選手というのは案外原始的なトレーニングをする。

 格闘技イベント「PRIDE」で頂点を極めたエメリア・エンコ・ヒョードルは鉄槌でタイヤを叩いていた。

ボクシングの井上尚弥は車を引っ張ったり腕だけで綱を登ったりしていた。同じくボクシングの亀田兄弟はピンポン球を避ける練習をしていた。

柔道やレスリングの選手も綱登りなどの自重を使ったトレーニングが多いという。

格闘技は人と人のぶつかり合いである。人を殴る、持ち上げる練習はマシンではない方がよいのかもしれない。


ロッキーは冷凍牛肉の塊を殴っていた。私は冬に凍った山に行く。

人を含めた自然に相対するには公園あたりで自然なトレーニングをするくらいがちょうどいのかもしれない。

ぜいたく税

ラジオも何かにつけて「平成最後の」を付けるようになってきた。本屋の新刊にも「平成とは」とか「平成の総括」といった内容が増え、一つの時代が終わることを強調したものが多い。

ただ、平成が終わることで何かが変わるわけではない。普段われわれは今が何時代なのか意識すらしないのだ。そして、次の元号に変わったからといって、今の政権が交代するわけでも、革命が起きるわけでもなく、今までの日々が続くと信じている。

 

当面、今年変わることが決まっているのは元号とともに消費税である。

民主党政権時代に10%への引き上げが表明され、自民党へ政権が戻ってから8%に、そして今年10%に引き上げられる。政権が変わってもゴールは変わらないのだから、全ては財務省が描いた既成路線なのだろう。

今回はただ増税というだけでなく、軽減税率というものが設けられた。食品や新聞は8%に税率が据え置かれる。新聞がなぜという議論はさて置き、食品が据え置かれるのは弱者配慮であろう。消費税が上がって食べられなくなるようでは寝覚めが悪いと思ったのか、消費税導入以来初めての試みとなる。

 

しかし、今回の軽減税率で中途半端なのは持ち帰りの食品は8%、外食は10%としたことだ。つまり、「外食は贅沢だから増税してもよい。持ち帰りの食品はセーフ」。

ちなみに酒や医薬品は10%となる。健康食品は医薬品指定を受けてなければ食品扱いなので8%。医薬品の方が生きる上で重要な気もするのだが。

 

それはさて置き、この税制を見て思い出したのは団鬼六のエッセイ『牛丼屋にて』である。これは大崎善生編『棋士という人生ー傑作将棋アンソロジーー』に所収されていた。

一時離れていた作家業を再開した団鬼六は、これまでのようなホテルのバーではなく、吉野家での晩酌へ頻繁に繰り出すようになる。誰と話すでもなく12時という制限時間まで、チビリチビリ酒を飲みながら、人々の食欲を眺める。

そんなある日、夜の11時過ぎに四十代の親子連れが目の前にいることに気づく。親子は父親と10歳にもならない子ども3人。団は妻に逃げられた男が子どもに食事をさせるため、深夜に子どもを牛丼屋に連れ出していると想像する。そして偶然その日にもらったクッキーに詰め合わせを子どもたちに差し出す。

団鬼六の本は読んだことがないが、さすがは作家だなと思わせる。ただ吉野家という食事を提供するだけのシンプルな場所で人々を眺めながらその人の境遇や将来にまで思いを巡らせている。生活臭さが溢れる場所だからなおさら想像にも妙な生々しさがあった。

 

さて、この牛丼屋のような店も10月からは軽減税率は適用されず、税率は10%となる。ただしテイクアウトは8%。同じものでも、場所を提供するかしないかで税率が変わる。

税制を作った側はいろいろなことに腐心したに違いない。ただ、先のエッセイに出たような親子には「ぜいたく税」が課せられるといった格好だ。

税法は決して万人に公平なものにはできないし、個別の事情に配慮することはできない。税制が年々複雑化するのは絶えず不公平が指摘されるからである。

しかし外食が贅沢で、内食が質素だというのは制度設計者のずいぶんな決め打ちだなと感じる。贅沢な内食だって、質素な外食だってあるのだ。外食に頼らざるを得ない事情だってあるのだ。

 

どうも税制を見ていると、夫婦や家族のあり方に特定の設定があるとしか思えない。夫は日中働き、妻は専業主婦かパートで子どもは2人くらい。

共稼ぎなら収入に余裕があるはずだから、配慮の必要はなし。今1番多いのは単身世帯だが、単身なら支出は多くないだろうから大丈夫。子だくさんなら少子化対策に貢献しているだろうから、軽減税率の恩恵を受けてください。

では、「吉野家の親子」(境遇はあくまで団の想像だが)のように離婚して子どもを引き取った場合はと言うと、離婚は自己責任とされてしまう。

 

軽減税率によって消費税はさらに複雑化する。同じ8%でも増税前の8%と軽減税率の8%では国税地方税の内訳が異なり、区別が必要となる。食品を扱う企業はシステムなどを対応させなくてはならない。

さらに「食べられるもの」か「食べられないもの」かも利用者側の意図とは別に判断していかなくてはならない。

例えば、重曹は食べられるが、食べる以外の用途にも使える。この場合、食べられるなら8%となる。

そもそもこの軽減税率は企業の生産性を落としてまでやるべき価値が果たしてあるのだろうか。いっそのこと、全部10%にした方が煩雑にならずによい気がする。

 

私はこの軽減税率に反対だというより、設計者の価値観を押し付けられる感じがして嫌だ。

従来の夫婦観、家族観、生活観。新しい時代が来るのを拒む価値観。

何より団鬼六が牛丼屋で親子の境遇に巡らせたような想像力が税制設計者の頭にはないことは確実なのだ。

最近、運動不足なので自宅から新宿まで走ってみた。事前にGoogleマップで確認すると23kmあるらしい。

中央線沿いに走ると三鷹とか吉祥寺とか聞いた名前はあるものの、駅前に近づかなかったので、町としての印象は特にない。というか日本の町には本当の意味で個性はない。作られた街並みか、取り残された街並みがあるだけだ。

杉並区、中野区と23区に入ると、ますます個性のない建物が増えてきた。途中で迷って距離が伸びたせいか、運動不足のせいか、中野で走るのをあきらめ、歩いて新宿を目指す。

「新宿区」という看板が出ると、たちまち周囲はビルに囲まれた。空が極度に狭くなった。

JRの高架をくぐると3つの毛布が横たわっていた。毛布の傍らには赤い漆器の器が置かれていて、汚れてピンクから灰色に変色した毛布の主はいるのかいないのかわからない。

最初、漆器を置いている意味がわからなかったが、中をのぞいてようやく意味を悟った。赤い器の口の中には10円や100円が何枚か転がっていた。

 

独り暮らしを始めた時、食器は実家で使っていないもの、余っていたものを何枚か拝借していった。1人ではそんなにたくさんの器を必要としない。

その後、古くなって割れたり、うっかり落下させて割ったりして数はどんどん減った結果、らーめん鉢1つですべてをまかなうようになった。

朝はご飯に野菜炒めを載せたり、前日の汁の残りをかけて食べる。夜も大差はない。おかずとご飯を一緒に盛って食べる。刺身などの時だけ平皿を出す。

器は1つあれば食うことはできる。しかし1つもなければ食うのに大変不便だということは私が生活していくうちにわかった1つの真理である。。

 

日本の歴史は約1万年前の旧石器時代から始まったとされる。

しかし、日本を日本たらしめるのは土器の登場だろう。衣類や金属の登場に比べて日本における土器の登場は早い。その後も遺跡で発見されるのは土器や陶器、瓦などの焼き物が多く、日本の歴史はすなわち土器の歴史と言い換えてもよい。

数年前に熊野古道小辺路を歩いた時、昔の茶屋跡で幕営をしたら、あちこちに茶器の破片が転がっていた。

地図ではここに水場があるということだったが、その日の夕方さんざん探しても見つからない。茶屋があったのだから水場もあるはずだ。結局、見つかったのは使えそうな白い陶器だけで、肝心の水は伏流でもしてしまったのか見つからず、同じ場所に幕営した男性に少し分けてもらった。

水で苦労している中で水をすくう器が妙に印象的だった。茶屋で使っていた器だろうか。それともそこを通る旅人が持参したものだろうか。

いずれにせよ、水とともにその器も旅人をいくらか支えていたに違いない。

 

その高架下の3人のうち、器を出していたのは1人だけだった。なぜ他の2人は器を出していないのかはわからない。

その赤い器が高架下に横たわるその主の生命をいくらか支えているのだろうか。