クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

春の日和田山ハイキング

暖かい日曜日に久しぶりのハイキングへ行って来た。

考えてみれば登山は2月に谷川岳へ行ったきりなので2ヶ月以上間が空いている。今回は相方ともども日々疲れているのでリハビリ登山である。

 

行った先は埼玉県にある日和田山

岩場があり、クライミングの山として有名なところだが、特にクライミングに行ったわけではない。複雑な西武線の細切れ路線を乗り継ぎ、武蔵横手駅で下車。林道を歩きが少し続く。

途中道端にゼンマイを発見して文字通り道草を食う。

山の中は縦横無尽に林道が走っていて、トレイルランニングの人たちも縦横無尽に走っていた。

低山で気軽に来れるだけに人はかなり多い。まあ、標高が低くて暑いので気持ちよく登れるのは春先と秋口。夏場は暑そうだ。

そんなこんなで物見山経由であっという間に日和田山山頂に着いてしまった。物足りない気がしないでもないが、あくまでリハビリ登山。

山頂でホットサンドを作って、コーヒーを飲んで下山。

この日は初夏の陽気で、桜が散りつつある一方でツツジが咲き始めていた。

春から初夏への移ろいの見えるハイキングで、ちょうどいい散策になった。

 

生成AIが言葉を綴るということ

はてなブログのトップページには「思いは言葉に。」というメッセージが載っている。

うーむ。いい言葉だと思う。

最近、しみじみと感じるのは自分の考えであれ、思いであれ、言葉にするのは難しいということ。もっと言えば論理的に他人にわかるように文章化するのは難しいということだ。

 

こんなことがあった。

社外に出すコラムにある団体への寄付を行っていることと災害義援金を送ったことを載せようということになった。2つは全く性質の異なるものなので、まとめるのは少々難しい。

担当の後輩がもう書きましたというので見てみると、

「**地震で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。当社は**地震への災害義援金を***円提供しました。当社は***団体に寄付を行いました。**地震からの1日も早い復興をお祈りいたします」

といったことが書いてある。

おそらく生成AIを使って作文したのだろう。義援金の話と寄付の話の間に脈絡が全くないし、地震の話がサンドイッチのように前後に挟まっていて、団体への寄付と関係があるのかもよくわからない(実際は全くない)。

要はこれを作った彼は自力で文章を作るのを諦めて生成AIを使ったわけだが、今度は自力で読みこむこともできていないので、機械に遊ばれているだけなのだ。

少し愚痴っぽくなってしまった。

生成AIは前後の脈絡ではなく、言葉の関連性のみで文章を構成する。しかも、多くは英語を主としているので、英語で質問を打つとわりと正確なのだが、日本語はやや不得手だ。

論理的に考えるということは機械にもある程度はできる。しかし、「ある程度」かどうかも読める人にしかわからない。逆に読める人は書くこともできるから、楽をするために生成AIを活用できるし、別になくても困らない。

すなわち生成AIは、「できない」人が「できる」ようにする道具ではなく、「できる」人が「より楽にできる」道具なのだ。

 

そう考えると、うーむ。新井紀子さんが浮かれている場合ではないとコラムに書いていたが、それもよくわかるようになってきた。

運がいいと考える

今年は前厄なのか、いろいろスムーズにいかない。

そうは言ってもこういう時はいいことを忘れて悪いことにフォーカスしているだけかもしれないし、いい時は悪いことを忘れているだけだろう。「運がいい人」というのは運がいいと思い込んでいる人なのかもしれない。

 

マイケル・サンデル『実力も運の家 能力主義は正義か?』を読む。

原題は"Tyranny of Merit"だから「功利の専制」ということになる。意訳すると「実力の横暴」。「実力主義への疑問」ということになるだろう。

その前に読んだジェフリー・S・ローゼンタール『それはあくまで偶然です』が統計学的に「運」というものをユーモアを交えて書いたものであるのに対して、サンデル教授の方は「運」に対する人々の反応や見解を述べている。

面白いのが「悪いことをしたら報いを受け、善行は必ず報われる」といったことが、「成功は善行の報いである」と変換されることだ。『実力も運~』ではこの考えが能力主義の源となっているという。

つまり、成功した人はすべて自分の努力と実力で勝ち取ったものだと考えてしまうのだという。

 

まあ、どっちがいいのかわからないけど、自分は運がいいと思ってそれなりにポジティブに、それなりに謙虚に生きるのが良さそうだ。

もう一度見たい景色

本屋に行くと毎年のように「死ぬまでに見たい絶景」みたいな本がある。

「死ぬまでに」などと言っていたらそのうち死んじゃうぞとも思うのだが、なかなか行きたいと言ってもままならないのが人生だ。おまけに最近は円安で海外旅行も高くなった。しかしながら、宝くじで大当たりする確率は宝くじ売り場に行くまでに交通事故に遭う確率より低いらしいので、頑張ってお金貯めていくしかなさそうだ。

ただ、これから忙しくなりそうなので、せいぜい国内でもまた見たい景色をなんとなく並べてみた。

 

まずは渓谷。本音は今地震で大変な台湾の渓谷にも行ってみたいけど、三重県の大杉谷もなかなかのもの。

大杉谷はかつては観光名所にしようとしてたらしいが、吊り橋の事故で頓挫したとの話がある。それにしてもこの険しい渓谷を観光名所って構想がすごい。

大杉谷のニコニコ滝

続いて、こちらは時期限定だけど比較的簡単に見れる。八幡平のドラゴン・アイ。

誰が名付けたかネーミングが上手い。私が行った時は天気がいまいちでドラゴンの目がきれいなブルーではなかったので、次はインスタ映えしそうな景色がほしい。

八幡平のドラゴン・アイ

こちらも比較的難易度は低い。

5月に奈良県大阪府の間にある葛城山ツツジの最盛期を迎える。しかし、今はこの時期が一番忙しくて嫌になる。

葛城山ツツジ

うーむ。

遠くに行きたくなってきた。

理想の身体の大きさについて考える

春を迎えて体力づくりをしなければと思っている。

ここで難しいのがベスト体重の作り方で、172cmで典型的な標準身長の私の理想体重は64kgくらい。しかし、そんな体重になるとおそらく山で30分も歩けばへばってしまうだろう。

今は54kgぐらいで、筋力量はおそらく標準以下だが、体重も大幅に平均を下回るので、並みの人よりは動ける自信がある。ただ、登山やランニング、クライミングみたいな自重との勝負となるスポーツ以外に向かないのが悩みの種だ。

 

ジェフリー・ウェスト『スケール:生命、都市、経済をめぐる普遍的法則』を読む。

生命体を含む万物の大きさには理由がある。それを「べき乗則」という形で紐解いたのが本書だ。

べき乗則」って何だという話なのだが、要は一定の累乗した数字で、生命の場合、4分3乗でスケーリングするらしい。これでも何を言っているのかわかりにくいが、要は体重が2倍になったからと言っても、力は2倍にならず、せいぜい1.7倍くらいが限界なんだそうだ。

つまり、体重54kgの私が背負える重量が30kgだとすると、倍の108kgの人は50kgくらいがそれに対応するということだ。

この本では、その他にも生命の寿命から、生命体を離れて都市や経済についてもべき乗則から法則を導き出している。

面白いのが都市のガソリンスタンドや病院の数も人口に比例しないということで、都市は大きくなればなるほど効率化していくことが数値で測れるらしい。

 

まあ、この本についての感想はまだあるけど、このくらいで。

結論として、体重は軽い方がやはり登山向けだということが、物理学者によって証明されているようだ。

あとは自重を支える筋力を付けるのみ。その時間がなかなか取れないのが悩ましいのだ。

井の頭公園へ花見ランニング

休日、土曜日は井の頭公園に花見がてら走って向かった。最近体力が落ちている気がするので、回復を図りつつの桜見物である。

井の頭公園の桜は最盛期を過ぎているようで、葉桜になっているところもちらほら見かけた。一方で人出の方は最盛期で、特設の簡易トイレや警察の出張テントまである。私が行ったのはちょうど12時くらいで、まだ花見客も乱れた感じはなく、おとなしくお弁当を食べている人が多かった。

10年以上前、アウトドア雑誌『BE-PAL』のコラムで桜を追いかけるおじさんが紹介されていた。

何かと言うと、桜前線を南から追いかけて旅をしながら、桜の写真をブログにアップするという人だ。定年退職後の趣味でやっているのではなく、仕事を辞めてやっているところが凄いところで、編集者の方が「大丈夫ですか?」と心配していた。

このおじさんに好きでもない仕事をさせるくらいなら、桜くらい追いかけさせてやろうよとも思うのだが、自分が同じことをする勇気はない。しかし、これだけ好きなことがあるのに、無理に仕事をする必要がどこにあるのだろう。一度きりなら好きなことを追求する人生もいいのではないか。

桜を見つめながら私の中にも微妙な葛藤が生まれたのは事実だった。

この日は朝は寒く、昼は曇りながらも少し暖かかった。

今年もそのコラムを思い出しながら、しんみりと私は桜を眺めた。

10年前の登山写真-低山編

今週は春雨というか春の嵐というか、ぐずついた天気が続いている。

来週は晴れたらいいな。

またしても10年前。一番山に行っていた元気な時の写真を見て2024年のエネルギー再注入シリーズ。今回は低山に注目してみよう。

 

まずは夏のクソ暑い時期に行った妙義山

モノの本によれば北アルプス縦走より難しいとか、岩場の訓練にいいとか書いてあったので行ってみた次第。ボルダリングの練習のつもりで行ったけど、アルプスともボルダリングとも全く違った要素の山だった。

なんちゅうか怖いんだけど、北アルプスのようなゴツゴツした岩場ではなく、削れた大きな火山岩という感じで、設置されてある鎖に全面的に頼るような登山だった。

練習にはならんかったな。

そして、史上最も辛かった丹沢縦走。

何が辛いって、前泊してキャンプしたのだが、話が盛り上がって徹夜。そのまま撤収して表丹沢を縦走した。

今までのように独りならせいぜい6時間くらいで済むところが、大人数で行ったもんだから12時間以上かかった。帰ったのは12時過ぎてて、翌日は仕事。

学生時代でもこんなことしてないよという登山だった。

最後に冬の赤城山

こちらは寒くて辛かった。でも睡眠不足というわけでなく、きれいな霧氷で比較的お気楽な登山に。

こう眺めると2014年くらいは低山といえどもわりと王道とも言えるところに行っている。ここからマニアックな道に入っていくのはどうやら翌年以降らしい。

それも気が向いたらまた書いてみよう。